「私と石岡くんと元彼。」
上下をジャージに着替え、外に出てみると思った以上に寒さを感じた。
実際暦の上でも、そろそろ寒さが強まる、12月中旬。
来週はもうテスト期間に入る為、今日が最後の部活動となる。
桜花高校1年の綾部久美子は、入学して割とすぐに、この陸上部に入ることを決めた。
勿論最初は、体験入部をいくつか廻ってみた。その中で陸上部は、バスケやバレーなどのメジャーな部活よりかは、多少ラクそうな印象を受けたのだ。
実際監督も無理な練習はさせないし、活動もハードにあるわけではない。
中学の頃は、文系の部活に所属していた。
とはいえ、部活にはほとんど出たことが無い。幽霊部員と言うやつだ。
そこで、高校に入ったら運動部に入ろうと決めていた。
運動不足を感じていたし、もともと身体を動かすのは、嫌いな方じゃない。
久美子は部室から出ると、すでに個々の練習をしている部員に目を向け、大きく伸びをした。
今日は委員の仕事で、来るのが遅くなってしまった。まあ、その辺りは同学年の子に伝言を頼んでいたから、大丈夫だろう。
久美子がグラウンドの方へ走り出すと、後ろから声をかけられた。
振り返れば、久美子と同じようにジャージ姿で、男子の部室から出てきた石岡道弘がこちらに向かって走ってくる。
「あれ、石岡君も遅刻?」
「ああ、先生に用事頼まれて。俺、数学の係りでさ〜、今日の放課後までの課題、集めてたら遅くなった」
「なるほどね、あれ、ぎりぎりまでやってた人多かったからね」
久美子は苦笑する。
話しながら、2人はゆっくりグラウンドを周回した。
練習の前にはグラウンドを3周、その後に柔軟体操したあとに、準備体操。
最後に、どの種目も共通のメニューである走りこみや筋トレを行って、ようやくそれぞれの種目の練習に入る。
ただし、男子と女子が共同で行うのは準備体操まで。
基本的に、男子陸上部と女子陸上部は別々に活動する。監督もそれぞれにいるので、練習のメニューももちろん異なる。
久美子がふとグラウンドの脇に目を移せば、ストップウォッチを首から下げて、短距離走者のタイムを測っている星野美紀の姿が見えた。
同じクラスの、一番の友達、とでも言おうか。
彼女が女子陸上部のマネージャーに入ったのは、確か10月の半ばあたりだったと思う。
忘れた教科書等の貸し借りを、他クラスの陸上部の子とやっていたことを、羨ましがられたのがきっかけだっただろうか。
美紀はどの部活にも所属していなかったので、他クラスに友達がいない。
何か忘れ物をしてしまった時に、借りに行かれないのは確かだ。
けれども、動機は不純だと思う。
ただ、マネージャーくらいなら美紀にも出来るだろう。それに、目の届く範囲にいてくれた方が安心するし。
そう思って、久美子が美紀に入部を勧めたのだった。
我ながら、保護者みたいな発想だとは思ったが。
久美子の視線に気がついたらしく、美紀がこちらに、手を振ってきた。
久美子も軽く、手を振り返す。
「……星野さんって、ちょっと不思議ちゃんだよな」
隣で石岡が、ぼそりと言った。
久美子と美紀と、石岡は同じクラスでもある。
「あはは、そう思う?」
「ていうか、マジであれは天然なわけ? 何か面白いキャラだよな。しかも、超有名だし」
「確かにある意味、超有名だよねえ」
桜花高校中に、美紀が3年の三月隼人と付き合い始めたことが広まったのは、本当にあっという間だった。
今では、生徒も先生も、そのほとんどが知っていると言って良い。
実際に有名なのは三月の方で、彼は文武両道、容姿端麗なのでかなり目立つ。昔は、女付き合いも頻繁だったらしいし。
それが、今までの女とは一転、全くタイプの異なる美紀と付き合い始めたのだから、話題にもなるだろう。
「ホント、不思議な子だよな。三月先輩が星野さんを選んだ理由、俺にはわからねえし」
「……まあ、あの子人見知りするからねえ。美紀のことあんまり知らない人は、そう思うのかも」
「綾部さんは仲いいもんなあ。……っていうか、仲良すぎ。いつも一緒にいるじゃん?」
「まあ確かにネ。これは宿命だから、ホント」
久美子はそう言って、笑った。
そんなことを話していたら、あっという間に3周走り終わってしまって、二人はグラウンドの隅へ移動した。
そこに、腰を下ろして柔軟を始める。
「……綾部さんはさあ、どうなの?」
「え? どうって、何が?」
足を広げて、体を前に倒したまま、首だけを石岡の方へ向ける。
曖昧な質問だったので、答えようがない。
「いや、誰かと、付き合ってんの?」
「……え、そんなこと聞いてどうすんの」
久美子は心中でちょっと警戒しながら、質問を質問で返した。いきなりそんなことを聞いて来るというのには、理由が限られている。
純粋に、単なる興味か。
もしくは、久美子に好意を持っている友人がいるか、あるいは、本人が好意を持っている場合。
「いや、ちょっと気になったっていうか。ほら、綾部さんって美人じゃん? 誰かいそうだな、って思って」
「何それ、お世辞? ……ていうか、いません。誰とも付き合ってないよ」
久美子は苦笑して答える。三つのうちどの理由なのかは、判断つきかねた。
「そうなんだ、良かった」
「……は?」
「俺、けっこう綾部さんのこと、気になってるから」
沈黙してしまった。
いきなりそんなこと言われても、困ってしまう。結局三つの可能性のうち、最後の選択肢が正解だったというわけか。
「えっと、それはどういう意味?」
「まあ、出来たら付き合って欲しいんだけど、いきなりそれは無理だろうから。……とりあえず、友達からってことで。……だめ?」
そう聞いて、石岡はにっこりと笑った。
久美子ははっきり言って、呆気に取られていた。
「駄目ってことはないけど。むしろ、もう友達じゃん?」
「ああ、うん。だから、もっと仲のイイ友達っていうか。どっか一緒に行ったりとか」
「……まあ、誘ってくれるなら、行きますよ?」
久美子は少しだけ笑みを取り戻して、そう応えた。
「本当に?……良かった〜、駄目って言われたらどうしようかと思った」
「そんなことは言わないけどさ。……でも石岡君って、そういうタイプだと思わなかった。けっこう、自分の気持ちはっきり言えちゃう人なんだ。外見は純粋そうな爽やかスポーツ少年なのに」
笑って言えば、石岡も苦笑した。
「よく言われる。……でも綾部さんも、もっとクールでドライな人かと思ってた。冷たくあしらわれたらどうしようかと、ドキドキもんだったんだけどね?」
身体を捻りながらそう言う石岡に、久美子は軽く笑んで応じる。
恋愛対象として見られるかと聞かれたら微妙なところだったが、嫌いなタイプではなかった。
早速今週末映画に誘われたので、久美子は軽い気持ちで了解した。
「うわっ、ヤベ!」
石岡の手からボールが離れた瞬間、彼はそう叫んでその場にしゃがみこんだ。
ボールは、レーンの半分くらいまで行ったあと、ごとんとガーターに入る。石岡はそれを見送った後、照れたように久美子を振り返った。
久美子は苦笑して、「どんまい」と一言。
「石岡君ってアベレージ130って言ってなかったっけ?」
モニタを挟んで反対側に腰掛けた石岡に、立ち上がりながら久美子が聞く。
「……え〜、あはは、ちょっとビッグマウスだったかなあ〜」
「やっぱね」
苦笑で返しつつ、久美子はボールを構えた。
久美子も、ボーリングにはあまり行くことがないため、ほどほどのスコアしか残せない。
まあ、100を越えればいい方だろう。ボールを曲げる投げ方も知らないし、ただ真っ直ぐ投げようとするだけだ。
久美子の投げたボールは、ピンを6本倒して奥へ消えた。
その後は結局、二人とも100そこそこのスコアを出して、ゲームを終えた。
ボーリングの後、一息つくために、同じ建物内のファーストフード店に入った。
「結局、映画も面白くなかったしなあ」
石岡がぽつりと言う。久美子はそんな石岡を笑った。
「私はでも、嫌いじゃなかったけど? 石岡君、映画には厳しいねえ」
「だってせっかく高い金を出すわけだし? ……でもまあ、目的は映画じゃなかったからいいけど。ボーリング楽しかったし」
久美子はその言葉に、頷くだけに留めてジュースのストローを咥えた。
一口二口飲んだ後、あまりにも長く注がれる視線に気が付いて、苦笑する。
「そんな見つめないでよ。照れんじゃん?」
「だって俺、綾部さんのこと好きだしさ。穴あくほど見つめちゃうって」
「……そう、ですか。ま、いいけどね。ちなみに石岡君の元カノってどんな人だったの?」
話題提供のためにそんなことを聞けば、石岡は右手と首の両方を振って否定した。
「え? そんなのいないっす。付き合った人いないもん。俺の中学、田舎〜な感じだったし」
「へえ? ほんと? 何か簡単に告白出来ちゃうし、恋愛経験意外と豊富なのかと思って」
久美子は、二人で一つ購入したMサイズのポテトを食べながら言う。
あまりカリカリとしていなくて、美味しいとは思えなかったが。
「いやもう、全然。まあ、告り告られはあったけど、付き合うまではいかなかったからさ。……でも綾部さんは違うっしょ? どんな人と付き合ってた?」
「う〜ん、何だろ、子供?」
「……はあ?」
「すっごいガキっぽい奴だったんだよね。男友達とつるんでワーとかギャーとか言ってるタイプ。身体だけは異様にデカかったけど」
「へえ〜、あはは、一瞬小学生とか想像しちゃった」
「やめてよ。犯罪じゃん」
久美子も言いつつ、笑う。
あまり自分の恋愛話をするのは好きでは無かったが、まあ、このくらいならいいだろう。
男友達も欲しかったところだし。
そう思って、久美子はやっぱり石岡のことを友達としか思えない自分に気が付いた。
「へえ、でも、何で別れちゃったわけ?」
「きっかけは高校が別れたからかな? でもまあ他にも色々理由はあって。ってかその話はもういいじゃん? あんまり詮索されんの好きじゃないし」
我ながら刺のある言い方かなとも思ったが、話を打ち切りたかったのでそう言った。
石岡はそんな久美子の言い方に気分を害した様子でもなく、あっさりと頷いた。
「まあね。過去のことだしね」
「そうそう。過去は振り返らないから。……で、石岡君、私のどこが好きなわけ? ちょっと聞きたいな〜」
久美子はにっこり笑いつつ、聞いた。石岡は少し照れながら、言い難そうに口を開く。
「あ〜、何かね、姉御なところ」
「……はあ? 何それ」
「あはは、ごめん怒った? でもさ、綾部さんて星野さんの保護者じゃん? 面倒見いいっていうか、でもサバサバしてるとことか」
「あ〜、まあ、美紀に関しては何故だかそうなっちゃってるねえ。かなり不本意だけど?」
冗談まじりにそう言って笑った。でも、口ではそう言いながらも、美紀のことは友達として大切に思っている。
石岡は久美子のそういうところが好きなのだろう。
「俺はまあ、星野さんのことも可愛いとは思うけどさ。ああいうタイプって苦手なんだよね。綾部さんタイプじゃないと駄目」
「あ〜、人それぞれだね」
「あと、俺、可愛い系より美人系の方が好きなんで。綾部さん美人じゃん」
「へえ? ちょっと何気に誉められてる? 嬉し〜」
「いや、本当にさ。綾部さんモテルでしょ? 俺ヤダな〜、誰かにさらってかれそうで。ちなみに綾部さん、好きな人っていうか、いいな〜って人はいないの?」
そんなことを今になって聞いてくるのか、と思いつつも、久美子は半分事実含め、半分適当に答える。
「ん〜、どうだろ。微妙だね。いないと言うか、いるというか。……自分でも分からない」
結局曖昧な言い方になってしまった。
「ふう〜ん。俺は、期待していいのかな?」
「……う〜ん、今のところは、やっぱり友達としてしか見れないかも」
石岡が落ち込まなきゃいいけど、と思いつつも久美子は正直に言った。期待されるのも困るし、でもこれからどう変わるかは分からなかったので。
でも意外に、石岡は気にしている様子もない。
「そっか。まあ、今のとこそれでもいいかな。……ていうかね、告った日さあ、綾部さん俺のこと、もう友達じゃんって言ったでしょ? あれだけで俺はかなり嬉しかったから」
「……そう、なの? それは良かったけど。でも、普通に言うでしょ」
久美子にはその石岡の気持ちがイマイチ分からなかったので、そう答えた。
「いや、嬉しいもんだって」
石岡はそれだけ言って、笑った。
「……石岡君、こっち行こう」
帰り道。
二人で駅に向かって歩いている途中、突然久美子が方向を変えてわき道に入った。
石岡はそれを当然不思議に思いながらも、元の道を振り返った先に、直感的にその男を見つけて納得した。
少し浅黒い感じの、背が高く体つきががっしりとした男が、他にもやはりそんな感じの男たちと一緒に歩いていた。
その中の誰か、までは特定出来ないけれども、その5、6人のうちの一人なのだろう。
もしかしたら、久美子の元彼というのは、一番目を引いたあの男かも知れない。
石岡はそんなふうに、一つの結論を導き出す。
「元彼、だったの? あの、でかい男」
「……あ〜、石岡君、鋭い。まあ、いいんだけどさ。でも、何となく」
久美子はそんなことを言って、一本道を変えて駅へ向かいだした。
石岡もそれについていく。
しばらくは久美子のやや後ろを歩いていたが、衝動的に彼女の手を掴んでしまった。
「え?」
やや驚いたふうにして、久美子が立ち止まる。
石岡は手をつないだ久美子を促すようにして、そのまま歩いた。久美子も抵抗することなく、ついてくる。
けれど、何だか納得いかないような表情をしていた。
「あの〜。どうしたの? いきなり」
「……やだ? 駄目?」
理由は答えずに、それだけ問う。
「ん〜、分からない。嫌ではないけどさ……」
久美子は戸惑ったような、複雑な表情で呟いた。普段の、余裕のある感じの口調ではない。
そんな久美子を見て、石岡はちょっと笑った。
「このくらい、役得があってもいいかな〜とか、思って。嫌だったらごめんね」
「う〜ん……」
相変わらず、久美子は不思議そうな顔をして、それでも手を振り払うことなく歩いている。
石岡も沈黙して、無表情のまま駅まで歩きつづけた。
辺りももう薄暗い。
どちらからともなく、もう今日は帰ろうという雰囲気になって、二人は駅で分かれることにした。
改札口の前。
久美子は電車に一駅分乗って家まで帰る。石岡は自転車だ。
「じゃあ、また学校でね」
久美子が定期をバッグから出しながら言えば、石岡も少し笑って頷いた。
「今日はつきあってくれてサンキュー。……楽しかった」
「うん、私も。……また誘ってよ」
「ああもう、綾部さんがうんざりするほど誘いまくるから。きっと毎日毎日、うざいくらいね」
「……あ〜、それは確かにうざいね」
石岡の言い方に、久美子は苦笑した。まあ、実際はそんなことしないだろうし、冗談だろう。
少しだけ間が空いて、久美子が、「じゃあ」と切り出す寸前に、石岡が口を開いた。
「綾部さん、過去は振り返らないんだよね?」
「……石岡君」
久美子はそれきり、しばし沈黙した。久美子の表情からは、どんなふうに思っているかは読み取れなかった。
ある意味、爆弾発言だったかも知れないな、と石岡は思う。
けれど、久美子は意外にも、不快には思わなかったらしい。
「石岡君って……何ていうか、う〜〜ん。……いや、良いよ、ホント。石岡君って面白いね」
「……え? そう? あれ? そういう反応が来るとは思わなかった」
「あはは、何だろ。……あ、でも、じゃあ石岡君にはこれから相談に乗ってもらうかな」
「……ホント? あ〜、もう俺でよかったらいくらでも! ていうか、俺も頑張っちゃうから」
そう言ったら、久美子は苦笑していた。
まあ、最初はこんなもんだろう、と石岡は思う。
そうして、二人はそれぞれ帰っていった。
これからの展開にお互い、少しの期待を残しながら……
完
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<ちょこっとあとがき>
手をつなぐくらいしか絡みのない、恋愛小説に……。まあ、次に行く前の短編だしね。
石岡くんと久美子、これからどうなるのでしょう。……ってか、兄ちゃんは(笑)??
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