3.



 放課後、私は一人部室に残っていた。何をしているという訳でもないが、窓から外を眺めボーっとしていた。
 今日は活動日ではないので誰もいない。
 今頃一樹は、楡の木の前で告白を受けているだろう。一樹は断ると言っていた。だから、本当に断るんだと思う。
 本来なら喜ぶべきだ。でも素直に喜べない。本当に私は可愛くない。
 そんなことを思っていたら、ふいに目頭が熱くなって、慌てて頭を振った。近くの席につき、机の上に突っ伏する。
 涙が、滲んだ。
 何が悲しいというのだろう。一樹との別れが悲しいのだろうか。
 一樹に好かれているのに。
 でもそれを素直に受け入れられない自分がいる。きっとそれが悲しいんだ。
 私は滲んだ涙を拭って、鼻の下に指を当てると、鼻水をすする。
 馬鹿馬鹿しい。何で泣いてるんだろう、私は。
「はあ…」
 声に出して、ため息をついた。湿っぽい息が吐き出される。恋心と一緒に。
「よし」
 勇気を出して、一樹に別れを告げよう。


 楡の木は、職員用の駐車場の隅に植えられていた。上半身裸の少年が二人肩を組んだ銅像と、花壇と、ベンチが傍にある。
 豊富な枝が形良く空に広がった木だった。
「おっと…」
 校舎の影から出て見れば、調度一樹と一人の女の子が向かい合って立っていた。
 しかしすぐに女の子は背を向け歩き出し、一樹はそれを、手を振って見送った。
 もう、用件は済んだのだろう。
 私が校舎の影から出て行くと、一樹はすぐにこっちに気がつき、上げていた手をこっちに向けた。
「よう、覗き見してたのか?」
「…してないよ。さっき来たところだし」
「あっそ?」
 一樹は一笑して、近くのベンチに腰掛ける。小脇に何か、平べったい包みを抱えていた。
 私は真剣な顔で一樹の前に立ち、切り出す。
「…一樹、話があるんだけど」
 一樹もその言葉に、表情を固くして沈黙した。
 その時、風が強く吹いて、二人の髪をなびかせた。


 風が通り過ぎ、私はおもむろに口を開く。
「私…」
 と、それを一樹のきっぱりとした声が遮った。
「別れ話なら、聞かないぜ」
「…え?」
 出先をくじかれたというか、勢いを削がれたというか、私は一樹のその言葉に思わず固まった。
 なぜ分かったのだろう。
 私が茫然として立ちすくんでいると、一樹はわざとらしくため息をついて、自分の隣を指差した。座れということらしい。
 一樹は脇に挟んでいた包みを自分の腿の上に移動させ、私の手首を引いて無理やり座らせた。
「言葉に詰まったってことは、やっぱりそのことだったか」
「…なんで?なんで分かったの?」
「だってお前、最近俺といても楽しそうじゃなかったしさ」
「…」
 それは自分でも分かっていた。おざなりな返事とか、いい加減な態度とか、とってしまった後に反省することも間々ある。
「ごめん」
 何となく、謝った。一樹は、気まずそうにしている。
「川原から、聞いた」
 川原とは、陽子のことだ。
「お前、嫌がらせ受けてたんだって?」
「…うん」
「何で黙ってるんだよ。…俺じゃ頼りにならないってことか?」
「違うよ。ただ、別に言う必要もないかなって思って」
「何でだよ。必要あるだろ?俺とのことで嫌がらせを受けてたんだから…!」
 一樹の語調が荒々しくなってきた。不機嫌そうな顔をしている。
 私は一樹から視線を外して、地面を見つめた。蟻が2、3匹這っている。
「でも、それももう無くなったから」
「……なら、いいけど。いや、いくない。この際はっきり言わせてもらうと、俺はお前のそう言うところが嫌いだ。肝心なことを言わないで、一人で抱えて、でも俺と一緒にいるときいつも不快そうだ」
「不快なんかじゃないよ」
「…でも、俺と別れたがってるだろ」
「だって、私、一樹とつりあわないんだもん」
「…はあ?」
「私は!…ブスだし、性格歪んでるし、そのくせ気が強くて、素直じゃないし!」
 もう、自棄になって叫んだ。
「一樹には相応しくないじゃん!」
 そう叫んで、沈黙する。
「……」
 突然叫び出した私を、一樹は茫然と見つめていた。そして一瞬我に返ったように顔を上げて、そして少し考えて、一度口を開けたが、再び閉じる。
 その後、一樹の眉が思いきりしかめられた。
「…こっの、馬鹿!!」
 ばしん、と頭を叩かれる。
 初めて一樹に手を上げられた。あまり痛くはなかったが、その事実に、私は頭に来る。
「ば、馬鹿って何よ!私は馬鹿になった覚えは無い!」
「馬鹿ったら、馬鹿だろ!!この大馬鹿!!」
「…じ、自分の彼女捕まえて、馬鹿とは何よ!」
「俺の彼女でも、お前は馬鹿だ!……俺の、彼女でも」
 語調が和らぐと同時に、一樹の表情が少し曇った。それでも瞳は真っ直ぐに私を見返してくる。澄んだ瞳だった。
「……」
「…お前は俺の彼女だろ。俺はお前のことが好きなんだから、相応しくないとか言うなよ」
「だって、じゃあ、一樹は私のどこが好きなの?」
 また、鼻の奥がつんとしてきた。
「…ブスだし、性格歪んでるし、そのくせ気が強くて、素直じゃないところ」
「何それ?」
 私は呆れ顔で一樹を見た。一樹は微笑した。
 喉の奥がきゅうとして痛い。涙腺が緩む。
「だって、お前がさっき自分でそう言ったんだろ?俺はお前の全部が好きなんだから、答えは決まってる」
「根拠がない。自信が持てない」
「そんなこと俺の知ったことか」
「…一樹、よく他の女の子と一緒にいるじゃん。誰なの、何なのその子達は」
 瞳に溜まった涙が、溢れ出した。それでも、キッと一樹を睨みつけ、非難する。
「単なる知り合いだよ。別に特別な存在じゃない。お前が嫌だっていうなら口も聞かないようにする」
 一樹が、私の頬を両手で包んで、涙を拭ってくれた。そのまま、私の頭を抱きしめる。
「だから、別れるなんて言うなよ」
 耳元で囁かれた。
 私の気の強さは、そこまでが限界だった。
「…か、一樹ぃ…うっく、…ひ〜〜ん」
 初めて、声を出して泣いた。次から次へと、涙が溢れる。
 一樹がよしよし、と私の頭を撫でた。
「ごめんな、辛い思いさせて」
「わ、私、うっく、一樹のこと…好きだよ?」
「…ああ、分かってる」
「……」
 自信たっぷりな奴。思わず笑ったら、更に涙がこぼれた。
 一頻り泣いて、涙もとまり、それが乾いた頃に私はようやく顔を上げて、鼻をすすった。
「うわ、ひでえ顔。べたべただな」
「自分の彼女にそういうこと言わないでよ」
「…ああ、わりい」
 一樹は笑う。私もつられて笑った。
 その時、ガツっと音がして一樹の腿の上の包みが落ちた。
「あ、やべ」
 一樹は身を屈めてそれを拾う。
「…それ、何?」
「これ?見る?返ってきた盗難品」
 言って、一樹は包みを開けた。
 白い額縁が見える。A4くらいの大きさのそれには、写真が挟まれていた。
 しかしその写真がどんなものか良く見る間もなく、一樹はそれを包み直してしまう。
「これって、もしかして…」
「そう、一年の時盗まれた奴」
 話に聞いたことはある。
 一年生の時の文化祭で、展示してあった一樹の写真が、盗まれたという事。
 一樹から、会心作だったと聞かされていた。
 私が写真部に入ったのは一年の後半、つまり一樹と付き合い始めた頃のことで、見たことは無かったのだ。
「これを、さっきの子が?」
「そう。当時中学生だったカノウユウコは、俺の作品に一目ぼれ。思わず盗んでしまいました。けれど罪悪感が積もり、返そう返そうとは思っていたものの、今に至る。ユウコちゃん、転校するんだって」
「そう…なんだ。じゃあ、あれ、ラブレターじゃなかったってこと?」
「残念ながらね。あの子は俺の顔も知らなかったみたいだし」
「そうなの?」
 何だか、力が抜けてしまった。
「あーあ、そうなんだ。…期待して損したね、一樹」
 私は笑って、立ちあがる。そのまま、校舎に向けて歩き出した。
 後ろで、一樹も立ちあがる気配がした。
「…おい、……けよ」
 風が強く吹く。何を言っているのか聞き取れなくて、私は振り向いた。
「え?」
 パシャリ。
「…え?」
「展示用の写真、撮影完了っと」
 いつの間にか、一樹はカメラを持っていた。
「え、ちょ、ちょっと待ってよ。展示用って、今の!?」
「そう」
「な、何言ってんの!?駄目、駄目に決まってんじゃん!…ちょっと、私今、どんな顔してた!?」
 泣きっ面である。
 冗談じゃない。相当間抜けな顔をしていることだろう。
 それに一樹は人物が苦手で、へたくそなのだ。
「ちょっと、そのカメラよこしなさい!」
「やだね!…そうそう、これお前にやるよ」
 ぐい、と、一樹が包みを押し付けた。ちゃんと受け取る前に手を放すから、私は慌ててそれを掴む。
 その間に一樹は逃げるように駆け出した。
「…一樹!待ちなさいよ!」
 あっという間に、一樹の姿は見えなくなる。恐らくこれから部室へ行って、現像するのだろう。
 はあ、とため息をついた。もう、恋心は消えていかない。
 そして、写真がどんなものかと思って、包みを開けた。
 セピアカラーの世界に、楡の木が広がる。
 その下に立つ制服姿の少女。背中を向けて、伸びをするかのように両手を伸ばしている。
 風が吹いている。スカートが大きくめくれて、あと少しで下着が見えそうなほどだ。
「…これ、まさか」
 覚えがあった。あのあと、慌ててスカートを押さえて、周りに誰かいなかったか振り見た記憶がある。
「これ、私…?」
 茫然とそれを眺めた。
 これは、ある意味、人物だ。
 すごく、良いと思った。これが私を隠し撮りしたものだとしても。
 思わず、吹き出してしまった。もしかしたら、一樹はこの時から私のことを好きだったのかも知れない。
 そう思うと、自然と自信が出てきた。
 もう、悩んだりしない。
 一樹と私は周りから公認の、お似合いのカップルなのだから。


 余談だが、一樹の私を撮った作品は、学内投票で一位に輝いた。




完。



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