2.
翌日、朝から部室で写真を現像していた私は、やや遅刻気味に教室へと戻った。すでに先生が来ていて、連絡事項を伝えている。私に気がついた先生が軽く咎めてくるのに、同じく軽く謝罪して、席についた。
荷物を机の横にかけて一息つくと、隣に座った友達の陽子が小声で話しかけてきた。
「さっき、飯島君が来てたよ」
「あ、そうなの?何だって?」
「…さあ、また来るって言ってたけど」
「ふうん」
と、気のない返事をしたら、陽子は微苦笑して前に向き直った。
陽子は中学生の時からの友達で、とても仲がいい。というか、あまり遠慮のない関係だ。正面から悪口を言い合ったり、下ネタで盛り上がったり、とにかく気安い存在なのだ。
そして当然、私と一樹の付き合いのことも良く知っている。
事あるごとに私が愚痴をもらすからだ。
よく、周りからは贅沢だって言われる。
一樹はもてるし、優しいし、私のことを好きでいてくれるのだから、愚痴なんて言うものじゃないって言われる。
でもそんないいものじゃないということを、陽子は知っている。
だから陽子は私の味方である。
先生が教室を出て行くと同時に、教室は心地よいざわめきに包まれた。陽子が、こちらに椅子を向けて話す。
「もしかして、また?」
「…ううん、今回はちょっと違う」
陽子が言っているのは、嫌がらせのことだ。
一時期私は、誰かから嫌がらせを受けていた。一樹と別れろとか、私の悪口だとか、そういう類の手紙が来たり、無言電話があったり。けれども、テレビでとりあげられるような、酷いいじめのようなものに比べると、大したことではなかった。もちろん私はすごく嫌に思ったが、ある意味感心したものである。
その誰かは、そんな労力を費やすほど一樹のことが好きなのだ。…時には一樹が他の女の子と街を歩いている写真などが送られてきたりもした。
最近は、それもめっきりなくなってしまったが。
「じゃ、何?」
「…ラブレター」
「…へ?」
私の応えに、陽子は目を丸くした。ちょっと意表をつかれたという感じだ。
「え?それって、飯島君にってこと?」
「当然でしょ?私に来るわけないじゃん」
私はちょっと不機嫌そうに言う。
陽子はまあまあ、と私をなだめた。なだめられても、逆に馬鹿にされている気分だった。
「でも飯島君、あんたに一筋のはずでしょ?」
「…ならいいけど。でもその割によく他の女と目撃されてるんだよね。この前はM女の子だったって」
「へえ、他校の生徒にまでもてるんだ。…そうか。飯島君、塾に行ってるんだっけ?それでかな?」
「かもね。まあ、そんなことはどうでもいいんだけど」
その事実自体はどうでもいい。けれどそういった目撃情報を、聞きたくもないのに教えられるのが嫌だった。この学校の生徒はお節介だ。…それというのも去年の文化祭のせいなのだけど。
でも、そのお節介が、時に私をひどく落ち込ませる。
それでも本当に一樹の彼女なの?と、暗に言われているような気がした。
「…もしかしてあんた、そのラブレターを口実に別れようとしてる?」
「それは……分からないけど」
言いよどむ私の顔を、陽子はじっと見る。
「…何?」
「冴えない顔してるな〜と思って」
「…どうせ不細工ですよ」
「そうじゃなくて。…恋する女子高生からは程遠いなってこと。恋愛してるようには見えないよ?」
「…かもね」
私はそう言ってため息をついた。
ため息をつくたび幸せが逃げていく、とはよく言われることだが私場合、一樹に対する恋心が消えていくようだった。
「これ、コピーだって」
「…はあ?私が?」
2時間目の休み時間に、一樹は私の席にやってきて二枚の紙切れを突き出した。
「放課後までに、50枚。半分に切って100枚ってことだな」
紙を受けとって見ると、それは写真部展示のチラシだった。2種類のデザインがある。これを2枚並べて印刷するのだろう。
「…一樹がやればいいじゃん」
「俺、昼休み係りの仕事があるんだよね。そして放課後は例の呼び出しがあってね」
「あっそ。…はいはい、分かりましたよ」
「うわ、ムカツク態度だな〜」
一樹は思いきり顔をしかめて言う。
しばし沈黙していたが、やがて苦笑すると私の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわし、「じゃ」と言って去っていった。
もう、わざわざ頭を乱さないで欲しい。
私は頭を撫でつけながら、一樹の背中を見送って、更にため息を一つついた。
そうして昼休み、私は頼まれたチラシをコピーするために、進路室へ赴いた。うちの学校は進路室にコピー機がある。
「…そういえば、お金は私が自腹で出すのか…?」
一人呟いて、財布から五百円玉を出す。
コピー機の蓋を持ち上げ、チラシをセットすると50枚と設定してスタートを押した。電子音やらなんやらの音が、誰もいない進路室に響いた。
しばらく時間がかかりそうだ。
私はその場を離れて、進路室の奥の受験資料が置いてある棚を眺めた。
「…あ、誰か使ってるみたい」
ふと、入口の扉が開いて、人が入室してきた。
ここからは調度棚が邪魔をして、誰なのかは分からなかったが、女の子の二人組のようだった。
「…50枚だって、相当時間かかるね」
「うん、このコピー機印刷速度遅いもんね。出直すか。…あ、これ写真部のチラシだ。ユウコ、写真部って確か飯島さんが入ってる部活だったよね」
ドキっとした。
「うん、そう」
「ユウコ、ついに手紙書いたんだって?」
さらに、鼓動が早まる。
…そのユウコって子がラブレターの差出人なのだろうか。
「…うん、今日、放課後」
照れを含んだ可愛い声が、そう言った。
間違いない、このユウコって子が差出人だ。
「飯島さんが付き合ってる彼女、何て言ったっけ?」
「…うーん、忘れた」
「一時期有名人だったけどね。まだ別れてないのかな」
「分からないけど…関係ないし」
「まあね。…あー、まだ10枚か。やっぱ出直そ。行くよ、ユウコ」
ガラ…ピシャン。
扉の閉まる音を聞いてから、私は大きく息をついた。
何ていう偶然だろう。
「…関係ない、か。…余裕ってこと?」
好きな相手に彼女がいようがいるまいが、関係ない、ということは相当自分に自信があるのだろう。
…私とは、正反対だ。
私は自信がない。
一樹とはつりあっていないと思うし、その劣等感を一樹のせいにして別れようとしている。
最低だ。気ばかり強くて、全然素直になれなくて、最低の彼女だ。
やっぱり、これを機に別れるべきなのかもしれない。
ユウコって子に、譲るってわけでもないけれど…