1.

 その日は雨が降っていた。
 雨はしとしとと昨日の晩から振り続き、外界の全てのものに雫を与えている。
 星野美紀は雨の風景を窓から眺めながら、そっと息を吐き出した。かすかに窓ガラスが曇り、それもすぐに消える。
 アンニュイな日曜日の昼下がり。
 窓辺に椅子を置いて何も考えずに過ごす一時。
 美紀はゆったりと静かに時間を過ごすのが気に入って……
「ぎゃははははははははははは!」
 ……そんな下品な笑い声は無視して。
 改めて、美紀はこんな静かな時間が……
「いや、マジこれおもしれーって!」
 そんな雰囲気ぶち壊しの叫び声に、ついに美紀は切れた。窓辺の椅子から立ち上がると、自分の部屋を出る。
 そして、自室を出てすぐ正面にある扉を、思い切り良く開けた。
「ちょっと、お兄ちゃん、うるさいよ〜! せっかく私がアンニュイな気分にひたってるってのに、下品な笑い声上げないでよ〜!」
「……あ?」
 美紀の二つ上の兄、将行は笑いの余韻を残した表情でこちらを振り返った。
 その間抜けな顔に、怒りを納めきらなかった美紀は尚も文句を言おうとして口を開ける。ここらで一つ、言って置かなくてはならない。兄妹とは言え、お互いのプライベートは尊重すべきなのだ。
 ……と、深く息を吸い込んで声を発しようとしたその時、将行の隣に腰掛けていた人物を見て、動きが止まった。
 彼は雑誌を手に開いたまま、少し驚いたような表情でこちらを見ている。
「……み、みみ、三月先輩っ?」
 一瞬で赤面し、美紀は一歩あとずさる。
「あ、……お邪魔してます」
 三月先輩はにこりとして、そう言った。
「な、ななな、なんで先輩が……?」
「何言ってんだ、お前」
「……あああ、あの、汚いところでしゅが、ごゆっくり! 失礼しました!」
 バタン!
 美紀はその言葉を言い終わるやいなや、勢い良く扉を閉めた。
 自室に駆け込み、ベッドにバタリと倒れこむ。美紀は赤面した顔を布団に押し付けて、肩を震わせた。震わせていたかと思うとガバッと身を起こして……再びベッドに突っ伏する。
 嬉しさとショックで、なんと表現したら良いのか分からない感情がわきあがっていた。


「も〜〜、どうしよ〜。私、先輩に変な子だと思われた〜」
「まあまあ、いいじゃん、先輩に会えただけで」
 半べそ状態だった美紀は、その言葉にはたと我に返ると、ほう、と息を吐き出して言った。
「そう、相変わらず三月先輩ってかっこ良かった……」
 美紀の百面相ぶりと目の輝かせぶりに、綾部久美子は呆れたような顔で肩をすくめた。よくこんなにころころと表情を変えられるものだ、と半ば感心してしまう。
 美紀と久美子は高校の入学式の後にトイレで知り合い、そして同じクラスだったことから、友達になった。入学してから早三ヶ月。
 美紀は入学式の時に案内してくれた三月先輩に一目ぼれ。それから何とか彼のクラスを探り当て、こそこそと見張った結果、彼が三月と呼ばれているのを聞いた。
 三月先輩、三年B組。身長百八十センチ以上、体重六十二キロ(推定)。髪は直毛のサラサラヘアーで、芸能人ばりの整った容貌に、切れ長の瞳……
「ちょっとあんた、マイワールド構築してないで、次移動だよ」
「あ、そうだった。家庭科、家庭科」
 美紀はすっくと立ちあがると、荷物を持って教室を出る。 久美子はその隣を歩きながら、「まあ……」と言う。
「まあ、あんたの兄ちゃんとその、三月先輩が友達だったとはね。ていうかあんた、今まで知らなかったのかい」
「だって今まで家に来たことなんてなかったんだもん」
「あんたの兄ちゃんもこの学校なんだから、可能性はなきにしもあらずだったでしょ。まあ良かったじゃん、これで色々聞き出せるし」
「え〜? でも、お兄ちゃんって意地が悪いからな〜。私が先輩の事好きって知ったら、何か変なことされそう」
「あっは、まじで」
 久美子は人事だと思って面白そうに笑う。美紀は恨めしそうな顔をして、久美子を睨んだ。
「そういう久美子はどうなの? 元彼とこじれてるって言ってたじゃん」
「あ〜? ……ああ、それね。別に。もう連絡とってないし」
 久美子は夢見がちな美紀とは違って、そういうことに淡白だ。 実際久美子は、何となくあか抜けてて顔も美人な部類に入るだろう。輪郭はほっそりとしていて、顔も小さい。身長は美紀よりも高く、すらりとしていた。髪型もやはりおしゃれで、肩までの髪を外側にはねさせている。
 背も小さく丸顔で、クセ交じりの髪を持て余している自分とは、全然違う。
 更に彼女は勉強もそこそこ出来て、運動も出来る。何せ陸上部に入っているくらいだ。 何のとりえもない美紀にしてみれば、憧れてしまう。更に言えば、今まで何人かと付き合ったことがあるそうだ。
 しかし美紀は、恋愛に関しては初心者である。
「なんでー? まだ好きなのかもって言ってたじゃん」
「でもさあ、恋愛なんて会えてなんぼなんだよ。一緒にいられる時間がほとんどないんじゃ、意味ないっしょ」
「そんなもんなの? ……私遠距離恋愛にも憧れるけどなあ〜。会えないほどに、深まる愛っていうの?」
「……ぶっ! そんなこと言ってるから、彼氏出来ないんだよ。夢見すぎ!」
「あ、ひど〜! 彼氏出来ないのは今まできっかけがなかっただけだもん!」
 美紀はわざと拗ねたような顔をして、早足になった。
 久美子は苦笑しながらそれを追った。

home/index/next