2.

 その晩、美紀は夕飯の席で何気なく将行に話しかけることにした。
 夕飯の席には二人しかいない。冷蔵庫に用意された食事を暖めなおして食す、少しだけ寂しい食卓だ。
 話を始める前に、美紀は品定めするように、改めて将行の容姿を眺めた。
 髪は短く、ちょっと茶色く染めており、更にワックスでツンツンと立てている。顔立ちは、はっきり。二重まぶたで目も大きく、鼻はどちらかと言えば高くはっきりとしていた。口は普通。
 まあ、中の上くらいの容姿だろう。もちろん、三月先輩には敵わないけれど。
 ただし、女の子にもてるかと問われたらそれは疑わしい。最近は彼女もいないようだし、家に女の子を連れてきたことは一度もない。こんな兄に、恋愛の相談をするのはどうなのだろう。
   そんな妹の心中を知ってか知らずか、将行はバラエティ番組を映しているテレビを見たまま、もくもくとご飯を口に運んでいた。
「ねえ、お兄ちゃん、昨日来てた人さあ……」
「あ? ……ああ、三月ね。三月が何?」
 将行が美紀の言葉を聞き終える前にそう言ってニヤリと笑ったので、美紀は言葉に詰まった。
 やっぱり、嫌な予感がする。
「やっぱ何でもない」
「……ふうん?」
 その後の食卓でも、将行は一人ニヤニヤと悦に入って何か考え事をしていたようで、美紀はやっぱり言うんじゃなかったと、後悔した。


 将行がやはりというか、行動に移したのはその日のうちだった。美紀はすでに寝支度を整えて、自室で机に向かっている。
「おい、美紀入るぞ〜」
「……何? 今忙しいんだけど」
 美紀は今まで書いていた日記を、さっと閉めて振り向いた。
 風呂上りの、トランクス一枚という格好で将行は部屋に入ってくる。美紀の机の上の日記を一瞥すると、ほくそえんで話し出した。
「お前さあ、三月のこと好きなんだろ」
「な、何いってんのっ?」
「まあまあまあまあ、お兄ちゃんに任せろって」
 ……何を任せろというのだろう。
 だいたいこの将行は昔から美紀をからかって面白がる癖があり、こんなふうに話を持ちかけられた時は、大抵嫌な目に会うのだ。
「ちょっと、余計なことしないでよね。私は別に、三月先輩の事なんか……」
「ほほ〜。往生際が悪いね。あの日のお前の慌てようを、俺は忘れないぜ。『あ、あの、汚いところでしゅが、』……って何だよ、『でしゅ』って!……『でしゅ』って! ぎゃははははは!」
「……な、何、そんなこと言ってないもん!」
「いや、言ったね。俺の脳裏にまざまざと蘇えるね。三月なんか笑うどころか呆れてたね」
「う、うそ!……そんな〜」
「まあ、だからだ」
 将行はどっこいしょとベッドの端に腰掛けると、頭を肩にかけたタオルでごしごしこする。
「俺が可愛い妹のために一皮ぬごうっていうんじゃないか」
「それを言うなら一肌でしょ」
「わざとだ。……それでな、早速だが夏休みに……」
 将行はそこまで言いかけたが、ふと、ぼけっとして聞いている妹を見て、「ばっかもん!」と叫んだ。
「せっかくこの妹思いのお兄様がお前のキューピッド様をしてやろうというんだ、メモしろメモ!!」
「は、はい!」
 美紀は勢いに押されてメモ張を開くとペンを握る。
「仕方ない。まず、お前のために取っておきの情報を公開するが、いいか、聞き落とすなよ。二度はないぞ」
「う、うん」
「まず、三月の下の名前は隼人。誕生日は十月三日のてんびん座、血液型はAB、趣味は映画鑑賞と油絵、美術部と弓道部に所属。 身長百八十一センチ、体重七十二キロ、足のサイズ二十七てん五センチ。両親に姉一人、爺、婆の六人暮らし。暮らし向きは中の上。 成績優秀、スポーツ万能。スポーツテストはもちろん毎年一級。弓道では県大会準優勝、現在クラス委員である」
「……は、早いよ〜」
 美紀のメモの後半はミミズがのたくっている。
「ふん、そんなのは知らん! ……それで、ここからが重要だ。テストにも出る。いいか、今度の夏休みあいつは弓道部の合宿に行くんだが」
 美紀は夏休み、と書いたその頭に意味もなくグリグリと丸をつけながら、次の言葉を待つ。
「その合宿のあと二、三日は予定がないらしい。そこで俺は、そのままその場所に滞在し、ぱーっと遊ぼうと奴を誘った」
 将行は腕を組んで続ける。
「しかし男二人だけで遊ぶのもなんだ、場所は海! の、近くであることだし、これは女もいた方が良かろう」
 メモには、「合宿、遊び、海! 女」と書かれる。
 海……女……
「お兄ちゃん、まさかナンパするつもり? 懲りないねえ」
「……ぶわっかも〜〜〜〜〜〜ん!」
 将行は怒りを露わにして立ちあがると、美紀の両頬をぶに〜とひっぱっり、上下に動かす。
「い、いふぁい〜〜な、なにふんのさ〜!」
「お前は本当にこの俺の優しさが分からんらしいな。……女、とはつまり、お前だ」
「……え?」
「そりゃ女のうちの一人がお前とくれば俺としてはがっかりだが、まあ、仕方がない。お前の友達一人で我慢しよう。……いいか、彼氏のいない奴を連れてくるんだぞ」
「……ええ? ちょっと待ってよ、私が、……先輩とつまり、海へ?」
 美紀は唖然として尋ねる。将行は大げさに深く頷くと、いつものようにニヤリと笑んだ。
「お前にしては上出来だな」
「そそんな、いきなり海なんて、無理だよ〜」
 冬に溜め込んだ脂肪はまだしつこく残っている。水着姿になんてなれたもんじゃない。
「不満は言わせん。お前に拒否権はない」
「ええ〜? 私のためにって、言ったばっかじゃん!」
「ん? 聞く耳もたんな。……じゃ、そういうことだからまあ、頑張ってダイエットでもしろ。可愛い友達も誘っておけよ。日程は八月の二日三日、場所はT海岸の近くだ」
「……ううう、何だか釈然としない」
「じゃあ、やめるか?」
「そ、それは……」
 美紀が言葉に詰まると、将行は満足そうに、「じゃ」と言って部屋を出ていった。
 

 

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