Change or dwell ?

辛島司朗

昨年は「変」の年とされましたが、実は広く天下を一変させるような百年に一遍あるかないかの「大変」な年になりました。
経済の前途を見縊って誇らしげに豪語して、大恐慌などありえないと学者やエコノミスト達は、今なお大恐慌の言葉を避けて「大不況」と言ってお茶を濁してしまっています。既に日本などの事態は「満州事変」前夜に比定されてさえいます。
翻って劇震の張本源であるアメリカを見れば、俗心塵枉極まる市場社会に名乗りを上げた若英の若華を咲かすのか枯尾花に終るのかは知れずとも、とにかく呼び声も高くChange!のスローガンを天下に響かせ、人心を掴んで政権を握りました。
しかし、アメリカの後塵を拝し続けてきた日本は、ついに全身全霊を入れ上げて今や一蓮托生の境涯に入ろうとして安全配慮どころか安全ネットを張ることもなく、労働者の人格を無視して機械装置の附属部品あるいは資材扱いするようになりました。この日本に生まれて、便便と世にあって無為徒食のままに存命しつづけ時には呦呦と悲泣する沈魚落雁の老残も、勉勉としてきた耆宿とともに猶 dwell して、変化変易を図りながらも三段の変容ならぬ <易、変易、不易> の三義の化易を思わざるをえません。


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