オバマ大統領の登場の意味



杉野元子
(2008.11.9.頃から書き始め、2009年1月上旬に脱稿したものです)



長い大統領選挙の末、バラク・オバマ候補が勝ち、アメリカ第44代新大統領に選出された。しかし、オバマ氏選出の結果をどう受け止めたらよいのだろうか。いみじくも氏自身が言っているように、オバマ氏は氏に票を投じたアメリカにはもちろん、果たして世界に対してはなにをもたらすことになるのか、急には明らかでない。
オバマ氏は選挙期間中ずっと、ひとつのアメリカを訴えて勝った。勝利宣言と訳される11月4日のシカゴの受諾演説 presidential acceptance speechでもアメリカはひとつであるということを具体的に述べて、すべての人は老いも若きも、富める者も貧しき者も、民主党派も共和党派も、黒人も白人もヒスパニックもアジア系もネイティブも、同性愛者も非同性愛者も、身障者も通常者もすべて含めて一様に一つのアメリカ人である、アメリカは個々人の寄せ集め collectionではなく、民主党支持州と共和党支持州との寄せ集め a collection of blue states and red statesでもなく、ユナイテッド・ステーツであると、幅広い一体性を訴えた。
オバマ氏は民主党所属の候補であったが、アメリカの大統領は上下両議員とは独立に選出され、議会から独立の強い権限をもつ主権者である。大統領は出身党の拘束を超えている。オバマ氏の選挙戦は本選よりもむしろ党内の指名を受けるまでの、とくに最後のヒラリー氏との鬩ぎあいが激しかったが、オバマ氏の姿勢は問題の多すぎる現大統領ブッシュの8年の否定ではあっても、共和党と民主党の対立という性質のものではなく、実際に本戦に勝ってからはヒラリー氏ばかりでなく共和党出身の現職をも政権内に取り込もうとしており、言葉だけでなく実際に挙国政権をめざしていることが明らかであろう。しかし、観測筋によってはこの姿勢に「のっとられ」の危惧を示しているものもいる。確かに就任後の政権運営は楽観を許さないものがあり、従来の共和党勢力の新古典主義的な抵抗もあり、また政権内の敵対勢力のあらわれるおそれもある。まして、大恐慌を思わせるほどに深刻に憂慮されるべき経済的危機に襲われている現在である。
これを歴史的にみれば、古代アレキサンダー大王の民族融和政策を連想させるものであるといえば大げさにすぎるであろうか。
歴史をみれば、ひろくどの時代社会でも、ずっと分離分裂傾向の鬩ぎあう力と、それを止揚する協調統合傾向の力との交替をみてとることができるが、オバマ大統領の登場は人々の総意として、ブッシュ・ジュニア政権下でしばらく続いた分離傾向よりも協調統合傾向が選択されたということができよう。しかし、アメリカ国内の一致的調和をはかろうとすれば、対内的な調和のかわりに、これまでのグローバリズムに反して国際的なモンロー主義的閉鎖社会を将来することになるかもしれない。いままでの一国主義は世界制覇的一国主義であったが、これに反して鎖国的一国主義に転換する惧れもある。


アメリカは、ほぼ同じ頃に近代の世界史上に姿を現しながら単一民族国家を標榜する日本とは根本的に異なった多民族国家であるが、このアメリカの特徴的二面性の一つは、英国植民地支配からの脱却独立にはじまり、大陸を横断して太平洋までの拡大拡張を遂げたのち日本に開国をせまり、のちにはハワイ諸島の領有とフィリピンの基地獲得に至るが、ついには第二次大戦時には日本との間でいわゆる太平洋戦争を展開するに至った。他方では南北両アメリカ大陸を併せた新世界の旧世界からの分離独立をはかるまでにいたり、その新世界の盟主をもって任ずるにいたると同時に、モンロー主義としてよく知られているような干渉排除的で内向きの分離独立傾向の完成に向かった。一言で言えば、いわゆる東部十三州からはじまって、宗主国イギリスからの分離独立はついには南北両大陸からなる新世界の旧世界におけるヨーロッパから独立した新世界を形成するモンロー主義の主張にいたるのである。
第二次大戦の勝利以後は米ソ二大対立を経ての連合軍によって自由主義陣営の盟主となり、新たな自由主義的世界秩序形成を主導するとともに、世界の警察を自認し標榜しながら世界各地に出兵するとともに、外交的国益主張は自由主義陣営内からはじめてソ連崩壊後のグローバリズム的世界市場形成に及ぶことになった。
これは民族的隔離や差別の縮小消滅的一体化にむかうことに伴って、今日オバマ氏の大統領選出という歴史的な出来事を迎えるにいたったのであるが、その反面でグローバリズムは資本主義的市場主義についてばかりではなく、軍事支配の世界化をも含むべきものとしての認識を欠かせない。つまり、今まで述べたように、他面における植民地支配ともいえなくもないアメリカの拡大拡張主義が直ちに忘れられていいわけではないのである。
ヨーロッパの競争主義的個人主義を根底的に引き継ぐアメリカにおいて、オバマ氏のいう一体性がどの程度実現しうるかが問題であると同時に、どのような意外な弊害が警戒されなければならないだろうか。独断的な全体主義の危険はないのだろうか。
未曾有の経済危機という課題についてみれば、オバマ氏は大恐慌という課題に取り組まなければならなかったF・ルーズベルト大統領就任時と似た状況におかれているが、この経済的危機も根本において、私益追求の資本主義の欠陥の露呈したものと考えることができる。しかし、アメリカにおいて社会主義的政策を実行してのけたF・ルーズベルト大統領にみられたすぐれた理念にもとづく稀有な政策能力を、オバマ氏に期待できるかどうかは未知数である。むしろそのことが選挙戦の追い風になったともいえるかもしれないが、少なくとも実務経験についてはなんともいいがたく、当然アメリカ生え抜きの名家出身のF・ルーズベルトに比して基盤が弱いであろうオバマ氏が現在の資本主義の別格本山ともいえるアメリカ資本主義をこの危機に乗じて修正することはできるだろうか。
オバマ氏のものの考え方そのものが、いや氏の出自や育ち自体もグローバルともいいうるものであって、ヨーロッパ的個人主義的傾向とは一線を画しているともいえる。他方で、ヨーロッパのありようについてみても、現在EUのような協調的統合的力の働きもみられるとともに、中国やインドのような非西欧的文化伝統をもつ異質のいわゆる「新興国」も力をつけてきている。
そうした状況の中で、いよいよバラク・フセイン・オバマ氏の第44代大統領就任の日も旬日の後に迫った。われわれは氏のChange!とYes,we can.というプロパガンダ・スローガンと確信的かつ誓約的言下の追認によって示された氏の理想を応援し後押しして、従来の大胆に活人剣を振って徒らな博奕的競争的傾向に止めを刺して、国際社会を安定させ、人々の安全をこそ第一とし根本原理とする政治を展開できる社会になるか、それとも空しく賻賵 (ふぼう) に終ることに終るのか。決してそのようなことのないように、せめてわれわれも軌を一にして壱唱三歎の和に加わるぐらいのことはしたい。


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