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憲法問題としていえば、その国際的問題にもかかわるものの外にも、これはこれで信仰の自由を論ずる際にも決して見逃すことのできない国家社会の根本にかかわる大問題を孕む問題である。
当節、国際的関係を論ずる際に、徒に競争、争闘的に国益を論ずることが流行って、これに対する反論も弱弱しいようであるが、協調妥協して仲の道としての中道を選ぶことのない外交とは何なのか。ただただ戦争もしくは勝敗的結果を前提とするのみのものなのであろうか。そしてまた、それとともに「安全・安心」「安心・安全」などといって不当に政治行政的場面での「心」への却って責任回避にもなる無反省な言及がみられる。心は基本的に個々別々の個人に帰せられるべき問題で、国家社会の問題は殆どその前までのものに止める厳格かつ慎重な姿勢を欠いてはならない。政治や行政がやたらに「安心」を語るのは何かおそろしい結末が待っているような気がしてならない。
先程論じておいたように、分祀不可能論者の考えの背後には死ねば皆神という思想があるが、しかしそれもイデオロギーなどの一種で強制的にすべての人に押し付けうるものではない。それはあまりにも独善にすぎると言わざるをえない。日本国内においてもそうだが、多分かの人たちにもそれを認めさせようとする根拠は一体何なのか。丁重に了解を求める、求められればありがたいといった性質のものであろう。
このことについては、はっきりさせなければならない二つのことがある。国民に対して信仰の自由を憲法が認めているということは、この憲法が九条関連の疑問とは違ってその点での有効性が失われていない限り、靖国神社に参拝しない自由も認められているということである。そしてその上で、中国、韓国の再三にわたる反省要求がなされるわけであるが、明確な形の要求以前のうちの外交的配慮を伴った意思表示を内政干渉として、国内要求を躱(カワ)し無視するように一言のもとに切って捨てられるものだろうか。しかもこの要求は近い過去における動かしがたい歴史事実に基いているものなのである。内政干渉を非難しうるのは全く国内にのみ問題を惹き起こすにすぎない場合であるが、たとえその波及の問題にすぎないとするにせよ、今日の日本と日本をめぐる近隣諸国との間の平和友好の基礎となっている問題にふれるのならば、日本的伝統といってすませるわけがない。
伝統については、捨てなければならないものやことが限りなく多いほんの一例をあげれば、明治の日本では、アメリカではまだ銃の禁止ができていないというのに、西欧的近代国家にクラブ入りするために断髪廃刀を行なっているではないか、一般の公共的入浴施設では男女混浴は廃せられたではないか、歴史上王族とともに古いとも言ってのけられる売春婦について、少なくとも公娼は新生日本ではよかれあしかれ廃止されたではないか。それらは確かに信仰問題ではない、しかし首相が堂々と首相としての立場から国際に明らかに問題視されざるをえない宗教的行動をとり、しかし、関係諸外国の度重なる不快表示をものともせず、国会で取り上げられるに至っては堂々と判で押したように内政干渉と繰り返してやむことがない。「内政」をむかしの「陛下」や軍に置きかえた神聖不可侵の位置にまつり上げることに外ならないという外に言うべき言葉を知らない。実際にこれに対して、野党ばかりでなく与党反対派がはかばかしく反論し切れないのに加えて、外の政権内の人間さえ、政治の公式表明と常に殆ど時を同じくして明快極まりない形で反対の意見を発表もしくは表明するのである。これは内政問題とか、さらには首相の行為が個人の信仰心の問題とかを強弁していて、頭かくして尻隠さずというというか、意識的確信犯的言行一致的行為として捉えざるをえないのである。反論の一つの有効な根拠として用いられはすまいかと思うのであるが、ここで一つ忘れてならないことがある。
「住まい」が「住まふ」からくる語であることはいうまでもないが「住む」とは、そこに主であることであるが、それは即ち往(ゆ)かずして住(とど)まることに外ならない。しかし、それはともかく、氏神が産土神としての神とも神として通ずるものであれば、君主であれ民主であれ、そこに主(とど)まる主の国土即ち國土ということになり、占主の自衛安国の神といってよいであろうが、靖国神社を性格づけている靖国は安国もしくは立正安国の安国と果して同じことと言えるのであろうか。靖は綏国とも熟し、また安は綏安とも熟するが、靖国は必ずしも安国と同じとは言えない。綏には上から下への含意が基礎にあり、これと熟するように清は靖に通じ、靖難のように熟して乱れを鎮める意を含む。しかもそれは決して智や覚による安定の安ではない。安泰とも安寧安楽とも熟し安全の語をつくる安には綏にみるように爪を含むものではない。安は何よりも動作や行為を示す語であるが、状態を示す力が強いと言うべきであり、かつ靖のように請のうちの言とも違う立が含まれる字である。位や位取りが忘れてならない靖の含意であると言ってよい。結論をいえば、結局のところ「定遠」と並べて「鎮遠」そしてまた「綏遠」ともいわれるようなこの種の定には内に干戈の音、爆裂の響きがするのである。ここで考えておかなければ、今は民営ながらも靖国を名にし負い、侵略的戦争のシンボルとして日本的神祇を一時制圧してしまっていたその神社に外ならない靖国神社とは何なのかということである。
当節大問題化していることであるが、決して省みられることのないその裏にある大問題は、「○○神社を参拝する」と言って憚らないことであると言いたい。いろいろとある神社参拝はたまたまの参拝では決してなく、「靖国」の神社であるからこそ、そこにそれと詣ずるのである。そしてそこに詣(いた)るのは、参詣するのは人即ち参詣人なのであって、神は時にそこに詣る即ち降下し寄り付くのではなく、定住してそこの神座にあって自ら鎮座するのである。靖国神社に参詣して靖国の霊である神を拝するというのでなく、あくまでも靖国神社を拝するというのであれば、神社と神は一体であるのでなければならないことになるが、まさしく靖国神社はそうした神社なのである。しかし、神はそこに定着固着させられてしまって、「何処何処に坐す」ものとして祀られるものであるが、しかも各地に垂迹しうる普遍的存在性も、人格や神格に共通する自由さや自在性をもちうるものでもある。靖国神社などそのような自在性、自由さを徹底的に奪われ失われてしまう。従ってもともと靖国の神は氏神的ながらも今や産土の神などのように、しかし産土神のような自然な領域とは全く別の、人からの縛りをうけることになるのだといったら言い過ぎであろうか。そうなると、当然狭く狭く神祕性を制約され、権現力も垂迹力もない隷属的存在になってしまうともいえる。
当節、祀った以上は、除霊除籍はできない、分霊もできないなどと言われたりするが、たとえそうであっても、それで神の加護を願って、昔から宇佐神宮から男山石清水八幡の、さらに鎌倉八幡宮更には全国各地と拡がった八幡神社や諏訪神社をはじめ、天満宮その他を勧請し、分社されている例は数限りなく、分霊できないなど信じがたい。しかも多くの人がそうしている。守護を受けられなくなるどころか、祟り神の本性を発揮されたりすることがあるとも言われているが、いざとなれば神社ごとまるごとのお焚き上げという手もなくはなかろう。歴史上いくらでも見られるところである。いざとなれば、人は神と闘えるのである。小泉首相が自らをそれに擬する信長などに見るように、少なくとも無信仰者はそれを恐れず焼尽の限りも、頼朝のように加護がなければ用済みの御札などのようにまるまる焼き払ったりもすると脅迫したりもするのである。
あとがき
本来の神を奪い、言葉を奪って、逆には日本の言葉と日本の神を他国に押し付けたりしてきたのが日本であるが、その日本は米英などに敗けたのであって、中国、まして決して中共や朝鮮、従ってまた韓国などに敗けたのではないという考えがある。戦後の「平和日本」にもそれが一応の伏流となって流れていたばかりでなく、一部の自由主義的立場の人達にあって強い底流をなしてもいたように思われてならない。今日、日本国内に勃興し今や席巻の勢いをしめしているこの危うい状態についてざっくばらんに言えば、岸信介、福田赳夫達の対等平等な平和への協力というあり方を開こうとした流れに関する理解力不足によるものと言わざるをえないのであるが、そのエピゴーネン達は時の流れを見損ない、師匠たちの真意を捉え損なったアナクロニズムに支配されているのだと考えるのがもっとも正しい認識であると言わざるを得ない。
われわれは平和の内実について言うことを傍(ワキ)においても、大戦後60年間体感した「平和」というものの有難い恵みについて決して蔑ろにしてはならないだろう。そのことについて大方にとっては異論のある筈はまずないと思われるが、しかし十分に論を展開しておくことは必要であろう。そのことを展開するのは稿を改めてのことにしたいと思っているが、この際、この稿を一旦締めるに当って、折から、東京新聞15日朝刊第二面の「憲法を語る」欄に、箕輪登元郵政相の話の聞き書が載っていることを言い添えておきたい。残念ながら高橋哲哉氏の『靖国問題』はまだ手にしていないのであるが、私は箕輪氏に関して殆ど知らないにしても、そこに読むところは全くといっていい位に我が意を得たところである。
2005年8月15日朝6時半脱稿