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  「住まい」が「住まふ」からくる語であることはいうまでもないが「住む」とは、そこに主であることであるが、それは即ち往(ゆ)かずして住(とど)まることに外ならない。しかし、それはともかく、氏神が産土神としての神とも神として通ずるものであれば、君主であれ民主であれ、その領土はそこに主(とど)まり主たるものの国土即ち國土ということになり、同時に所有者の氏神は占主の自衛安国の神といってよいであろうが、そのようなものになる。

  しかし、靖国神社を性格づけている靖国は安国もしくは立正安国の安国と果して同じことと言えるのであろうか。靖は靖綏(せいすい)とも熟し、綏(すい)は綏国ともなるが、また安も綏安と熟するが、靖国は必ずしも安国と同じとは言えない。綏には上から下への含意が基礎にあり、これと熟するように清は靖に通じ、靖難のように熟して乱れを鎮める意を含む。しかもそれは決して智や覚による安定の安ではない。

  安泰とも安寧安楽とも熟し安全の語をつくる安には綏にみるように爪を含むものではない。安は何よりも動作や行為を示す語であるが、状態を示す力が強いと言うべきであり、かつ靖のように請のうちの言とも違う立が含まれる字である。位や位取りが忘れてならないのが靖の含意であると言ってよい。結論をいえば、結局のところ「定遠」と並べて「鎮遠」そしてまた「綏遠」ともいわれるようなこの種の定には内に干戈の音、爆裂の響きがするのである。ここで考えておかなければ、今は民営ながらいみじくも靖国を名にし負い、侵略的戦争のシンボルとして日本的神祇を一時制圧してしまっていたその神社に外ならない靖国神社とは何なのかということである。

  当節大問題化していることであるが、決して省みられることのないその裏にある大問題は、「○○神社を参拝する」と言って憚らないことであると言いたい。いろいろとある神社参拝はたまたまの参拝では決してなく、「靖国」の神社であるからこそ、そこにそれと詣ずるのである。そしてそこに詣(いた)るのは、参詣するのは人即ち参詣人なのであって、神は時にそこに詣る即ち降下し寄り付くのではなく、あるとすれば定住してそこの神座にあって自ら鎮座するのであるが、多くは勧請し勧請されてである。靖国神社に参詣して靖国の霊である神を拝するというのでなく、あくまでも靖国神社を拝するというのであれば、神社と神は一体であるのでなければならないことになるが、分祀不可能というからにはまさしく靖国神社はそうした神社に外ならないことになるのである。しかし、神はそこに定着固着させられてしまって、「何処何処に坐す」ものとして祀られることになるのであるが、しかも各地に垂迹しうる普遍的存在性も、人格や神格に共通する自由さや自在性をもちうるものであるとも考えられてきている。どちらが正しいのであろうか。祭祀もしくはシャーマンの儀式によって、祭司やシャーマンによって、降臨させられるのが日本の神でもある。私はずっと以前にhappinessのhapがhappenのhapであることを指摘して、正しい幸福概念にもとづいて本格的な幸福の考察を展開したのであるが、ここでもそれは後のことにして、ここで一言だけ是非簡単に申し添えておけば、cultのcultはcultureのcultと同じくcoloreからくるものであり、colonizationに通ずる語であるということであるということである。しかし、もし生前において靖国の地において神となるもしくは神となっては靖国にあるのみならず、正しく立地している靖国神社にのみ祀られようと誓い、もしくは誓い合ったとするのなら、それはどのように考えられ信じられるのであろうか。靖国の地というべき靖国の神社にこそ祀るべきだとすれば、靖国の神社はそのような自在性、自由さを徹底的に奪われ失われてしまう。従ってもともと靖国の神は氏神的ながらも今や産土の神などのように、しかし産土神のような自然な領域とは全く別の、既定の神社に合祀されるべく人からもしくは至上のもしくは祭司の地上的人間的権威からの縛りをうけるしかない神ということになるのだといったら言い過ぎであろうか。そうなると、当然狭く狭く神祕性を制約され、権現力も垂迹力もない隷属的存在になり、執念の神に外ならないだけになってしまうのだともいえる。しかし本当に国家守護の神であるならば、屍(しかばね)、姓(かばね)はさておき神霊は国内に偏在するのでなければならない筈である。

  それにも拘らず、当節、祀った以上は、除霊除籍はできない、分霊もできないなどと言われたりするが、そうなれば、祭司や儀式の威力は絶大といわなければならない。しかしそれはそうで、たとえそうであると言われても、それで神の加護を願って、昔から宇佐神宮から男山石清水八幡の、さらに鎌倉八幡宮更には全国各地と拡がった八幡神社や諏訪神社をはじめ、天満宮その他を勧請し、分社されている例は数限りなく、とにかく分霊できないなどとは信じがたい。しかも多くの人がそうしている。それとも靖国の御魂となった以上は、各神様がそうであるかも知れないように「万霊帰一」してしまって、一箇の執念の固まりとなり、無明(アノニム)のものになって、もう個々には呼びかけ呼び戻すこともできないことになるのか。しかしそれでは、それぞれのその御魂はその死後靖国の祭祀の意志のままに祭られてその御魂としての正体をなくしてしまうのではないか。

  もしそうなれば魔術師の意のままにしか、しかも一億総火の玉ともなった守護を必ずしも受けられなくなるのではあるまいか。いやそれどころか、天満様や将門を祀って関東では山王祭と並んで祭られる明神様は祟り神の本性を発揮されたりすることがあるとも言われている一方、仏壇やその他の小物に見られるように、いざとなれば神社ごとまるごとのお焚き上げという手もなくはなかったろう。歴史上見られないこともない。いざとなれば、人は神と闘えるのである。

ましてや、国民の安全をこそ図るべき国家が民間人とは言いながら国家の安泰と安全に逆らう祭司と戦えないわけがあろうか。小泉首相が自らをそれに擬する信長などに見るように、少なくとも無信仰者はそれを恐れず焼尽の限りも、頼朝だったかのように加護がなければ用済みの御札などのようにまるまる焼き払ったりもすると脅迫したりもするのである。


あとがき

  本来の神を奪い、言葉を奪って、逆には日本の言葉と日本の神を日本の固有の神として伝統してきたものとしながらも、よくこれを他国に押し付けようとしたりしてきたのが日本であるが、その日本は米英などに敗けたのであって、中国、まして決して中共や朝鮮、従ってまた韓国などに敗けたのではないという考えがある。戦後の「平和日本」にもそれが一応の伏流となって流れていたばかりでなく、一部の自由主義的立場の人達にあって強い底流をなしてもいたように思われてならない。今日、日本国内に勃興し今や席巻の勢いをしめしているこの危うい状態についてざっくばらんに言えば、岸信介、福田赳夫達の米英などの支配国に対して対等平等な平和への協力というあり方を開こうとした流れに関する理解力不足によるものと言わざるをえないのであるが、そのエピゴーネン達は時の流れを見損ない、師匠たちの真意を捉え損なったアナクロニズムに支配されているのだと考えるのがもっとも正しい認識であると言わざるを得まい。

  われわれは平和の内実について言うことを傍(ワキ)においても、大戦後60年間体感した「平和」というものの有難い恵みについて決して蔑ろにしてはならないだろう。そのことについて大方にとっては異論のある筈はまずないと思われるが、しかし十分に論を展開しておくことは必要であろう。そのことを展開するのは稿を改めてのことにしたいと思っているが、この際、この稿を一旦締めるに当って、折から、東京新聞15日朝刊第二面の「憲法を語る」欄に、箕輪登元郵政相の話の聞き書が載っていることを言い添えておきたい。残念ながら高橋哲哉氏の『靖国問題』はまだ手にしていないのであるが、私は箕輪氏に関して殆ど知らないにしても、そこに読むところは全くといっていい位に我が意を得たところである。 

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辛島 司朗
靖国神社問題