2005.12.05.

(6)

いまの日本の総理の、敗戦まで絶えることなく受け伝えられその中にはA級戦犯とされて厳しく指弾されなければならぬような戦争指導者達ないしは責任者をも旧軍人達の私的計らいにもとづいて知らぬうちに祀ってしまった靖国神社参拝の是非をめぐって、日本と近隣諸国との間の軋轢が差し迫って容易ならぬ問題になっている。どちらかと言えば、むしろ相変わらずのんびりとA級戦犯を分祀した上で靖国神社に詣でる案や、首相公式参拝をやめる案などが関係者達のみならず広く世間で取り沙汰されているものの、他方では死してはみな等しく神となると信じてもしくは称して現状のままに首相ばかりでなく一般も首相を範として国民は参拝し続けるべきであるという強硬な説もある。確かに神国日本的伝統を色濃く滲ませている風俗の日本であるから、私の思うに、個人的信念もしくは信仰なら個人的にすればよいことであるにしても、現人神的伝統に立つ天皇を戴くものと自覚している日本国の代表者である「総理」としては公式性を放棄するような埒もないことをするわけにはいかないだろう。


  確かに白昼公々然と行われる公人そのものである総理のしかも四回を数える、五回目にやっと「私的参拝」と公的に主張する参拝は、理解不能と言わざるをえない。多重人格は今流行であるが、小泉氏と公人である小泉総理総裁とに分裂してしまっているかとも疑懼せざるをえない。日本では正常のこととして認める寛大さ、小指と引きかえに杯を返すことができ、合意できればシャンシャンシャンと手締めしてまとめることができる寛容さが俗に「売り」と言われるようなこの日本国の優れた伝統的特徴であるとでも考えない限り、理解要請は到底無理であろう。中国韓国の立場からすれば、暴力的加害者がその暴虐を棚上げして「水に流そう」とする位に不当極まる猛々しい言葉にしかならず、事態を一層許しがたいものにしてしまうものになってしまうであろう。やめて然るべきである。第五回になって、事態が押しつまってから、それならばとばかりに私的参拝と称しかえてもなお飽くまでも、なお白昼公然と参拝たりするなどとは正気の沙汰とはいえない。ただそこで言えることは、分裂的多重人格性は否定され、逆に外国との協調無視の外交とは、勝ち負けの闘い争いの謂いしかないのだろうということであり、国内での自殺者増加に対して「どうしてなんでしょうね」と平然と口にする行為と軌を一にする信条であり行為であって、何とも度しがたくただただアジアの目覚めでなく日本の国民の目覚めこそがなければならないことなのだということであろう。


  今日の国際平和が回復されたという歴史事実を無根虚妄のこととして退けうるのでなければ、どうして最高レベルでの指導者が国際的に指弾の的にされ、渠帥として糾弾されるにいたっては、現に天皇を皇居に仰ぎ、祭政一致、神-社一致的国として生き残ったこの日本国をとりしきる首相としてはどうしてもそうとばかりにいくわけがないであろうに。首相の言動や行為は総代的代表行為であり、象徴行為であるからである。しかし、どうしてもその表徴的意味の行為を続けたいならば外交的にばかりでなく、瞞まし狂(ダマ)らせられて没した英霊達の怨念を鎮めるためにも、瞞まし誑かしたもしくは国を誤り多くの無辜の民草を妄執の火に焼き、草蒸(=生)す屍とし、水浸く骨(かばね)としてしまった反背の宰職や師職は拝礼や崇拝の対象から取り除いた上でなければならないのは当然であろう。平和憲法下の外交もしくは外征まではいかない段階の外政には、そしてまた対内的には暴戻冒行の責任に関しても当然无咎であるにしても、ともかく対外的にも言いがかりは打ち消され名誉は回復されるべきであるとするのでないならば、日本国家の无妄化は論理的な要請上の前提として少なくとも戦犯霊の分離が必要とならざるをえないわけである。ぼんやりしていては逆にただただ呆然となってしまわざるをえない。


  ここで決して忘れてはならないことは首相が独裁的総裁となって自党内には勿論、撰んで内閣の構成員としている人物の中にもみられるような「アメリカには敗けたが、中国や朝鮮などには敗けやしなかった」という強固な思いであるといわなければならないが、今日本国民が明らかに知るべきことは勝ち負けが小児並みに暴力的勝ち負けに止まるべきではなく道理上倫理上の勝敗優劣こそが問題にされなければならず、その場合の価値基準が何から何へ、どうあることからどうあることへと変り改まるのでなければならないのかということである。


  ここではそれはそこまでにしても、分祀反対論のその根拠の一つは「伝統宗教的に」と主張される分離不可能論であり、一つは全く論などをこえた即ち日本人ならそれ以外にありえない伝統的国家国民の文化そのものに長養された心情によるものであってか、「固有の神道」もしくは仏教的観念による当然かつ正当なこととされているものであるが、どちらにも結局、傲慢不遜な大国主義によって下支えされ内政干渉排除を最重要点として展開する相変わらずの独善的自国中心主義や独我論的主権主義がある。これは競争どころか、ずばり抗争的闘争的と言わざるをえない代物で、これではアジア諸国特に中韓がみて、西洋倶楽部入りしいわゆる自国の「安全」と繁栄のために近隣を血なまぐさい犠牲としてきた明治以降の歴史についての反省を全く欠いた侵略的強権思想の復興的再出発として、予め抵抗して潰しておかなければならない傾向と考えても不思議はない。実はここには、西欧的伝統に乗り換えた近代日本に継承されたアジアの常識的正義に反した西欧的流儀の侵略抗争的な国家観念が色濃く陰を落しているのだと言わざるをえない。


  あしき伝統、他を説得できない伝統は、平和友好を顧みないのでないならば、捨てられないまでも他を抑え込み否定するような形で主張し断行されるべきではないであろう。新憲法下の日本とはどういう国なのであろうか。新憲法以前の日本のうちの何が引き継がれ、何が否定され、何がどう変更されなければならないのだろうか。そして憲法を改正してしまえば、何を引き継ぐべきかについて、他国の要求要請は内政干渉として断固斥けるべきであるのか。それとも日本が引き継ぐべきものは日米、もしくは日米関係だけなのであるのか。公共的であり、社会的であるということは、程度のほどはあれ、相互に干渉し合わざるをえないことであり、内心にまで踏みこむことはできないにしても基礎となっている了解、約束には背くことはできないものなのである。少くとも平和友好的であろうとする限りは。


  新憲法下のわが平和日本を見誤るな、何度謝ったらいいのだ、というのが代表的な積極排外論者の物言いであり態度であるが、先に少々詳しく述べたように謝るというのは回数の問題ではなく正意誠心を通じさせる問題なのであり、通じていないとみるや居丈高になって喧嘩腰になるような姿勢のものではありえない。贖罪のことは別にした謝罪のことに限ってみれば、これは全く論外というべきである。いやむしろ、実は謝りには賠償が伴うからこそ謝るわけにはいかないというのがエコノミカルマインドの有様なのかもしれない。日本が戦って敗けたのは「太平洋戦争」の開戦の詔勅にもあるように「米国及び英国」にであって一部の言論にみられるように中国朝鮮とは関係ないことなのであろうか。


  しかし法的解釈とは別に基本的によって立つべき事実の「事実」たる所以のものはどこに求められるべきものなのか、それともそれさえも全く否定されてしまうべきなのか。しかしそれは大きすぎる問題である。ここでは問題を絞ることにせざるをえない。


  神として祀られる霊そのものについていえば、分離不可能論はまづ、到底肯んじえない暴論と言わざるをえない。そもそも、魑魅魍魎ならいざ知らず、もし遍在しえずしかも他の神と分離できない神があるとすれば、特定箇所にあり、しかも分離しえない神の在り処の必然性はどこにあり、その神の有様、即ち在り様かつ存り様はいかがなものであろうか。日本の神なのであり、それだからであるのだろうか。もともとの産土の神が領土領国的土地の神としてその土にあり外れえないとすれば、それは見易い道理であるが、そうでなければ誰かがそこに祭ったからであろう。氏神は当然、君侯に代表される氏族の神である。氏の分離もしくは所在の変動にもとづいて次々に勧請され換地されざるをえないだろう。それには八幡神社、諏訪神社の外に宮中に祭られる園韓(ソノカラ)の神も挙げられるかも知れない。


  ここで大いに問題となるのは産土系の神と氏神系の神の別の問題である。中国には古くから社稷ということばがあって、日本ではその別を立てることなく、一般に国家として簡単に理解していたことにしてしまうが、少し考えてみることにすると、社は産土の神即ち産み出しつくり出すものであるが、これに対して稷はこうりゃんやあわ、きびの類いの実りをいうのであり、田が土地に則する語であるのに対して、実りあらしめるべく実らせる田正、田神のもしくは王侯や君長の官や役人に則していう語としてそこに両者の違いを見ることができる。恐らくそれこそが正しいのであると確信するが、もしそうでなければ稷のうちの田地に立脚して立つことを示す「?」の字形を理解することができない。


  そうしてみれば、社稷は果して不可分一体の語としてしか考えられないものであろうか。産土の神は時代が下がると土地土地に支配的な氏神との区別を失い、その氏神が人が生まれたその土地土地の神と錯覚されて、職業従事者以外の一般の物日には農民を始めとする一般人の参拝対象とされる。つまり自らの氏神を失った土地の人に氏神と混同されてしまい勝ちなのである。そしてやがては本来の地主神と客人(マロウド)神の区別もつかなくなって、神としてすべてどれもこれも同じくただ人の力をこえるすぐれたものとなってしまっては、怨霊信仰と守護神信仰との別さえつかなくなってしまわざるをえないことにもなる。


  私人などを祀る無格社との別はこの際別のこととしても、村社から始まって国幣社に至る系列の神を祀る神社つまりは祀られる神と、その上に格付けされるとされる官幣社との神格もしくは社格の違いは結局どういうものなのであろうか。国と官の倒錯した関係に従って、靖国神社護国神社などの官幣社系がその日本国内各国の国の祀るべき神を祀ると国幣社となるものだとすれば、明治以降の第二次大戦までの統一日本規模レベルでの神社はもともとあった村社から国社にいたる系列の国社系がそのまま延長されたのか、更に上に新たにおかれたのか。そして天皇家もしくは皇室の祀る神として公的な国家体制的神とは別の私的神の延長と捉えられるべきであったのか。軍艦などの船首舳先に恩賜の煙草なみに菊の御紋をいただいて、民草を水つく屍と勇躍させたことを思えば、ここで天皇家と国家は一体のものとして固く結びつき、国幣と官幣の違いを村社-国社の系列的立場から問題にするのは間違いというべきなのか、それとも、神宮的祭祀は神社的存在とは根本的に違った意味のものなのかも問題たらざるを得ない。古代日本で国つ神というのは被征服民の神であって、征服民の神は天つ神といった。ここで問題になる区別の官幣とは天つ神系のことになるであろう。そしてまたこれは靖国神社と護国神社の別を意味するように思う。

 
  「分祀不可能」論は、明治期の新設社ながらも、戦争中、遠く延喜式的伝統にもとづいて官幣大社国幣大社などのような伝統を引きずって、大日本帝国の国家施設となっていたそして今なお国家的祭祀施設であり続けようとするかの如き、靖国神社中心の考えであるといわざるをえない主張ではあるまいか。


  これについて後に詳しく述べることにしたいが、忘れずに記しておかなければならないのは、それが氏神としての祖神をまつるところでもなければ産土神でもなく、敢えて言えば古代に見られた水つく姓(カバネ)草むす骨(カバネ)として、またそんな「かばね」であるかのように大君の辺にこそ死なめという大伴物部的もしくは防人的な思想が、いわゆる自衛のため、国家安全のための生命線防衛のための侵略思想に変生したものではあるまいかということである。言わば特殊な役割りの神として名づけるべく、また独特の目的神とでも特徴づけるべき神として、皇族皇親の祀りにつづいて軍功をあらわした功類功臣を祀る、そしてまた神官祭司のもしくはその他の決定権者の意志にもとづいて祭祀される外ない神なのであろう。そして、生きてあるものはそのような意思もしくは意志は七転八起(ナナコロビヤオキ)して体を替え名を替えても七生報国の鬼となって転生するものとして、そのような神々の精神を受けつぎ身に体してこれを祀って、日本の国を華厳し荘厳しなければならないわけなのであろう。しかし、名目は国のために闘った英霊の鎮魂のためであるとされながらその内実は、その行為の顕彰のためのものである筈であり、内実は主権掌握者のために働いたものに対する慰励であると同時に、働かすべきものに対する奨励であるとも考えられる外ないのであろう。でなければ真の加害責任者とされ、A級戦犯とされているものを合祀し、他方では全くの被害者とは決して一緒にはできないなどということはありえようがない。しかし、ここでの奨励は後生(こうせい)に対するそしてまた後生(ごしょう)に対しては督励、更には督戦となっている、しまうというのがふさわしいということになりはすまいか。そして更にそのうちにはむかしの防人のように被征服の被使役者も含まれ、その魂の民族的誇りも奪われたままであることもあるのはどういうことになるのであろうか。


ここで注意しておかなければならないのは、詳しくは後にみておくことになるが、国には狭い意味の国、即ち天子の統治する天下以前の生国や故郷故里の意味にもなる国と、民族さえもこえて世界大にひろがるいわゆる統一国家のような国とを弁別できなくてはならないことである。その弁別の上にのみ愛国を思い考えその心を懐き養うべきだということなのである。そして、そうすれば世界国家ないし連邦国家では古い形の民族国家を含めて、実力行使を伴う国土の争いその他の紛争はもはやいわゆる主権者間の「戦争」ではなく、内乱的な不法な騒乱として否定的に捉えられなければならないことになろう。


  昭和になってからの大動乱の敗戦による終結後に平和国家になり済ました心算(つもり)の日本は何も心からの贖罪を示すことがないといわざるをえないまま、植民地の役民や被害民たちの保護保障の責を徹底的に放棄し、その後もその姿勢を基本的には換えようとしない。いや厳しく言えば一々責め立てられやむをえぬところまで追いつめられてやっと渋々やるに至るばかりで、自ら進んでは決してなさず致すことのない有様である。いやいやそれどころかもっと根本的に、現実に行政府の主が国家的安全と安定を目的とする筈の参議や民の撰ぶ代議士その他の議政府の選良の存在理由をもこじつけ理由によって剥奪するに至るといって過言でないほど烈しく言論封殺を行って、まるで戦争前夜の如くであるとも言わざるをえないまでになってもいるのである。もし、それほどのことをいわゆる日本「政府」は敢えてしていながら、必ずしも国民から非難されてはいないという事実を日本国政府の姿勢と考え併せてみれば空恐ろしい、いや思うだに惶ろしく慄然とする。


  更に、旧植民地や被侵害国の抗議や非難も物かはとばかりに宣戦布告もなしに攻撃し、長々しくもそのまま攻撃し続けて「事変」と称し続けたような、そして今また説得性の乏しい国益にも邁進しようとするような日本国の姿勢については、明治以降のいわゆる「伝統的な」あり方と、逆に昔からの神祇太政両官もしくは両者の伝統的ではあるがしかし今日では不法無法な靖国神社の公人首相のこれ見よがしの参拝という神祇崇拝の面を被って表れた独善独行的現象をも併せ考えれば、果してどのような弁解の言葉が可能になるのか。首相自らは何時聞かれても何度聞かれても「そのときになって適切に考えます」という想像できないような無責任かつ無方なむきだしの無礼極まりない無法無頼な答えにならぬ答えを繰り返すのみで、「すべては乃公の胸三寸」と言わんばかりである。しかし民主国家の主権の権原が国民にあるとするならば、責任はすべて究極的に国民に帰せられる外ない。ましてや教育程度や民度が高いと誇らしげに自慢する日本である。何事にもせよ三寸俎板など見透かし三寸釘など打ち込んでゆく国民の覚悟も欠かせないのであるまいか。被支配者にすぎないのでなく真に主権者であるならば、国民は恥じなき舌先三寸に惑わされるなど決してあってはならない。そもそも桜田門外の変蛤御門の変以外の満州事変支那事変の事変とは一体何か。この変はまた乱とも区別されなければならないが、内乱扱いなのではないか。ついでに西南の役を西南という日本国内の辺境の方位を冠して西南戦争ともいいうるのはなぜか。 なおかつ戦争というのに対して、日支事変を日支戦争とも日華戦争ともいわないことも併せ考えなければならないであろう。また公武合体派であった会津藩と明治政府の間の干支を冠した戊辰の役を戊辰戦争ともいうが、これはなぜ変とか乱ではなく戦争なのか。また変と乱の違いは変は現象的に見て異常事態であるに過ぎないのに対して、乱は確立している秩序に対する一時的な異変である。これを確立した秩序のあるなしということに則してみてみれば、かつての渡来人と帰化人との区別と逆説的ながら通ずるであろう。中国のとは戦争といわないのはなぜか。

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2005.12.05.

靖国問題の本質

辛島司朗

つづく