神社は過去において台湾神社、朝鮮神社をはじめ南洋神社等、植民地支配の象徴であり、また手段として押しつけられたものであったが、なかんづく朝鮮においては、朝鮮人のそれこそ本来固有のものとなっていた言葉を強権的に奪い朝鮮人の朝鮮人としての結合、統合を許さず、朝鮮人の存在を否定したことと神社信仰という日本独特の信仰を押し付けたこととは別事として分かちうることではありえない表徴的なものと言える。逆に言えば以前からも事件としては落すことなく教科書などに記されていた外来勢力であった蘇我氏と日本古来の物部とが争う百済からの仏教伝来といわれる歴史事実があったが、その実は宗教の受容を迫ることは臣従もしくは屈服併合の強要をめぐっての国家の独立性の残存保存をめぐる争いであったと考えるのが正しいのである。


  このことは今日イラクに限らず至る所で普通にみられることであるが、信仰ともいえるような民主主義や人権の旗を押したてた米国の軍隊による統一的統合組織の樹立を正しく見る目を用意する。この旗印の意味するところがしばしばモンロー主義とは相反するアメリカの世界戦略に伴うぶつかり合いを象徴するが、このぶつかりあいはいみじくもアメリカの指導者が宗教戦争と不用意に口走り、イデオローグ達が「文明の衝突」ともいっていることの根拠なのである。それはとにかくここではさておいて、歴史問題に限って言えば、類例の乏しい烈しいやり方ではあるが、「創氏」とよばれる「改姓」と考え合せるならば全く否定できない事実であろう。


  問題はそのような過去を持った神社問題、靖国神社参拝問題は特に「靖国」と「護国」との名称の語の意味の違いを考えれば到底否定すべくもないが、仮令(タトエ)今それを考えないにしても、なおいまそれがどういう表徴的行為を意味することになるのかということであるが、対外的意味を考えずに国内的意味のみを絶対的なものとして主張しつづけるとすれば、正にいちおうは純粋に対外問題としてみられるべき外交問題の見地からみて、そのことによって遂にはどのような神のこと、参拝のことになってしまうかの検討の上での綜合判断が必要とならざるをえない。


  そのような問題を抜きにして何かを言おうとしてもその行為自体に籠もる絶対志向とそこに込められる独善的傾向は結局専横的侵略性に連り、専横性をごり押ししてまた武断的となっては外交を戦争的闘争にかえてしまわざるをえないのは疑いのないところである。ただ「その時になって適切に判断します」それだけが、質問の度に繰り返され一般国民は勿論、首相以外には国家は勿論内閣の誰れにも答えられぬ、もしくは答えることの許されぬ首相の答弁ともいえぬ答弁ではあるが、すべては秘密裡に遂行される、もしくはしていこうとする首相の胸三寸ということで、なってみなくては誰にも胸の中を知ることも出来ぬということは一体どういうことなのか。国民にも知らせることができぬほどそれほど重大で、国家の命運にもかかる、例えば参拝の日時が知れることで参拝者の命にかかわるとかで、高度の秘密のもしくは国民も知りえぬ最高度の国家機密に関することであるとでもいえるのだろうか。しかしたとえそうであっても、それならそれなりにそのことであることを告げなくては独裁者の謗りは免れないだろう。子ども相手ではない、中学校や小学校の悪がきのすることではない、何時までも「変人」で済ませておける問題ではない。しかし、日本人は現状では如何なるすべもないようにしか見えないのである。


  専制や専権はdemocracyに反するだけといっても強ちに排除されるべきものとして極めつけることは出来ないが、横暴に及んで改まることがないとなれば、天による「革命」が待ち望まれることになってしまう。そして、政治を祭天のことと考えるならば、それは直接的利害関係で動く階級的とも言える正義なのではなく、正しく公共的正義そのものにもとづいたものとこそ言わなければならない。ここでは十分に論ずることができないので別にまとめて論ぜざるをえないが、一言しておかなければならないのは民主主義のdemocracyの訳は誤りであり、民主政か、もし「主義」とどうしても訳したければ、「民本主義」としてpopulisticな衆愚制への堕落を排除しながら皇帝政治へとつなげて考えてみなければならないとも思われるのである。


  そして他方で民はplebes patrizierばかりでない、全くのplebejerもあるが、「飽食煖衣し、逸(やす)らかに居りて教うるなければ則ち禽獣に近し」というのは孟子(滕文公上)である。喜びを求め楽しむことはよいことである。しかしコロセウムにはよくよく慎重にならなければならない。そして、忘れてならないのは響きを失い発すべき場を失った民の声は路傍の石の声なき声として天にも届くかもしれないという歴史的な戒めであるが、特に他山の石からも目をそむけてはならないだろう。ケインズを捨てて小さな政府にして社会政策を放擲しようとするに当って、ボルシェビキ的共産主義の最大の敵は貧困なのだったということをよくよくDみしめた上で噬み下さなければならないこともまた忽せにできないものと知らなくてはならない。国民の富は大切にすべきであることは今なお意味を失わないだろう。国民の政府が不要にならない限りは。


祀るべき場所、聖所としての場所、祀るべき方法、祀るべき人、参じ拝する人についての考察はたとえ本質問題としてはこの際どうでもよいようなことであっても、錯(アヤマ)ってカリスマを得、カリスマ性を備えた佯酔(ヨウスイ)の皇帝が、紛れて現人神として神格性を与え、その神格性に於いて捉えられるべき存在と考えられてしまったものと覚悟し、遅まきながらも覚醒に努めるべきかも知れない。語ることを忘れ話しえなくなって真っ当なactivityを失ってもっぱらpassionだけになったものは何時passionateになってしまうかもしれない。プラトンは詩人を追放すべきものとしたが、自らの思考力を失ったactorはなおのことであろう。


  しかし、それはともかくとして、今問題を氏子ならぬものの神社参拝に限るものとして、祈り方も、参詣散銭の方式もどうでもよく、更には神社や教会に出向かなくても、どこにあっても、遥拝どころか即席即座に自由に心から即ち心の中で深い思いをこめて祈ること願うこともあってはならない理由はない筈だと思いかつ考えている。もし、あってはならないとすれば、その神はどんな神であり、その参拝は誰に見せようとするためなのか、何のためにただの為来たりではなくきちんと守るべき作法としてそれに従わなければならないのか、と私は考えていて理解できないでいる。しかし絶対的唯一神に限らず、およそ神仏が普遍的で広大無辺な、何処ででも礼拝祈願可能なものであれば、神に祈りまた神を祈ることは物的な神体や神社を離れて、霊力、神聖な遍通な変通自在力即ち随処に際立った働きを示す神通力こそ崇拝もしくはその臨在をこそ祈願の対象もしくは内容とするものというべきことも明らかであるように思われるが、とにかく普遍性を欠いた神を普遍的存在にまで押し進めようとすることは一体どういうことなのか、だったのか深く反省しなければならないだろう。ひょっとするとその神または神からのカリスマを逃がさず加護を確実にするためなのだろうか、いやきっとそうに違いない。私にはそれ以外には考えられない。


  神の恩寵や恩寵による権威はギリシャ語でKharismaと綴られるが、ゼウスとヘラの子ヘファイトスの妻で、kharismaと記され、Kharisに由来し語頭が小文字で綴られる普通名詞としてのcharisは優雅の意味で、語尾のmaはpragma、enigmaなどに見るように事や物を示すものであるが、その神は当然優雅そのものということになろう。そして、カリスマは当然Kharis神からのgift即ち恩恵、恩寵の意味となるわけであるが、それが即ち優雅とか喜悦とかを意味するものが最高権威の神ゼウスの火や技術の神であるその子Hephaitetosの妻であって、火や技術に匹敵する女性の徳の持ち主である女神との間の子というわけなのである。


  ギリシャを離れローマ帝国を経ては西方においても東方に劣らず、このカリスマを得、カリスマ性を備えた皇帝の出現となるが、皇帝にこそ天もしくは神の代理として現人神的神格性を認め、その神格性に於いて捉えられるべく、天子とみなされるべき存在に近づくと考えてよいかもしれない。


  そのもっとも大きな違いについて述べれば、中国的世界観においては、全地を覆うべき普遍的存在として物的世界認識に於いても万人等しく認めうる天をこそ祭りその天子として地上の帝王となるという思想であるのに対して、西方においてはヤーハウェというもとの氏族神に天地創造神としての観念的存在性を結びつけ、狭い民族的妥当性を超えた普遍共通な性格を与えてはいるものの、本質的民族的独自性、悪くいえば偏狭性を備え、普遍的統一の原理存在としては問題を残す思想であることの間にそれを見ることが出来る。そしてその民族的偏狭性に地域的偏狭性が抜きがたくつきまとうのが、素朴なアミニズムを出ること少ない日本的神観であるといってよいであろう。


  しかしそれはとにかくとして、今問題をまづ日本的神社参拝に限るものとして言えば、この国際平和の求められているこの世の中、特にアジアにおいて何もわざわざ無理を押してまで神社に、しかも「靖国」の神社に敢えて詣でることはないとしか思えない。一体何故わざわざ詣ずるのか。何を考えればそうできるのか。少くとも国際社会のうちにうち開かれた一国の代表者指導者が、少女の如き純精可憐な思いに囚われて日本が古い西欧的思想や思考性からは仮令是認しうるものであっても、なぜ今や到底許されないような暴虐を加えたこの日本がそのような勝手気儘としか言いようのない振舞い、行為とも言えないような行動に及びうるのか。少くとも良識ある日本の国民の中に、言ってわからぬ首相に引きづられることなく、せめてそれを隠然とでも、そして時を得ては公然と批判しうる堅実かつ厳正な精神が伝え続けられなければならない。アメリカも帝国に近く、日本がその帝王に代わる付属国としてアメリカに、いやアメリカ大統領に服属しているかに思われてならない日本人は決してそれほど少なくないであろう。しかし、本来天子としての帝王の理念は統治行為そのもののうちに示されるべきものの筈であるが、恐らくかつて帝王が泰山に上るのは統治の天命によるものであることをあくまでも天下万民に示すために外ならなかったであろう。


  もともと君の大なるものは皇帝となり天に通ずるのに対して、その小なるものは家長となる筈であるが、君の君たるのは民に対してであり、民は家から分かれ離れては個々人の「人」となるが、民こそ私の中の私でありながら私の集りとしての家の集りが公の始めとなる。家々が合さり集まって郷党となり、郷党を集めて国とし、公的関係の中で人は「人間」となる。そして、国々の集まりを八紘一宇の天下として圀中央の中国に宮居するのが天子であり、その天子の下で官舎官衙にあって官職をこなすのが臣としての官である。国家は国である面と家である面とを併せもつものと考えられるが、家の本質は字からしても明らかなように人と人の生活の基盤を共通にしながらまとまる人的係累であり、國は領土領域的版図からみる社会的まとまりにあり、かつまた家々の上になり立つ上位の家ともいえる。属人的面からも属地といわれてきたような属土性からもみられるところが國であり、また家である所以といってよく、また、同じ国土内のものとしての共通性によって開かれれば国という公に属し、家毎に分け個人へとわけ進んでゆけば私的核へと打ち当ってゆくが、どこまでを核心とするかは時代社会によって違ってくるとも言える。そして、人々を公的に扱い、国家そのものについて詳しくみるとき国と家は一応はっきり分別されなければならないように、君長の下にあって公人の集まりとしての民に対する民治を行うものを官と言いまた吏というが、史でもある吏は使に通じその為すことは理事であるのに対して、むしろ帝王に直接的直属的な政治に従事するのを特に官といい、更に限定的には軍官となる。


  ところが旧皇軍は大戦にむかって堕ちてゆくに従って、軍営の中でも属官の類いが幅を利かせ、閥意識に終止した軍の頭目たちが政治の権をも奪い壟断してしまい、下剋上的傲慢にいたって軍あって国家のない有様となり、酷虐の姿勢をもって国民に対し、他国を蔑(ナイガシロ)にして傍若無人に振舞うにいたった。このような武力を背景にした兵匪軍賊とも言うべく、強圧強制的で無法極まりなく暴力を主とする軍に対して、吏はたとえ酷吏となるにしても、吏そのものは単に法によるだけでなくもともと王威や国法によるカリスマ的権威も加わってのことであって、まだまだ、平穏平和裡に心服的に働きをなすと言えなくはないところが直接に武威を誇る軍人との相違とみることができよう。なおついでに言えば、臣と民については、?盲(ワンモウ)暗闇のもの千人ともみた民に対して、君長の明のもとで審詳(ツマビラ)かに民情をみて治を実施するものを臣下臣僚として中間に立つものとみることができるが、或いはこれを君臣としてのまとまりにおいてみ、またこれとは別に臣民としての一まとめにしてみることができる。軍にもどってみれば、これをどう位置づけるか位置づけうるかが今の肝要の問題である。


  そして、これのなす征に対して、文官を主とする吏務者の理を中心をなす祭祀祭事に従っていえば、そこに祭祀官が太政官と対比されることになるが、一般的に今日の日本で一口に言う官吏が神官を除いた上での官と吏をまとめて総称して言うものとなっているのは国家の祭祀が行われてはならないことになっているからである。


  官に則してこれをみれば神官であり、官を離れて「神主」と言われることに特に注意したい。もちろん家にあっては公的見地の延長としては家長ととらえられ、私的見地からは「主人」と称せられる。子に対しては「主人」であるよりも親となるが、主人や「とじ」に類比されて、社会関係のうちに親方子方ともいうし、名親に対して名子をいうところもあり子代の語もある。氏神を祖(オヤ)神と言うのに対して孫神はないようであるが、日本では「天孫」となってこの世の歴史上に表われることになる。しかし厳密な物言いをすれば、天神と区別していう国神国つ神が対比できるであろうか。


  神主と対になる語として家主(イエアルジ・イエヌシ)をあげることができるが、ならんで家翁の語もある。これに対しては家刀自の語があり、職人集団ではこれにならって杜氏というが、いづれも「とじ」であり「とうじ」である。更にいえば、視座をかえれば家臣に対して王臣侯臣であるが、そのようにならべてみると、神官に対して神主の語の意味内容も明らかになってくるように思われる。


  神官は職別にみた公的身分であり、祭司は職分そのものであるのに対して、神主は私的呼称と言えるのではあるまいか。そして神に関する主というのは神を隷属させるものと考えられないこともないと言えないこともないが、神を従えるのでなく神のことに関する主とすれば、氏子集団の主であり頭(カシラ)であるものと言うことになろう。神官の「長」ともいうが、「長」の代りに「主」がついたものとは急には受け取れないが、一応それはさておいて、そうだとすればまた随神して即ち、神に従い「神ながら」に生きることは神主に従って生きるということになってしまうのだろうか。神楽の際に見られる「人長(ニンヂョウ)」は舎人の長であろうが、もしそうだとすれば、案外に神楽は家楽の訛とも言えなくはなく、家の体(テイ)をなさぬ庶民のそれが、里かぐらと言われるのかも知れない。神官は帝王の下の官の一種にすぎず、帝王を超えるものではない。「かむながら」の「ながら」を神の柄、性格として、「惟神」の字をあて「神であるままに」とばかりは理解できない。「神ながら」はただ神意を忖度して了るものではあるまい。当然「ままにしたがう」のでなければならない。

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靖国問題の本質

2005.12.05

辛島司朗

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