パンダの語源

 中国でも、パンダは人気者である。動物園では特別の扱いを受けているし、子供向けの玩具店を覗くと、パンダのぬいぐるみが売れているようだ。
上海の夜のお楽しみの一つである、上海雑技場は、以前、世界でただ一頭の芸をするパンダがいることで有名になった。しかし、余りにも有名になり、働きすぎで、過労死してしまった。
子供に圧倒的な人気を持つパンダであるが、大人でも、その動きを見ていると、おかしくもあり、やはりどこか他の動物とは違う気がする。とにかく、見ていて飽きない。

   さて、このパンダ、中国語では「大熊猫(ター・シュオン・マオ)」という。
では、いったいどうして「パンダ」と呼ばれるようになったのか。
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   はじめて、この動物を見た人が、土地の人に聞いた。「あれは、何という動物ですか?」
「えっ。あの、胖的(パン・ダ=太った)ですか?」
「あぁ、パンダね」という訳で、パンダと呼ばれるようになった、とのことである。
本当だとすると、語源はやはり中国語ということになる。
                                                                                  (1993年12月記述)

雨が降れば、、

   上海にも梅雨の時期がある。6月中旬から下旬である。朝から晩まで降りつづけることは余りなく、むしろ夜から朝にかけてが多いようだ。雨の日には、雨の日の景観がある。
   多くの人の通勤の足は自転車だ。日本では雨の日に自転車に乗ることはあまりないと思うが、上海では、雨の日といえども自転車が通勤の足であることには変わりない。
傘をさして乗るわけにはいかないから、ビニールの合羽を着て乗ることになる。
皆がみな、それも色とりどりの合羽を着て自転車通勤をしているのである。なかなかファッショナブルである。

   雨が降ると、極端に道路事情が悪くなり、車の流れが止まってしまう。
ただでさえ狭い上海の路では、車と自転車が擦れ合うようにして往来しているのだが、雨の日は水溜まりができたりしてますます流れが悪くなり、ひどい状態になってしまう。交差点では、車が立ち往生ということもある。
   雨が降ると、バスも普段通りには運行されない。天気の日でも混んでいるのに、普段以上に混雑する。いつもより早く家を出ても、通勤時間に間に合わない。約束の時間に行けなくなる。タクシーは空車がつかまらない。一日の行動も制限されてしまう。雨の日はできるだけ外に出ないようにしたほうがよさそうだ。
                                                                                      (1993年6月記述)

空 港

   週に、4、5回は空港(注:当時の虹橋空港)へ行く。
国内線のターンテーブルのところにいつも見かける”おばちゃん”がいる。
一見、掃除のおばちゃん風だが、そうでもなく、空港の職員という風でもない。でも、立入許可証を携帯しているところから怪しい人ではないようだ。いつも気になっていた。ある時片言の中国語で、どのような仕事をしているのかを聞いた。
   到着ロビーは世界的な傾向で、喫煙者の多い中国といえども禁煙である。
ところが、あちらこちらに、一見すると灰皿と思えるような、実はクズ箱が配置されている。私のようなヘビースモーカーは、たばこが吸える場所では反射的に火をつけてしまう。まして、飛行機の中で何時間かの禁煙を我慢し、やっとロビーで「灰皿」を見つけると、荷物が出てくるまで一服しようと思うであろう。私と同類項の人はまだまだ多いようで、タバコに手が行ってしまう人がいる。
ここで、件(くだん)のおばちゃんの出番なのである。上手そうに吸っている人のところに、つかつかと寄って行き罰金5元を回収するのである。確かに、「灰皿」の置いてある柱には目立たぬように、「禁止吸烟、違者罰款」と書いてある。

「一日に何人くらいからお金をもらうの?」
「だいたい20人。時には10人」「そうすると、一日100元だね」
「うん、2日で私の工資(=月給)分。私の月給は240元。でも、仕事だからね」
「ところで、仕事は楽しいかい」「つまらないよ。ほかに仕事があれば移りたい。それに、一日の回収金額が少ないと、上司から叱られるし、ボーナスも少なくなる」
   何か、どこかおかしい気がした。このおばちゃんのために、規則違反を犯してあげようかとも考えたが、5元が惜しくてやめた。
                                                                                     (1993年7月記述)

四馬路

   上海における道路の名前は、中国内の都市や省の名前が多く使われている。
上海で最もにぎやかな通りは、南京路で昔は「大馬路(ター・マー・ルー)」と呼ばれた。
南京という町は、三国時代に呉王孫権が「建業」と名づけて都とし、また、明王朝時代の都としても有名である。
   東西に伸びる道路は、北より、北京路、南京路、延安路、淮海路などで、人民公園を境として、それぞれ北京東路、北京西路のように、東・(中)・西がつけられている。
   南北に伸びる道路は、省の名前が多い。四川路、江西路、河南路、西蔵路などで、これは南京路を境として、それぞれ、北・(中)・南がつけられて四川北路、四川南路のように呼んでいる。もっとも、碁盤の目のようになっている訳ではないので、注意が必要です。
   ディック・ミネの「夜霧のブルース」で、『夢の四馬路か……』と歌われている「四馬路」とは、現在の福州路のことである。「馬路」とは大きな通りのことで、南京路が「大馬路」で、福州路は、南京路から南に四番目の通りにあたるので、「四馬路」と呼ばれた。
   ここは、かつて上海きっての歓楽街であったが、今では書店などが多く並ぶ文化的な通りである。    
                                                                                 (1993年12月記述)

1993年当時、外灘(ワイタン)から見た浦東。
今では上海のシンボルである東方明珠塔がちょうど建設中である。

当時、おじサンがもらっていた虹橋空港の立入許可証。

上海雑技場のパンダ

当時、上海雑技場では、曲芸パンダの偉々(ウェイ・ウェイ)が活躍していたが、過労死してしまった。

1993年当時の南京路

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