向銭看(拝金主義)

 「改革開放政策」の”陰”の部分が表面に出はじめている。お金がすべてという考え方に支配されようとしている。いくら、中央の政府がそれを防ごうとしても、一般大衆はお金の魅力を知ってしまったら、もうなかなか後戻りは難しい。
   治安も悪化してきており、旅行者にも被害が出ている。
今、問題となっているのは「ツアージャック」と「暴力カラオケ」である。
「ツアージャック」の手口はこうだ。お客が日本から上海空港(注:当時は虹橋空港)に着くと、税関の出口で旅行社のガイドが出迎えするのだが、その隙を狙われて偽のガイドに連れて行かれてしまう。片言の日本語を使って「東京からの3名様ですね」とか、「○○ツアーのお客様ですね」と言って安心させるのが手だ。確かに、飛行機の到着をみれば、東京からの到着だと分かるし、タッグを見れば○○ツアーであることは一目瞭然である。偽ガイドも賢い。それで、タクシーの運ちゃんと共謀して、法外な料金を請求したり、途中で両替を強要してとんでもないレートで利ざやを稼ぐという手口である。
   一方、「暴力カラオケ」の方は、ホテルのロビーで若い小姐(シャオジェ)に誘われるままにカラオケに行ってしまう。日本人の感覚では、カラオケ程度ならたいした金額にはならないと考えてしまうのだろう。ビールを一本程度飲んで、いざ、出ようとすると法外な金額を請求される。
支払いを渋ると、恐いお兄さんが出てきて凄まれ、怖くなって払ってしまう。また中には、身体検査をされ、有り金全部取られてしまったという人もいる。帰りはちゃんとホテルまで送り届けてくれる。わざとグルグルと遠回りをして、店の所在地を分からなくしてしまう。領収書は勿論ないから結局は泣き寝入りに。これまでの最高は、日本円で50万円を取られた人がいた。
                                                                                   (1994年5月記述)

兌換券(FEC)

   1993年年末に通貨の統合があった。
中国人民銀行が発行する人民幣は外国通貨とは交換ができなかった。また、中国国内においての外貨の使用は禁止されている。外国人や外国企業は中国銀行が発行する外氾兌換券(通称FEC)のみの使用が許されるという、二重構造となっていた。
従って、ホテルやレストラン、お土産屋さんなど外国人、外国企業を対象としたところではFECしか通用しなかったわけです。
その大きなねらいは、人民幣とFECの実質的な価値を違えていたということにある。例えば、銀行で両替すると、1米ドルが5.8FEC(注:当時の換算)前後であるが、通貨調整センターや、ヤミの取り引きでは1米ドルが8.7人民幣前後となっていた。つまり、FECと人民幣は額面金額が同じでも、実質的には約50%近く価値の違いがあった。外国人からは、高い金額をとっていたことになる。物価や人件費が極端に違った時代には仕方がなかった政策かも知れない。しかし、中国も少しずつ豊かになってきて、あるレストランやお店などでは、中国人も利用できるように、FECならいくら、人民幣ならいくらと表示しているところもあった。
   問題は、今まで外国人、外国企業がFECでしか支払いを許されなかったモノが、今回のFECの廃止措置によってほとんど一律50%値上げされたことだ。ホテル代、レストランの料金はもとより、個人の税金、電話代、ハイヤーのリース料等々。

   というわけで、外貨兌換券(FEC)は廃止されてしまったが、このFEC紙幣には、中国各地の景色が描かれていた。外国人用の紙幣に印刷されてるということは、中国でも一級の観光地の証拠です。
   最も高額な100元紙幣には、「北京の万里の長城」である。
『月から見える唯一の建造物』といわれ、名実共に中国の観光地のNo.1と言っていいだろう。全長が6千キロ、稚内から鹿児島までの往復の長さに匹敵する。
   その次に高額な50元紙幣は2種類ある。1979年発行のものには、「桂林の漓江」。1988年発行のものには、「桂林の象鼻山」である。
桂林も日本人にも人気のある観光地である。漓江下りの船から見る周りの景観は、まさに水墨画の世界が広がる感じである。
   10元紙幣には、「長江の三峡下り」である。
三峡ダムが完成すると、水位が30メートルくらい上がり、一帯の景観はすっかり変わってしまうという。この辺はまた「三国志」の舞台でもある。
   5元紙幣には、「黄山の迎客松」。
大小合わせて72峰を持つ山塊で、雲海や松で有名な観光地です。
   1元紙幣には、「杭州の三潭印月」。
杭州は、古来より『上に天国あれば、下に蘇杭(=蘇州と杭州)あり』といわれる。上海からも近く、保養地でもある。
   5角紙幣には、「北京の天壇公園」。明、清の歴代皇帝が天に五穀豊穣を祈った所です。
   そして1角紙幣には、「貴州の黄果樹瀑布」。茅台酒で知られる貴州省にある中国第一の滝です。
(一応3年間の駐在期間に、これらの観光地は訪れました。)
                                                                                    (1994年1月記述)

毛沢東信仰

   中国語に「領袖(=指導者の意)」という言葉があるが、これは毛沢東だけを表す言葉、表現なのだそうである。昨年(注:1993年)12月は、彼の生誕百周年ということで、色々な行事が行われた。また、テレビのドラマでも、たびたび毛沢東モノが放映されていた。
   記念切手の発売や本の出版、さらには記念の時計も発売された。記念切手は、サイズが大きくタテ6.2センチ、ヨコ5.2センチで、とても実用的な大きさとは言えない。額面の5元というのも、中国の郵便料金の水準を考えると、まず使うことの考えられない額面である。
   15,000個限定製作という時計があった。金張りでデザインも洗練されている。何回かの下見をして、買うか買うまいかさんざん迷ったが、思いきって買ってしまった。値段は2,140元(まだFECを使用している時であったから、当時で約40,000日本円)。一般の程度の良い時計が約500元から1,000元であるから、破格の値段である。時計屋さんも、取り扱うのには指紋が付かないように手袋を穿いて慎重に取り扱っていた。それだけの価値が本当にあるのか、今後プレミアがつくのかどうかは分からないが、、、。
   あとはバッジ類である。これも2種類あって、最近作られたものと、「年代レアモノ」である。高い物は1960年代に作られたということで、一個50元くらいする。
よくタクシーの運転手が毛沢東の写真を車のフロントガラスに吊るしていることがある。交通安全のお守りだそうだ。
   いったい、現代の若者は毛沢東をどのように考えているのであろう。
中国では歴史上の人物は、いい人でも悪い人でも、死んでしまったら神様になると考えられているのだそうだ。従って、毛沢東に対する政治的

評価がどうであれ、歴史上の大人物として考えられているようだ。この広大な国土を統一し、開放したという功績を認めているようである。いずれにしても、毛沢東に対する感情は日本人のそれとはちょっと違うようである。    
                                                                                  (1994年6月記述)

懐かしの上海
1993年へ
トップへ
1995年へ

中国の銀行

   何事においても思うようにいかない中国であるが、その中でも、銀行ほど頭に来るところはない。外国の企業・事務所に対しては口座は中国銀行に置かなければならないと法律で決められている。当然、競争の原理も働かないし、ましてやサービス精神など、これっぽっちも感じられない。
●残高を教えてくれない
    月末の残高や日本からの振込み入金が心配で、電話で残高照会をすることがあるのだが、これが一苦労である。なかなか教えてくれない。いわく、「こちらに来れば教える」(冗談じゃない。銀行への往復と、待たされる時間を考えたら、半日はパーだ)
いわく、「教えられない。電話の相手が本当に本人かどうかわからないから」(それじゃあ、振込み入金されたら、そちらから連絡すべきではないのか)
いわく、(電話の向こう側でヒソヒソ『知り合いか?』『知らない』という会話が聞こえてから、「わからない」
●窓口の係員しだい
  多額の金額の場合は小切手にて支払っているのだが、当然、手元にある程度の現金も必要である。小切手には、届け出している事務所の公印の押印が必要となる。押印は、普通は小切手の表側にする。これで問題がなかったのだが、、、。
ある時、これではダメだといって返された。押印は小切手の裏側だという。それからは、裏側にするようにした。
それからしばらくして、これではダメだといって返された。押印は表側だという。お〜ィ、一体全体どっちが正しいんだよ〜ッ。実態は、その時の銀行の係員によって違うのだ。
え〜ィ、面倒。表と裏と両方に押印してしまえ!
●お客の立場に立ってみろ
   愛想が悪い、だけならまだ許せるが、、、。
両替に行った。窓口はそんなに混んではいない。今日は早く済むと期待した。窓口の係員の応対はまずまず。伝票を書き、現金を添えて、後方の係員へ書類を廻した。
この係員がヤクビョウガミだった。さっきから、ずっと新聞を読んでいる。机の上に回ってきている私の書類を見ようとしない。やっと、新聞から目が離れ、私と目が合った。あァ、やっと動いてくれるか、と内心ホッとしたのが甘かった。私を見ると、うす笑いを浮かべ、お茶を一服、そしてまた新聞を読みはじめた。「この野郎!」と怒鳴りたいくらいだが、逆に意地悪されたらと我慢した。結局、今日も長い時間待たされてしまった。
                                                       (1994年9月記述)

100元札デザイン
50元札デザイン
50元札デザイン
10元札デザイン
5元札デザイン
1元札デザイン
5角札デザイン
1角札デザイン

100元札万里の長城

5元札黄山の迎客松

50元札桂林の漓江

1元札杭州の三潭印月

50元札桂林の象鼻山

5角札天壇公園

10元札三峡下り

1角札黄果樹瀑布

完成まじかの高架道路
1994年10月に開通した

集めた毛沢東グッズの一部

預金通帳

其之参(1995年)へ

其之壱(1993年)へ

トップへ

其之弐  一九九四年