11.



 玲菜が見つかったらまた来る、そう言い残してセツが姿を見せなくなってから、一週間ほどが過ぎた。
 どうやら玲菜は、現在天木邸にはいないらしい。
 それはそうだろう。
 葵たちがあんな形で乗り込んでいった後だ、相手も警戒するはずだ。
 一度、玲菜が通う学校へも、様子を伺いに行った。制服から何とか高校名を探し当て、実際にそこまで行ってみたのだ。
 その高校はY市では有名なミッション系の学校で、規模もかなり大きい。
 しどろもどろになりつつ、生徒や教員から情報を引き出してみたが、玲菜はここ最近欠席しているらしい。元々身体が弱い、という理由から出席率は悪いというが、それが真実かどうかは怪しい。あの父親が、「降霊」のために休ませているのかも知れない。
 それにしても神道系の天木家の娘が、キリスト教系の高校に通っているというのも、おかしな話だ。
 まあ、ミッション系に通っているからクリスチャンとは限らないだろうが。
 そう言うわけでセツは再び、玲菜のうろ覚えの気配を辿りつつ、地道にその居場所を確定しようと試みているわけである。
 だから、時間がかかるのは分かる。そしてそんなとき、自分が何の役にも立たないことも分かる。
 今回の件も自分は結局足手まといになっただけだ。
 もしあの時、自分が人質になっていなかったら、セツは玲菜を奪い去ることが出来ただろうし。
 これから先、自分はセツの役に立つことが出来るのだろうか。
 全く自信がない。



 それにしても、セツのことが気にかかる。
 一週間も音沙汰なしだ。どこでどう過ごしているのだろう。
 そう考えると、葵はセツのこと、特に人間としてのセツのことを全く知らないのだ。五年間も指輪を探して歩いていたときのこと。その間はほとんど力を持っていなかったというから、どうしていたのか気にかかる。
 力のない普通の少年(と言うのは正確ではないだろう)が、五年以上も一文無しで(多分)、泊まるところも無く(常識的には)、生きてきたというのは……
 葵の想像を絶する。
 セツに関して葵の知らないことが沢山ある。それを実感した。
 まあ、力の無かった昔と比べれば、今のセツだったら日々の生活はどうにでもなるのだろう。
 ……ただ、毎日顔を見せに帰って来てくれてもいいと思う。
 用事も無く名前を呼ぶのも憚られたし。
 とはいえ、葵もただ時間を無為に過ごしていたわけではなかった。
 大学の授業が始まっていたからだ。
 健康診断もとっくに終わり、授業の第一週目もそろそろ終わる。第一回目の授業は簡単なガイダンスで終わることが多かったから、大したことはないのだが。
 そんな金曜日のお昼時。
 葵は、貴重な情報提供をしてくれた友達の清水愛子と、もう一人木田雅江と共に、学食で昼食を食べていた。
 セツが一週間ぶりに姿を見せたのは、そんなときである。


「葵」
 背後から、少し低めの、落ち着いた声で葵の名が呼ばれた。
 その声を聞き間違えるはずもない。
 葵の、鶏の照り焼きをつまんでいた箸が空中で止まった。前方でぽかんとしている愛子と雅江の表情が、妙に印象に残る。
 葵はゆっくりと振り返った。
 一週間前と同じ、白いシャツが目の前にある。彼は意外と近くに立っていた。
 視線を上げれば、妙に人を魅了する容貌が、人懐こそうな表情を浮かべてこちらに視線を落としていた。
「……ちょ、ちょっと葵、誰この人〜?」
 愛子がややうわずった口調で話し掛けてくる。
 視線を彼女たちに戻せば、雅江は相変わらずぽかんとして、セツを見上げていた。
 食堂の学生達の視線がセツに集中している。
 葵は耳まで赤面すると、箸を下ろした。そうして、がたがたと立ち上がる。
 その椅子の足がセツの足にぶつかったらしく、セツは小さな声で、「いてっ」と漏らしていた。
 けれどそんなこと、葵にとってはお構いなしだ。
「え、えっと。……ごめん、これ、片付けておいてくれる? 今度事情、説明するから」
 葵は半ば無理やり友人に頼み込むと、セツを連れ食堂から逃げるようにして立ち去った。
 残された友人達が、呆然となったのは言うまでもない。



「も〜! なんであんな人がいるところで突然呼びかけるの〜!? かなり目立っちゃったじゃん!」
 葵の必死の抗議を、心外だという表情で、それでもセツは謝罪の言葉を口にした。
「……ごめん」
「っていうか、セツは目立つの! ……格好良すぎるの!」
 そう言って、しばし後、葵は再び赤面した。
 何だかおかしなことを言っているように思えて、次の言葉を失う。
 セツも困ったような顔をしていた。
「それは非難? それとも誉め言葉?」
「う……両方」
 葵は血の上った頬を両手でこすりながら、近くにあったベンチへ腰掛けた。
 大学の棟の、裏側。人通りの少ない場所に、二人は移動してきていた。
 木々が所々に植えられ、木漏れ日が差し込むちょっとした空間。耳を澄ませば小鳥たちのさえずりも聞こえてくる。
「ホント変な奴だなあ、葵は。目立つって言われても……どうしようもないし」
 ぽんと、何気なく葵の頭の上に、セツの手が乗せられた。
 かなり不意打ちだ。こういうことを自然にやってくるから、葵はいつも戸惑ってしまうのだ。セツって何者だ、と思う。
 葵は内心パニックになりながらも、何とか落ち着きを取り戻してから、謝った。
「そうだね、ごめん。でも……」
 セツ本人はいいだろうけれど。
 自分がセツに、つり合わな過ぎるから。それがさらに、他人の関心をそそってしまうのだと思う。
 セツが目立って恥ずかしいのではなくて、自分がセツと比べられてしまうから恥ずかしいのだ。
「でも?」
「……何でもない。そうそう、セツが来たってことは、玲菜っていうか……サナが見つかったんだね?」
 そう言えば、セツはちょっと嬉しそうに微笑んだ。葵の頭から手がどけられる。
 葵の隣に腰掛け、葵の方に身体を少し向けながら、説明を始めた。
「一応一通り日本中を探ってみたんだけど、な? 一つ分かったことがある」
「うん、何? ……って、日本中!? この一週間で!?」
 葵はセツの何気なく言った言葉に驚いてしまって、本題をさえぎってしまった。
 セツは呆れたように笑って、先に進める。
「日本中っても、大まかにね。で、分かったことっていうのが」
「うん」
「玲菜は日本にいない」
 ……日本に、いない?
 その可能性を、考えてもいなかった。今の時代、海外へ行くことは珍しくも何ともないことだけど。
 ではサナの標準は、日本から海外へ移ったということだろうか?
 返事がないのを心配して、セツが覗き込んでいるのにハッと気がつくと、葵はセツの顔を見返した。
「と、すると、どこに?」
「……さあ?」
 またしても、衝撃的な返事。
 玲菜の居場所が特定されたわけではなく、逆に範囲が広がってしまったではないか。
 葵は言葉を失って、唖然としていた。
 セツが葵の眼前で手を振っている。
 こんなときにそんなお約束なこと、しないで欲しい。
「セツ?」
「はい」
「これから、どうする気?」
「それを打診しに、葵のとこに戻ってきた」
 セツはわざと縋るような表情で、葵の目の前で両手を合わせた。
 お願いします、というふうに。
「そんな……人間くさい仕草されても、私にどうしろって言うの〜!? ……ああもう、とにかく部屋に帰ってゆっくり考えよう! 午後の授業はサボる!」
 そう言って立ち上がった葵に、セツは笑って、「頼りになります」と宣った。



 葵は、高校の時に学校で配られた地図帳の、一番はじめのページを開いてテーブルの中央に置いた。
 世界地図が、見開きに描かれている。日本を中心とした、よく見る構図だ。
「さて、日本がここでしょ?」
 葵は地図の中の小さな日本を指差した。指の腹で隠れてしまうほどの大きさである。
 セツは葵の指差した場所を覗き込んだ。
「で、一応これだけの範囲でサナを探す必要がある……と」
 葵は自分で言いながら、うんざりした。
 いつ、サナが本当の意味で覚醒し行動を起こすか分からない今、時間をかけている場合じゃないのに。
 日本中を探るのに一週間かかったとして、これが世界規模になると……
 気が遠くなる話だ。
 一方、セツは葵の憂鬱を知る由もなく、興味深そうに地図を眺めていた。
「前回はどこだったっけなあ……」
 そんなことを突然言う。
「え?」
 葵は地図から指を離すと、お尻の下に敷かれた座布団の位置を微妙に直しながら、セツの顔を見た。
 セツは懐かしげに地図の国名を確かめている。
「あ、ここか。えっと……そうそう、メキシコ?」
「メ、メキシコ?」
「……そう、なんかさ、色んな遺跡っていうの? 凄かったけどなあ。とはいえ、記憶自体は薄くなってるけど。さて、サナの場所だけど」
 懐古から突然覚めたかのように、セツは本題に切り替えた。葵はややぽかんとしつつ、彼の言葉を待つ。
 セツは地図を眺めて、しばし黙り込んでいた。
「恐らく……中心辺りだと思う。一応、区域は絞り込むことが出来る。この辺」
 そう言うと、セツは地図上を指でなぞる。
 見れば、日本のすぐ近くにある国だ。
 北朝鮮から、韓国、中国の海沿いを辿って、台湾まで。
「この四つの国のどれかってこと?」
「だな。……俺は行ったことないけど。葵は?」
 葵は黙って首を振った。
 北朝鮮は問題外だが、葵はそもそも国外に出たことがない。パスポートも持っていない身だ。
「……さて、どうするかだな」
 セツは両腕を組むと、地図を凝視しながら沈黙した。



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