12.



 セツが沈黙してしまったので、葵は部屋から出て、キッチンでやかんを火にかけた。
 沸くまでそこに立ち尽くしたまま、葵も考える。
 玲菜はどこにいるだろう。
 ……おそらく、北朝鮮ということはあるまい。社会情勢的に、日本人が行くこと事態難しい。高校生の玲菜が行くはずもない。
 そう、サナが表面化していない限り、彼女は普通の女子高生なのだ。
 巫女をしているとはいえ、自分が嫌なところへは行くまい。自己主張の強い、今時の女子高生の彼女であるから。
 そもそも、なぜ今日本にいないのだろうか。
 天木が海外進出を考えている可能性もあるが、日本の高校に通う玲菜を、長期間海外に居続けさせることなんて出来ないはずだ。
 とすれば、何か一時的な理由で海外に出かけていった、と考える方が自然かも知れない。
 日本から気軽に行ける場所、韓国、中国、台湾。……韓国と台湾ならともかく、中国となると探すのは大変そうだ。
 全世界から数カ国へ、範囲はかなり狭まったとはいえ、大変なことには変わらない。
 葵はポットにジャスミンティーの葉を入れると、沸騰したお湯を注いで、部屋に持っていった。
 セツは未だに地図を凝視したまま固まっている。
 二つのカップにお茶を注ぐと、一つをセツの前に差し出した。
「お、サンキュー」
 すると、金縛りから解けたかのように、セツが顔を上げる。
 少しだけ笑みを見せた。
「とりあえず、小さいとこから探して範囲を絞っていくしかないな」
「うん……そうだね」
 やはり、セツもそう思い至ったらしい。
「そうすると、韓国か台湾、だね」
「だな。……あ〜、だけど、瞬間移動で行ける場所じゃないからな。飛んでいくことになるけど、こりゃけっこう距離あるんだよな?」
 言いながら、カップを手にとり口をつける。「あちい」と一言。
「まあ……でも、日本中を探したなら、韓国は割と近いと思うよ? 多分沖縄よりも近いし。一度九州の方に瞬間移動すれば、あとは近いんじゃない?」
「ああ、なるほど。で、ついでにその上の……北朝鮮に行けばいいわけだな?」
「それだけど、多分北朝鮮にはいないと思うんだよね。そう気軽に行けるような場所じゃないから」
「へえ? 危険なんだ?」
「危険というか。……まあ、危険と言えば危険かな」
 葵はそう言葉を濁しつつ、お茶を一口飲んだ。……確かにまだ熱い。
 セツはカップに息を吹きかけながら、韓国をじっと見ていた。ただし、世界地図の中の小さな韓国には、首都であるソウルの文字しか書かれていない。
「方向的には……日本より西って感じだな。九州からずっと西に向かえば着く?」
「多分。でも真西よりかはちょっと北寄りに行った方がいいと思うけど。……ところでセツって、方向音痴じゃなかった? 大丈夫なの?」
「あ、それがさ、俺これだけは持ってるんだよな」
 セツはそう言い、ジーンズのポケットに手を突っ込むと、それを葵の目の前に差し出した。
 直径五センチほど、平べったい、円いそれは。
「……方位磁針? そんなの持ってたの?」
「これは必需品だね」
 セツは何故か、少し自慢げに言った。
 その様子が可笑しくて、葵はぷっと吹き出してしまう。
「笑うなよ」
 セツはやや照れた様子で、ポケットに方位磁針を戻した。そのついでに、すっと立ち上がる。
「え、もしかしてもう、行くの?」
 葵は慌てて彼を見上げた。高い位置にあるセツの顔。
「ああ、早めに見つけた方がいいだろ?」
「……でも」
 まだお茶も、ほとんど残っている。
 湯気が上がっているそれ。葵はセツのカップに視線を移すと、それ以上のことが言えなくて沈黙してしまった。
 部屋中に、ジャスミンの香りが充満しているようだ。
「葵?」
「さっき、帰ってきたばっかりなのに」
 ぽつりと、それだけ言う。
 セツの力と、彼自身の行動力の早さは嫌というほど知っているが、残された方の気持ちも考えて欲しい。
 そりゃ、自分は何の力にもなれないけれど。
 でも自分は……セツにとって、ただの協力者ではないって、そう信じたいのに。
「一度行ったら、今度は日本と違って行ったことのない国だもん、一週間以上かかるし。一週間ぶりに帰ってきたのに、またすぐいなくなっちゃうの? ……私のことは、」
 ……私のことは、どうでもいいの?
 そう言いかけて、はっと気がついた。
 何を言っているのだろう。これじゃあ、恋人同士みたいだ。しかも、この非常時に、我が侭すぎる。
 人の命がかかっているときに。
「ごめん! 何でも、ない」
 葵は慌てて、自分の言葉を打ち消した。
 急いで立ち上がって、セツを見上げる。セツは葵に向き合って、困ったような表情をしていた。
「ごめん、早くサナを見つけないと大変なことになるし、ね。……いってらっしゃい」
 それだけ言って、俯いた。俯いた先に、セツの足が見える。
 すらりと、長い足。
「葵、あのさ……」
「ん?」
 セツの呼びかけに、葵は顔を上げた。
 心なしか、セツの顔が少し赤くなっている。
「一週間の間……実はずっと野宿でさ。それは別に構わないんだけど。でももし、葵が泊まらせてくれるなら、夜はここに戻ってきても、いい?」
「……え」
 葵はセツに言われたことを、頭の中で反芻してその言葉の意味を理解する。
「え、ええ? ……帰って、来てくれるの? ここに? と、泊まるの?」
「駄目?」
「あ、えっと。……いい、と思う」
 そんなの全然、構わない。
 けれど。
 セツが、毎日ここへ帰ってきて、そして一緒に一晩過ごす。
 それが必ずしも、そういう意味につながる訳ではないのだけれども。
「う、うちで良ければ、全然、泊まってって?」
 葵は自分の顔がどんどん熱くなっていくのを感じながら、ぎこちない言葉でセツの申し出を受け入れた。
 セツはセツで、やはり赤い顔をしつつも、再び床に座り込む。
「……あ〜、今日はもう疲れたし、やっぱ、行くの、止めるわ。茶も残ってるしな」
「うん、いくらでも」
 何が何だかよく分からないが、葵もそんなことを言って、ストンと腰をおろす。
 頭の中では、何を言っているのか、あまり分かっていない感じではあったが。



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