3.
まとめると、こういうことだ。
サナというのは、セツにとってかけがえのない存在である。はるか昔から、セツはサナを追っている。
元々サナとセツは、兄弟のような近しい存在であった。いつも一緒にいた。
しかしある時サナはセツの元を離れ、行方不明になってしまったという。サナは自分の存在や“神”の存在に常に疑問を持ち、そしてその意味を追求していた。
セツはそのサナを追っている。
どこまででも。
「ちょっと待ってよ。追ってるって、いつから?」
葵は話の途中で疑問を投げかけた。
「んー、分かりやすいように言えば、この地球に単細胞生物が生まれた頃くらいからかな?」
「はい?」
「だから、俺は人間じゃないんだって」
セツはすっかり冷め切ったお茶を一気に飲み干して、笑った。
「人間じゃないって、つまり、宇宙人ってこと? 他の星の文明からここまで来たってこと?」
「あっはは! 違うって。第一、この宇宙にはお前達しか高等生物はいない」
「えー? 私オカルトは信じないけど、宇宙人はいるって思ってた」
葵が怪訝そうに抗議すれば、セツは軽く笑って説明した。
「……つまりね、地球が出来る前に、神はまず俺やサナのような存在を宇宙に創った。その存在はいくつかのまとまりに分かれていて、いつも争っていたんだ。そこには理由もなく、そして疑問もなかった。だけど、サナだけは違ったんだ。サナが姿を消してから、俺達の争いには何故か目的が生まれた。それが“神の調律”だ。争いの勝者がそれを神から得ることができた。そうして俺達は負けた。勝者達は、後に宇宙に生まれる生物の、輪廻を支配する力を得た」
「後に生まれるって……私達のこと? 輪廻って、本当にあるの?」
「さあ? でも俺は人としてこの地球の生物に生まれ変わって、サナを捜してる」
「……あんた達は負けたんでしょ?」
葵が指摘すれば、セツは頷いた。
「でもそこはほら、俺は“力”があるし」
「なんだか嘘っぽい」
葵はため息をついた。セツの力のことは、確かに葵も目にしているので信じるしかない。どんな非科学的なことも。…でも、セツの話していることは何だか安っぽいのだ。いまいち分からない。
そもそも神の存在も信じがたいのに。
「神なんているの?」
葵が問えばセツは、今更おかしな質問をするものだ、というような呆れたような顔で問い返した。
「じゃあ、俺達はなんで存在するんだ?」
「それは、この星があって、生命が生まれるのにすごく具合が良くて、生命は進化して……」
「その星が生まれたのは? 宇宙が出来たのは?」
「……ビッグ・バン?」
「そのビッグ・バンを起こしたのは?」
「……」
葵は言葉につまる。
「知らないよ、そんなの! でも、有は無から生まれるんだし、それはほら、偶然?」
「偶然は信じて神は信じないのか? 神を信じたほうが簡単じゃないか」
「そういう問題……?」
葵は軽く批難しつつも、それで納得することにした。葵は無宗教だが、神の存在を否定できるほどの根拠は持ち得ていないのだし。
「神の存在はいいとして、問題はセツのことだよ。理由もなく争ってたりとか……神の調律って、突然何って感じ。神ってかなり勝手な奴じゃん!」
「はあ、まあね。だからサナは追求したんだろ?」
「追求って、どういうこと? 思想、哲学の世界?」
「いや、多分、神に会いに行ったんじゃないかな」
「あ、会うって」
葵は呆れたような顔でセツを見る。
「ま、いいや。じゃあ、サナは神のところにいるんだね」
それならセツが神社を探していた理由も分かる。
「あれ? でもここでいう“神”と“宗教”は別のものなんじゃないの? 宗教はいくらでもあるし、神なんていくらでもいるじゃん。日本なんて八百万の神って言うんだよ」
「それはまあ、ひとまず置いておいて、サナはもう神のところにはいない。ていうか、今はこの地球の、しかも今回は日本にいるはずなんだ」
「なんで分かるの?」
葵が聞けば、セツは自分の左手の親指にはまった指輪を示した。
「これ、サナもこの石の姉妹石で作られた指輪をしてる」
「それが?」
「この指輪は互いを呼び合う。いつか出会うために」
「ふうん」
葵は対して興味のなさそうに、その指輪を見た。その指輪はセツの指にぴったりとはまっていて、取れそうにない。しかし、昨日の夜もセツはこれをはめていただろうか?
「昨日の夜もこの指輪してた?」
「いや。だってこれ、あの神社に奉納してあった指輪だから」
「え? 盗んできたの?」
「もともと俺のだからいいんだよ。俺はもう何回もこの地球で生まれ変わっているけど、記憶がよみがえるたびに、まずはこれを捜すんだ。でなければサナの居場所はわからない。そしてなぜか指輪は、神仏を祭っている場所に巡る」
セツは満足そうにその指輪を眺めた。
「そういえば、さっきスーパーの前で言ってたあの名前タカ……ノ、何とかって、セツの本名なの?」
「ああ。人間として生まれたときにつけられた名前。高野裕樹ってね。でも記憶が手には入ればもう関係ないからな」
「……親は?」
葵は何だか釈然としないような感覚を持った。
「さあ、今もどこかで暮らしてるんじゃないか?」
「どこかって……会ってないの?」
セツはなぜそんなことを尋ねられるのか分からないのか、キョトンとして葵を見た。
「もう五、六年くらい前から会ってない」
「親は、あんたを捜してないの?」
「離れる時に記憶を消したからな」
その言葉に、葵は少しショックを受ける。
先ほど、セツがスーパーの前で謝って、手を動かした時、反射的に避けてしまったけれど、あれは自分の記憶を消そうとしたのかもしれない。
セツがこの世に生まれるために人間を道具として使ったように、自分も必要なくなったら記憶を消されてしまうのだろうか。
「……ひどい」
葵はセツを睨み付ける。
「どうしたんだよ」
「だって、その人がどれだけあんたを大切に思っていたか、分からないじゃん! それなのに」
「……ああ、でももう記憶はないんだし」
「でも、事実は消えてないでしょ? その人が実際あんたを産んで、育てたっていう年月は、消せないじゃん」
葵は、なぜかとても腹が立って、セツを責めた。
「ホント、あんたが人間じゃないって、今実感した。私もどうせ記憶を消されるんでしょ? 私に何をさせる気かはしらないけど」
「何だよそれ。勝手に思い込むなよ」
セツは呆れたように言って、不機嫌そうな葵の顔を覗き込んだ。
「そりゃ、お前達の感覚で言えば、悪いことをしてるのかも知らないけどさ。俺にだって都合があるんだし」
「はいはい、そうなんでしょうね。自分の都合のためなら、人間の都合なんてお構いなしなんでしょ?」
「……」
セツは大きなため息を吐いた。
また、謝って自分の記憶を消すつもりなのだろう、と葵は思った。
今回はそれでいいと思った。今ならまだ諦めがつくし、いずれ別れの時が来て、その時記憶を消されるくらいだったら、早いうちがいい。
「ごめん」
予想通り、セツは謝った。…けれど、記憶を消される気配はなかった。
疑問に思ってセツの方を見れば、彼は本当に申し訳なさそうな顔をして俯いている。
「……私の記憶、消さないの?」
「え?」
「違うの?」
「だから、勝手に思い込むなって言っただろ? 今はどうすればお前の機嫌が直るのか考えてるよ」
セツが難しい顔でそう言うので、葵は思わず吹き出した。
「……なんだよ。ころころ変わる奴だな」
「だって、おかしいんだもん。ま、いいけどさ」
「機嫌直った?」
「うん、直った。反省したならいいよ、もう」
セツは安堵したかのように、笑った。
何だかやっぱり、彼は人間じみている、そう思った。
「話しは戻るけどさ、なんでサナは日本にいるの?」
「さあ? それは俺にも分らない。けれどサナはもう何万年も前から、色んなモノに輪廻して、この地球に存在してる」
「色んな……モノ?」
人、ではなく?
「ああ。人に生まれ変わっているとは限らないからな」
「動物とか、虫とか?」
「まあね。さすがにミジンコ、とかそういうのはなかったけどね」
セツはそう言って笑った。葵もつられて笑い、そしてため息をつく。
「何だか、良く分らないんだけど」
「サナは、何かしらのモノになって、神の使いとして奉られる」
セツはふと真面目な表情をする。視線は自分の指輪に注がれていた。その指輪は、人が存在する前から在り続け、未だにその輝きを失わない。
セツの指は細く、骨ばっている。
女性の中には男性の手がセクシーだと感じる人がいるらしいが、葵も今それを実感した。
「神の使い……」
葵はセツの手を眺めながら、復唱した。
「サナを奉る人々の宗教は様々だ。キリスト、仏教、イスラム……まあ、偶像崇拝を禁じている宗教もあるが、人は奇跡に弱い」
「奇跡? ……サナは奇跡を起こすの?」
葵はセツの顔に視線を移した。セツとバッチリ目が合ってしまって、慌ててそらす。
「まず、近い未来を当てる。そして奉る相手に幸運を与える」
「……すごいね。そりゃ、奉りもするわ」
「うん、まあ。だけどな……」
セツの表情は少し複雑で、コタツのテーブルに頬杖をついてため息をつく。
「……何?」
「いや、これは言って良いものかどうか」
「なんでよ、言ってよ。気になるじゃん」
湯のみを口に当てようとして、すでに中が空になっていることに気づく。葵は立ち上がってヤカンを持ってきた。
セツはまだ悩んでいるようだった。その内にお茶を湯のみに注ぎ、ヤカンを台所に戻す。
「で?」
「勘違いしないで欲しいんだけど、俺はそれを防ぐためにサナを追ってるんだよ」
「だから、何?」
「サナが死ぬ時には必ず大災害が起こって、多くの人が死んだ」
「……え?……熱!!」
お約束だが、葵は湯のみを取り落として熱いお茶がこぼれる。
こぼれたお茶はテーブルの上に広がり、床にまで滴った。葵は濡れた指先をジーンズで拭い、立ちあがった。
「おい、大丈夫か?」
「うん」
葵はクローゼットから大きなタオルを出すと、こぼれたお茶を拭いた。熱いお茶を含んだタオルの端を持つようにして、洗濯機に放りこむと、洗面台の蛇口を捻って指先を冷やした。
「俺が治そうか?」
セツは葵の後ろに立って、少し困惑したような表情をしていた。
「いいよ」
「痛いだろ?」
葵は黙って冷やしつづけた。指先は赤くなり、そして火傷の痛みが冷たさの痛みに変わった。
「怒ってんの?」
「……え?怒ってないよ。さっきの話、本当なの?」
「ああ。地震とか、津波とか、噴火とか」
「それは、どのくらいの範囲なの? この前の淡路・神戸大震災くらい?」
「まあ、その時にも拠るけど……災害だけじゃないし、戦争が起きたりも……」
それを聞いて、葵は振りかえった。
「サナって、何なの? 何で人を殺すの?」
「それは俺も知りたい」
セツは真剣な表情で言って、葵の火傷をした方の手を取った。
振りほどく暇もなく、指先から痛みが消え去る。葵は複雑な表情で、その手を振り払った。
「セツは……ずっと昔からサナを追っているのに、それを止められないの? こんな力を持っているのに?」
「……ごめん」
「人間は傲慢で残酷な生き物だと思う。けれど、そんな人間でも多くが死んでいくのは、黙っていられない。家族や友達が死んでいくのは耐えられない」
「ああ」
葵はセツを見上げた。
不思議な少年。彼は葵を非日常へと案内し、そして葵は「特別」になった。そこには使命に近い何かがある。
「私は何をすればいい?」
「サナを……一緒にサナを探して欲しい」