7.
玲菜のあとについて、純和風庭園を抜けること数分、ようやく屋敷が見えてきた。
葵とセツは、初めて東京に来たお上りさんよろしく、辺りをきょろきょろと見渡している。
国指定の公園のような、そんな庭。しかも出来たばっかりと言った感じだ。
そしてお屋敷も大層立派なものだった。
「ぼ〜っとしてないで入れば?」
玲菜は玄関を無造作に開けると、二人を促した。
広い玄関。すぐ正面には老桜が描かれた、値段の張りそうな屏風が立っている。
中に入れば、薬剤のような香りと新しい木の香りが混ざった匂いがした。
「ただいま〜! お客さんだよお!」
玲菜は行儀悪く靴を脱ぎ散らすと、奥の方に叫んだが返事はない。
「上がって」
玲菜に言われるまま、二人は玄関に上がった。
葵は玄関にしゃがみこんで靴を綺麗に整える。玲菜の分と、セツの分と三人分。
「そっちの廊下行ってすぐの部屋で待ってて。親呼んで来るから」
「……って、ちょっと待って。……いいの? 上がっちゃって。それにほら、評判がいいなら普通、予約とか必要でしょ? 私達そんなの無いし」
「ああ、いいの。こっちは普通に家だから。あんたの言うところの拝み屋やってる社はここじゃないの。別に、拝んで貰いにきたわけじゃないでしょ?」
そういうなり玲菜は、家の奥へと消えてしまった。
「大丈夫かなあ?」
葵がかなりの不安感を覚えながらも、今更引き返せない状況に逡巡していると、セツの手がポンと肩に置かれた。
「大丈夫だろ。少なくとも彼女は危険な存在には思えない。何かありそうだけどな」
セツはそう言うと、葵の肩から手を離して、指定された部屋へ向かった。
玄関から少し奥へ入ったところの左手に、廊下が伸びている。
葵のセツの後を追った。
廊下は、見える限りずっと続いており、右側に大きなガラス窓が二面並ぶ。薄いレースのカーテン越しに、良く手入れされた日本庭園が見えた。恐らく、中庭なのだろう。
そして左側には襖で区切られた部屋が並んでいた。一体何部屋並んでいるのだろう。葵はちらとそんなことを思うが、廊下の先は暗がりになっていてどこまで続くかは計りかねた。一瞬で確認出来たのは三部屋くらいか。
セツは廊下を進んですぐの部屋の襖を開けていた。
中を除き見れば、広さが十畳くらいはあるだろうか。低い和室用テーブルは、表面に綺麗な木目が描かれ、そして部屋の周りを反射するくらい磨かれてつやつやしている。
テーブルの手前と奥側には高級そうな座布団が合わせて4枚。
襖を開けて右側の壁にある床の間には、流麗な水墨画の掛け軸と、シンプルだが味わいのある生け花。
純和風。本当にその言葉が相応しい。
「何だか、すげえな」
セツが呆れ顔でそう言った。
葵は言葉すら出ない。この場にいる自分が酷く不自然なような気がして、呆然としてしまう。
「……とにかく、座るか」
和室は床の間の方が上座になっている。
葵はぼんやりと覚えていたマナーを思い出し、下座の方に進んだ。いきなり座布団に座るのもきっと、マナー違反だろう、そう思って葵はしばらく落ち着き無く立ったまま、辺りを見回していた。
廊下と反対側の壁は、障子が張られていて、柔らかい日が部屋に差し込んでいた。おそらくこの障子を開けば、あの豪華な日本庭園が見られることだろう。
葵がそうしていたら、セツはさっさと座布団に座っていた。一番入り口に近い場所。そこが一番の下座だということを、セツは知っているのだろうか。
葵はとりあえず、そんなセツの隣……けれど座布団には座らず、少しずらした位置の畳の上に正座した。
何だか緊張してしまう。
こんな展開になるとは思ってもいなかったから。
しばし、沈黙の時間が続いた。
セツは難しい表情をしたまま黙り込んでいる。ふかふかの座布団の上に胡座を組んで、すっかりこの場になれてしまったかのようだ。
「……ねえ、セツ。ここにサナはいると思う?」
葵は沈黙に耐え切れなくなって、セツに尋ねた。
セツはゆっくりと葵の方に顔を向けると、少し迷うような間を空けたあと、口を開く。
「それをさっきから考えてたんだけどな。……微妙なんだよ、サナの気配は僅かながら確かにある。だから、ここにいるのは間違い無いのかも知れない。ただ、それにしては気配が微弱過ぎるんだ」
「まだ、目覚めてないってこと?」
「ああ。……いや、目覚めてないにしても、小さすぎるっていうか」
セツは合点が行かないという様子で、再び黙ってしまった。
そこへ、部屋の外の廊下をこちらへ歩いてくる足音が聞こえ、葵は表情を引き締めた。
サナが此処にいるのだったら、拝み屋として成功しているのはその力を利用しているからだ。その利用方法について一方的に悪いとは言えないが、利益を追求してかなりの額を稼いでいるのは確かである。
一体どんな人なのだろう。
葵は背筋を伸ばすと、緊張しつつ襖をじっと見つめた。
スっと、襖が滑らかに開いた。
襖を開けてそこに立っていたのは、紺のストライプの入ったシャツに、ラフなこげ茶のコットンパンツを履いた中年男性であった。
シャツはしっかりとパンツの中に入れられ、黒のベルトできちんと締めている。
下腹が少し出ている感じの、どこにでもいるようなごく普通の男性だった。
「やあ、君達が例の」
男性は少し笑みを見せながら、そんなことを言った。
「……あの、」
「ああ、君、座布団に座りなさい。何も畏まることはありませんよ。私もこんな普段着だしね。……ちょっと失礼します」
男性はそう言って、上座側の座布団に腰をおろした。葵の前でなくセツの前に。
葵はそれで、少しほっとしつつ、座布団の上に正座する。本当は少し、すでに足が痛かったけれども。
男性は姿勢を改めて、口を開いた。
「私は天木賢治と言います。一応、天木家の主で、一切の事を取り仕切っています。君達、名前は?」
問われて、名乗っていいものか迷っていると、セツが先に答える。
「俺はセツ。……こっちはアオイだ」
セツは名前だけをぞんざいに伝えた。
セツは本当に、何者にも臆することがない。というか、相手に対してむやみにへりくだったりしないのだろう。
自分に力があって、自信があるからなのだと思うが。
「では、セツ君。君達の目的を聞こうか」
葵は内心ハラハラしながらセツと天木の顔を見比べていた。
この天木賢治という男、何かおかしい。
突然尋ねて来た若者二人にこういう対応をしていることが、まずおかしいような気がする。
あんたは……拝み屋だと言っていたな?」
セツは天木の質問に答えることなく、逆にこちらから質問をした。
そんなセツの態度に、天木や嫌な顔一つ見せることなく応じる。
「ええ、そうですよ。我々は一般的には拝み屋と呼ばれているシャーマンですが、まあいわば祈祷師ですね。占い、まじない、加持祈祷などの儀礼的行為を行って、相談者のさまざまな悩み事や現世利益的な願い事の支援を行います」
「その力、いつからついたんだ?」
「いつからと言われましてもね。我々は代々祈祷師としての血を受け継いできている一族ですから、生まれた時からと言えばそうなのでしょうし、また修行を続けて段々とある程度の力をつけてきたとも言えます。その場合はいつから、とは言い切れませんね」
天木の言っていることには、祈祷師として正しいことのように感じた。
この男には、一見怪しいところは見られない。だが、何となく違和感が残る。
「でも、ここは最近、突然流行り始めたとか」
葵は友人の言葉を思い出しながら、問う。
こんな質問は、失礼にあたるんじゃないかとは、思いながら。
「ええ。我々は元々四国の方の出なんですよ。こちらへは最近越してきたばかりでね。…実は私の方は分家で、本家は四国にあるということです」
「そう、何ですか」
何もかも、納得がいく話だった。
疑うべきところはあまり無いように思われる。
「最近、何かを手に入れたんじゃないか?」
黙っていたセツが、そう言った。
セツはきっと、サナのことを言いたいのだ。
「それを手に入れたことによって、力を手に入れたんだろ?」
「何のことでしょう」
天木は困ったような表情で、そう答えた。
セツは表情を硬くして、そんな天木の顔を睨みつけている。
険悪なムードが漂ってしまった。
「……あ、あの。さっき私達を見たとき、君達が例の……って言ってましたけどそれはどういう意味ですか?」
「ああ、気になりましたか。……いや、今朝のお告げに出ていたのですよ。二人の男女が此処を訪れるとね。私達は毎朝、その日のことを占うんです。それによって、家族を良い方向に導くことが出来る。…君達を案内した娘の玲菜も、そのために部活から早くに帰宅したんですよ」
「じゃあ、私達が来たのは、良いこと、なんですか?」
「そうとも言えるし、そうじゃないとも言える。……そこまでは分からない。だから、実際にこうして会っているわけです」
「……」
葵は何て答えていいのか分からなかった。
ここにサナがいないのだったら、意味が無い。
それとも、占ってもらえばサナのことも何か分かるのだろうか。
「セツ、どうす……」
言いかけた瞬間、いきなりセツが立ち上がった。
そしてそのタイミングで調度、襖が開いて年配の女性が顔を出し、すぐに困惑したような表情になった。
手には盆と、その上には三人分のお茶とお茶請けがのっている。
「……いかがなされました?」
年配の女性がおろおろとこちらを伺う。
天木は彼女に対して視線で意思を伝えると、女性はしばらく迷った後、盆だけを室内に置いて去った。
「俺にはあんたが嘘を言ってるのが分かる。…表面上じゃ上手いことごまかしてるようだが、俺は騙されないぜ」
「セツ?」
「葵、こいつは確かにサナを手に入れている」
セツは天木を睨みつけたまま、そう言った。
天木は無表情にセツを見上げている。
「……サナ、というのですか」
そして、ポツリとそう言った。
「なるほど、確かに君達は要注意人物たちだ」
天木がそう言った時、襖と障子両方の外側から多くの人がこちらに駆け寄ってくる足音が聞こえた。
そして、パシンパシンと小気味良い音を響かせて、障子と襖両方が開かれた。
「なんだ、こいつら」
セツはいきなり部屋に乱入した男達数名を見回して、言う。葵はそろそろと立ち上がって、セツの方を不安げに見た。
「どこから漏れるのかは知らないが、私達の巫女を攫いに来る者は絶えなくてね。どうやら君達もそういう、悪い輩らしい」
天木も言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
葵は嫌な雰囲気になったこの部屋全体を見回して、思わずドキッとする。
部屋を囲んだ男達が、懐に手を差し入れていたり、あるいはそのまま手に何かを持っていた。
黒い、金属製の…
「セ、セツ! 一体どうなってんの!?」
普通の日本人がそうそう拳銃を持っているはずがない。
葵は震え上がって、セツの左腕にすがりつく。
セツはじっと天木を見つめたまま、黙っていた。
そしてふと、襖の方を振り向く。表情が驚愕のものに一変した。
襖の方、男達の間に立っていたのは、一人の少女であった。
まだ制服姿の玲菜である。ただし、彼女は俯いたまま、心ここにあらずといった感じに立ち尽くす。
「サナ……」
「……え!?」
セツの呟きに、葵は思わず驚きの声を漏らした。