3.
上原さんの家は、古くこじんまりとした日本家屋だった。
平屋の一戸建てで、そんなに広くはない。今は上原さん一人で暮らしているという。家が神社と言っていた通り、確かに神社はあって、家はその裏側に建っている。
それは、南湖神社のような大きなものではなかった。社務所もないし、ただ、鳥居と社があるだけ。しかも何だか薄暗く、閑散としている。
鳥居の真ん中には神社の名前が書いてあった。「山祇社」と書いてあるけれど、なんて読むのかは分からない。
上原さんは私たちを家内の一室に通すと、お茶を持ってくると言って姿を消した。
部屋は六畳の和室で、その真ん中には、大きくは無い木のテーブルがある。私たちはそれを囲うようにして座った。
床の間を背にした一番上座には、ツキミ様が鎮座している。テーブルで言えば、いわゆるお誕生日席という奴だ。ツキミ様から見て右側の列にシロが伏せていて、更にその奥に今井さん、今井さんの正面に私という配置だ。ツキミ様側の私の隣は、上原さんが座れるように空けておいた。
どうしようもなくそのまま持って来てしまった石の鍵は、そっとテーブルの上に置いておく。
「あの……」
場がしばし沈黙に包まれた後、私は耐え切れなくなって口を開いた。
「今井さん、色々お聞きしたいことがあるんですけど」
私が話しかければ、今井さんはうっかりしていたというような表情をしてから、少しだけ笑みを浮かべた。
「……ああ、ごめん。ええと、何から話そうか。何を聞きたい?」
尋ねられてまず浮かんだ質問は、やはり、今井さん自身に対する質問だった。少し年上みたいだけれども、私とそんなに変わらない女の人が、一体何に関わっているんだろう。
「えっと〜、じゃあ、今井さんのこと聞いていいですか?」
尋ねれば、今井さんは予想外だというような表情をする。
「え? 私のこと?」
「……駄目ですか?」
「いや、構わないけど。そりゃそうか。正体不明の人間と一緒にいるのは落ち着かないよね。あー……と、名前は言ったよね。えっと、私は都内の大学四年生で、今は卒論のために近くの実習林で色々調査をしています」
今井さんの自己紹介は、外見と同様ごく普通の内容だった。
その普通さに、正直拍子抜けする。今井さんはまじない師だとか祈祷師だとかそういう人なんだろうと思っていたから。
普通だったらそんな非現実的な思い込みはしないのだけど、目の前で起こっている現象があまりにも非現実的なのだから仕方ない。
今井さんの言動や落ち着きぶりは、明らかに他の人とは存在を異にしていた。白くて喋る狐を引き連れている時点で、もう只者じゃないと思う。
でも、もしかしたら大学生というのはカモフラージュなのかも知れない。私は小説やマンガのような設定を考えながらも、更に質問を続けた。
「あの……今井さんが連れているその、白い、狐ですか? さっきから喋ってますけど、一体何なんですか? ペットっていうわけじゃないですよね……?」
どういうふうに訊けばいいのか分からなかったので、何となくたどたどしい喋り方になってしまった。
シロとツキミ様との会話から察するに、シロはツキミ様と同じ類のモノなんだと思う。とすると、シロも神様の使いになってしまうのだけど、ならなぜ今井さんと一緒にいるのか。しかも、ツキミ様とシロでは姿が違いすぎる。ツキミ様は人間の姿をしているのに、シロは本当に狐の姿だ。
「あはは、ペットか。まあ、あながち間違っちゃいないかもね」
今井さんは面白そうに笑ってから、隣に伏せたシロを見下ろしつつ説明をしてくれた。
「シロは……たぶん坂下さんも分かってると思うけど、食物神で有名な稲荷様、主にウカノミタマノオオカミ様の眷属だね。分かりやすい表現をすればお使いってことになるんだけど、本人が言うには微妙に違うらしい。本来は普通の人には見えない存在だけど、何かしら縁が結ばれると見えることもある。それでもやっぱり、殆どの人には見えないよね。……まずは、姿を見せようとする彼らの意思と、あとは私たち人間の体質によって、見えたり見えなかったりするみたいだね」
今井さんの説明は、分かりやすいけれどすぐには飲み込めないものだった。普段は使わないような言葉が出てきているからだと思うけれど。
……眷属っていうのは、確か親戚とか血のつながりのあるものだったと思う。
けれどウカノミタマノオオカミ、なんて名称は聞いたこともないし、稲荷様が食物神だなんて、初めて知った。私の知識なんて、稲荷様といえば狐、くらいのものだ。
「体質っていうのは、霊感みたいなものですか?」
「うん、分かりやすい言い方をすれば。私はそんな大層なものじゃないとも、思うけどね。で、シロも本来はツキミ様のように……あ、坂下さんは、見えてるんだよね?」
一応確認されて、私は頷いた。私にも、霊感なんてないと思うけれど。
「ええと。で、シロもツキミ様みたいに人の姿として見ることも出来るんだけど、やっぱり普通の人には見えない。しかも、彼らは物質世界の物に干渉することも出来ない。普段はそれでいいんだけどね、前にそれじゃ不便だったこともあって、それでヨリマシとしてこの動物の狐に乗り移っているわけ」
「ヨリマシ……ですか」
「そう。『狐に憑かれる』の憑く、って言う字に、「います」って言う字。いますっていうのは、土の上に人を二つ並べた字だね」
今井さんはそう言うと、テーブルの上に指で文字を書いてくれた。「います」は、坐という字だった。
つまりヨリマシっていうのは、憑坐と書くらしい。
「憑坐っていうのは、神様を寄り付かせる対象物だね。昔は子供や女の人を使って神様を下ろしてたらしいけど、実際は人形とか物とか動物とか、対象は様々だね」
「……イタコ、みたいなものですか?」
私が思いついた言葉を言えば、今井さんは少し驚いたようなそぶりを見せた。
「そんな言葉よく知ってるね。まあ、イタコは職業名みたいなもんだろうけど……。巫女さんだったよねえ、確か、東北の方の……」
イタコに関しては、今井さんはそんなに詳しくはないようだった。
もちろん私よりは詳しいのだけど。しかも私は怪しいテレビ番組で、誰か有名な死んだ人の霊を下ろすという企画を見ただけだ。すごくウソ臭い内容だったし。
「ともかくそういうわけで、捕まえてきた狐をシロが憑坐として使ってるわけ。まあ、狐の方も特に文句があるわけじゃないんだろうけどね。シロが抜けても逃げないし。シロが言うには、契約みたいなものが結ばれているらしいね」
『……先ほどからペラペラと、おしゃべりが過ぎるね。あんたの女は』
そこで突然、ツキミ様が口を挟んだ。
シロに対して話しかけたらしい。シロは顔を上げると、尻尾を一振りした。今井さんの方は、少しだけ肩をすくめただけだ。
それにしても、「あんたの女」とはすごい表現だ。そもそも、今井さんとシロの関係も、まだ訊いていない。なので、率直に尋ねてみた。……ツキミ様にはおしゃべりが過ぎると言われたけれど、まだ分からないことが多すぎる。
「……関係、ねえ。まあ、最初は坂下さんと同じでね。あるきっかけがあって、シロに憑かれたっていうのが出会いだね。で、その後も色々あって、今はちょっと立場が違うかな。契約してるっていうのに近い」
「契約、ですか」
「そう。今ではシロに憑かれているわけではないし、かといって私がシロを使役しているわけでもない。お互い縁で結ばれてるって感じかなあ。もちろんメリットもデメリットもあるけど、なんか成り行き上?」
「……へえ?」
正直、良く分からなかった。けれど、今井さんとシロがいい関係を保っているように思えたので、私は何だか羨ましくも思った。
そんな頃合に、ようやく上原さんが飲み物を持って現れた。