4.


「何の話をしていたの?」
 テーブルの上に飲み物を置きながら、上原さんは少しだけ笑みを見せつつ尋ねてきた。
 その表情から、彼のひととなりが伺える。実際、彼は何だか人を安心させるような顔立ちをしていると思う。芸能人で言えば、堺雅人をいくらか若くしたような感じだ。ただ、似ているというだけで本人ほどかっこよくはないけれど。
 上原さんの着物からは、お仏壇のような匂いがした。別に臭いわけじゃなくて、それは御香の香りに近い。和風の、気分が落ち着くような香りだった。
「今井さんとシロの話を、聞いてたんです」
「……ああ、自己紹介みたいなものかな。なんか成り行き上で坂下さんにはついて来て貰ったけど、本当は怪しい人について行っちゃいけないんだよ?」
 今更のように言われて、私は思わず吹き出してしまった。
 上原さんは喋りながらも、手際よく飲み物をそれぞれの前に置いて行く。
 ただし、私たち人間と、おキツネ様二人に差し出した器は違った。
 私と今井さん、上原さんは普通の日本茶だけれど、ツキミ様とシロの前には、直径十センチほどの赤い漆器の盃を置いていた。ツキミ様がそれを持つと、上原さんはその盃の中にお酒を注ぐ。
 上原さんがお酒を注ぐのに使っているのは、神社でオトソを配るときに用いるような、長い柄と口がついた容器だった。
「これ、なんていう名前なんですか?」
 その名前が気になって、何気なく尋ねてみた。
「これはね、チョウシという名前だね。千葉県に銚子ってあるでしょう? それと同じ字だよ。サシナベとかサスナベとも読むかな。……よくお正月に、神社で使っているよね」
 上原さんはツキミ様の盃にお酒を注ぎ終えると、今度はシロの分を注いだ。シロは狐なので、さすがに盃は持てない。
 そういえば上原さんは霊感が無いのか、ツキミ様の姿は見えないようだけど、盃は宙に浮かんで見えるのだろうか。それはさぞや、奇妙な光景なんだろう。
 シロはいつの間にか、お座りの姿勢になっていた。どうやって呑むのだろうと考えていると、シロはふいっと立ち上がった。そして数歩ほど後方へ歩き出すと同時に、ボウッと人の姿が浮かんだ。
 私はびっくりして、思わず目を見張る。
 半透明だったシロの姿はすぐに存在感を持ち、ツキミ様と同様人と変わらない姿になった。 
 白髪の、目つきの悪い青年。
 髪の長さは肩に届くか届かないほどで、やはり白い着物と袴を身に着けている。
 シロは心なしか嬉しそうに……とはいえ、本当は無表情なんだけれども……盃を取った。
 一方狐の方はと言えば、部屋の隅へスタスタと移動すると、寝転んで丸くなってしまう。フサフサの尻尾が、体を巻いていた。あの毛並みに、触ってみたい。
「坂下さんには、見えるの? シロの本当の姿」
 上原さんに、耳打ちをするようにこっそりと尋ねられて、私は少しドキッとしながら頷いた。若い男の人にこんなに近くに寄られるのは、初めてだった。
 若いと言っても、私よりははるかに年上なんだろうけど。
「そ、そういえば、ツキミ様たちは人間世界の物を動かせないんじゃないでしたっけ?」
 ドキッとしてしまったことを誤魔化すように、私は今井さんに話かける。今井さんは、私の様子を不思議そうに見つつも、説明してくれた。
「ちゃんと神様の使う道具として奉ってあったものなら、使えるみたいだね。お酒も一度奉納されたお神酒だけが呑めるみたいだしね。やっぱり、何かしら目に見えない契約とか手続きがあるんだろうね」
 今井さんはそう、説明してくれた。
 理解は出来ないけど、納得は出来た。
『で? 早速話してもらおうか? こんなところで時間を潰しているほど、暇ではないんでね』
 ツキミ様はお酒を一口だけ口に含むと、そう切り出した。
 上原さんは今井さんと顔を見合わせると、しばし無言で譲り合っていたが、やがて仕方ないというふうに上原さんが口を開く。
「じゃあ、僕から話しますけど。今井さん、後でバトンタッチするからね。……ええと、何から話しましょうか」
 上原さんはしばし迷った後、まず自分のことから話し始めることにしたようだった。
「坂下さんもいることですし、彼女への説明も含めて話して行きますね。ツキミ様にはまだるっこしいかも知れませんが」
 上原さんはそんなふうに前置きしてから話を始めた。
 私のこともちゃんと考えてくれるなんて、やっぱりいい人だと思う。
「さて、僕の姓はご存知の通り上原と申します。一応この家の名義人です。こちらに来てまだ二ヶ月しか経ってませんし、あんまり家の主という気はしませんけどね。……神社はこの家の先祖が中心になって、村民がお金を出し合って建てたものらしいですけど、詳しいことは分かりません。ヤマツミ社という名前から伺うに、山の神様であるオオヤマツミノミコトの分霊が奉られていたのでしょうね。今はすっかり荒れ果ててしまって、シロ様が言うには、もう神様のお力が届いていないようですね……」
 山祇は、ヤマツミと読むらしい。オオヤマツミノミコト……さっき今井さんが教えてくれたウカノミタマノオオカミと同様、神様の名前らしいけれど、私にはさっぱり分からない。
 勉強しなければ駄目だろう。我ながら日本の神様のことを全く知らないでいたことが、恥ずかしくなってくる。
 ……まあ、分からないのが普通だとも思うけれど。
「僕はこの家の、今は亡き主人、上原宗二朗の親戚です。宗二朗さんの姉の息子の息子。つまり、僕の祖母の弟が宗二朗さんということですね。宗二朗さんには子供がいませんでした。奥さんはすでに十年前に他界。遺産相続については、彼の生前に親戚で集まって話し合っておりました。管理出来ない山は売却して分与。ただ、残ったわずかな土地とこの古い家、更には神社については条件がありまして。まず、神社をしっかりと奉ること。そして、宗二朗の養子に入ること。その二点でした。……正直、皆無理でしょう? 困って親戚じゅうで噂話になっていたところを、僕が聞きつけまして。その条件をのむことにしたんです」
「それは……ずいぶん思い切った決断ですね」
 普通、若い人には興味のない話だろうと思う。
 祖母の弟とは言えあまり縁のない人間だろうし、死後に財産を相続するために養子になるだなんてイヤだろう。
 しかも、こんな田舎で神社を奉らなければいけない。
「まあ、僕にも色々事情があったから。親の反対もあったけど、僕は末っ子だったからね。元々、田舎は好きだったし」
 言いながら、上原さんは天井を見上げた。いい感じに古くうすぼけた木目が見える。……ただし隅の方には、蜘蛛の巣が張っていた。
 私がそれを発見したのに気がついて、上原さんは申し訳なさそうに笑った。
「いや、まだ掃除が完全には出来て無くてね。ごめんね。……さて、ちょっと話がずれましたが、そういうわけでこの家を買ったのはいいけれど、やっぱり神社の方がねえ。近所の方に聞くと、宗二朗さんが若いときには神官を呼んでお祭りみたいなこともしたらしいけど、今はもう、誰も寄り付かないみたいですね。たまに近所のお婆さんが掃除に来てくれてたらしいけど、それも二年前に膝を痛めて動けなくなってからは、途切れてしまったらしくて。宗二朗さんも一年ほど入院してたし、その間に荒れ放題になる始末。そりゃ神様も怒って居なくなりますよね。……で、僕は元々そういうことに興味があったし、勉強しながら改めて神社をちゃんと奉ろうと思いましてね。……で、その矢先ですよ。お稲荷様の像から宝珠が盗まれたのは」
『ようやく本題か』
 ちらりとツキミ様からの厭味が入り、上原さんは苦笑した。銚子を手にして、ツキミ様とシロの盃にお酒を注ぎ足す。
「うちのお稲荷様は小さいけれど、ちゃんと朱の鳥居もあって、おキツネ様も結構作りが良かったんですよ。まあ、すでに稲荷様のお力はなくとも、それはそれ。うちのは宝珠を口に咥えていたんですけどね、ある日気がついたらポカンと口を開けているだけ。本当に吃驚しましたよ」
 そこまで聞いて、話を遮ることになるけれど、私は先ほどからどうしても気になっていることを聞くことにした。そうじゃないと、これからのお話の意味も、理解出来ないように感じたから。
「……あの、先ほどから問題になっている宝珠って、何のことですか?」
 恥ずかしく思いながらもそう尋ねれば、上原さんは一瞬ぽかんとしながらも、「ああ、ごめんごめん」と言って、立ち上がった。
 床の間の隣にある押入れから、何かを取り出している。
 それを持って戻ると、テーブルの上に置いた。
 それは、文箱と半紙だった。文箱の中には硯と筆が入っている。上原さんは小さな小瓶から墨汁を硯に注ぐと、筆を持ち上げた。
 半紙の上に、サラサラと何やら書いている。先のとがった丸に、横線を二本。更に丸の上にはゆらゆらとした、炎のような模様を書いた。
「これが、宝珠だよ」
 上原さんは筆を置くと、私にその半紙を渡してくれた。



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