6.
ぐぐぐううう〜……きゅるるう。
会話の合間に生まれた一瞬の沈黙に、何とも間抜けな音が響き渡ってしまった。
私は皆の視線を集めて、あまりの恥ずかしさに顔が熱くなるのが分かる。持ってきたお弁当は、私の背後に置いてある。……まだ、ご飯を食べていなかった。
「あ、あの、ごめんなさいっていうか、お腹減っちゃって……」
ここまで大きな音が部屋に響けば、ごまかすことは難しい。私はやや引きつった笑みを浮かべながら、頭を下げた。
「……あはは、いや、こっちこそごめん。坂下さん、ご飯食べてなかったんだ。……それ、お弁当でしょ? 公園で食べようとしてたんだね?」
「は、はい……」
上原さんに笑われてしまった。今井さんも、口元に手を当てて必死に笑いを堪えてる。そんなふうに無理に堪えるくらいなら、むしろ声に出して笑って貰った方が有難い。
シロとツキミ様は、呆れたような表情をしていた。
「あの……話が終わったら、この家で食べさせて貰っていいですか?」
「ああ、もちろん。じゃあ、早めに済ませよう。……と、いうわけでツキミ様。僕たちは昨日から本格的に調べ始めたわけなんですが、ツキミ様の方で何か分かっていることはあります?」
上原さんは、まだ笑みの残った表情のまま、ツキミ様の席に向いて話を振った。ツキミ様はそれを受けて、やや首を傾げる。
『私たちが分かっていることはほとんどない。……ただ、人の仕業であることは確かだと思うね。あやかしの臭いは残っていないから』
「……はあ、そうなんですか。じゃあやっぱり人のいたずらなのかなあ」
ツキミ様の返答にそう応えたものの、上原さんは少し納得がいかない様子だった。
「でも、こんないたずらして何の得になるんだろう。……宝珠マニア? なんて、いないだろうしなあ」
「人がやったって決め付けるのは、ちょっと早計ですよ」
今井さんが、少し眉根を寄せながら口を挟んだ。
「妖怪だって、長く生きれば人になることだって出来るんだし」
「……へえ? 今井さん、人に化けた妖怪に会ったことがあるような言い方だね」
上原さんは、心底興味深そうな表情をした。少し身を乗り出してもいる。そんな様子の上原さんを見て、今井さんは苦笑した。
「まあ、日本は物だって九十九年経てば妖怪になる国だから。それはともかくとして、現段階では犯人が人か妖怪かの区別はつきません。もう少し調べてみないことには」
『あやかしの仕業だとして、人間風情に何が分かるというのかねえ』
ツキミ様はそんなふうに、今井さんをせせら笑った。けれど当の本人は、それを気にしたふうでもない。彼らの扱いには、慣れているというような感じだった。
「人間の情報網も、馬鹿には出来ませんよ。……なので、多少ツキミ様たちの領域に踏み入ることは許してください。んで、何か分かったらツキミ様にもご報告します。坂下さんにも」
「……私にも?」
ここまで関わった以上、情報を貰えるのは嬉しいけれど。
「というか、ツキミ様に伝えるには先ず坂下さんに話した方が手っ取り早そうだね。そうすれば坂下さんを通じてツキミ様が知ることになるでしょ。……たださっきも言ったと思うけど、この件が解決しない限り、坂下さんは狐と因縁が結ばれたままだから。それは、あんまり良い事じゃない」
何でもないことのようにあっさり言う今井さんだったけど、私は正直、少し怖くなった。
狐に憑かれるなんて、現代社会ではピンと来ないけど、実はかなり怖い話だと思う。小学生や中学生の頃クラスで流行った怪談話に、こっくりさんの話があったのを思い出す。あれは確か、狐に憑かれる話だったと思う。
「……良くないことって、例えばどんなことですか?」
「う〜ん、坂下さんの場合は結びつきが弱いから、運が悪くなるとか身内に不幸があるとか、そんな程度かな。まあ、今のうちはそんなに心配しなくていいよ。ツキミ様も坂下さんにずっと憑きまとっているほど、暇じゃなさそうだし。……ですよね」
『その通り。……それに、私がその娘にわざと不幸を起こすわけではない。単純な因果に過ぎん』
「だ、そうですよ、坂下さん」
因果。
言われてもピンと来なかった。
けれどきっと、私が今、ここにこうして居ることは、全て因果によるものなのだろう。
想像していたような怪奇現象は起こらないみたいだし、あんまり気にしないことにした。
元来楽天家なのだ。
『話が済んだなら、私はもう帰らせて貰おう。……その、人間の情報網とやらに期待する。でなければその娘に不幸がゆくであろうしね』
ツキミ様は目を細めて笑うと、スッと立ち上がった。
「尽力致しますよ」
今井さんが、イマイチやる気の無い口調でそう返す。やる気がなさそうなのは、先ほどからテーブルに肘を付いているからだろうか。あんまり姿勢はよろしくない。
神様の眷属に対して失礼なんじゃないかと思ったけれど、ツキミ様はそれを怒ったりはしないようだ。今井さんの言葉に黙って頷くと、すうっと周りの風景に溶けて消えた。
こういうのを見ると、ツキミ様が人間じゃないのを実感する。
「……えっと、ツキミ様は、帰られました?」
「はい」
その問いかけに私が返事をすると、上原さんはほっと息をついて、姿勢を崩した。どうやら、ずっと緊張していたらしい。私の方はと言えば、先ほどから足を崩してしまっている。けれど上原さんはずっと、正座をしていたのだ。
……ちなみに今井さんは、胡坐を組んでいた。
「いやあ、初めてシロ様以外のおキツネ様と会話しました。……生まれて初めて。貴重な経験だったなあ」
上原さんは、少しずつ足を動かして、胡坐を組んだ。きっと、酷く痺れているに違いない。
「上原さん、大げさですって。ていうか、なんでシロには緊張しないのにツキミ様には緊張するんですか」
今井さんは、やはり苦笑いだった。
でも私からすれば、今井さんのほうが大胆過ぎるんだと思うけれど。
「それはだって、シロ様は今井さんと一緒にいるし、本当に狐の姿してたし……」
上原さんは、言葉を選びながら言い訳をした。
というか、その名前が緊張感ないんだと、私は思う。
「ま、名前もシロだしね」
今井さんは、私と上原さんが怖くて口に出せなかったことを、さらりと言ってくれた。
『それは、ユウが勝手に付けた名であろうが』
シロはムッとして、今井さんに抗議する。
シロが今井さんをユウと呼ぶなんて、とても親密な関係のようで、ドキッとする。まあ、実際親密なんだろうけれど。
ところで、今井さんが名付けたというのは、どういうことなんだろう。
「だって真名は口に出せないし、かと言ってツキミ様のような呼び名を教えてくれなかったのはシロじゃない。つうか、そんな呼称があるんだったら、最初から教えてくれればよかったんじゃないの?」
今井さんはそう文句言ったけれど、シロはしれっとした顔で聞き流してしまった。今井さんは、不満そうに頬杖を付く。
「あ、そうだ坂下さん、お弁当食べて?」
そんな二人のやりとりの切れ目を見計らって、上原さんは私に気を利かせてくれた。私は何となく恐縮して、会釈をする。上原さんは笑って、立ち上がった。ちなみに立ち上がった瞬間に少しよろけたけれど、何とか持ち直した。
「お茶を入れ直してこよう。ちょっと疲れたし、のんびりとくつろぎたいところだね」
そう言って、彼は部屋を出て行った。
その後、私たちは連絡先を教えあって、解散した。上原さんと今井さんは、時間が許す限りそれぞれで調べてみるつもりらしい。どちらにしろ、来週の休日には集まることを約束した。
……そして、犯人は思わぬ形で明らかになることとなった。