12.

「あれ、久美ちゃんは?」  
 海から戻って来た将行は、そこに美紀しかいないことに気がついてそう言った。
 将行の後からは三月先輩が戻ってくる。
「あ〜、何かぁ、ジュースを買ってくるって言って」
「ふうん。そろそろ飯時なんだけどな」
 将行はそういって、砂浜の上にドカっと座り込む。
 体から滴った海水が、砂浜にしみ込まれていった。
「じゃあ、美紀ちゃん、一緒に泳ごうか」
「はい!」
 暗黙の内に将行を荷物番として任命し、三月先輩は美紀を誘った。
 美紀は差し出してくれる手に、恥ずかしがりながら掴まると、立ちあがってお尻の砂を払う。
 将行は海へ入って行く二人を眺めながら、ボーっと考えた。
(ナンダカンダ言って、あの二人はうまく行きそうだよな……全く、俺はキューピットだね。 天使様だよ、ホント)
 五分経ち、十分経ち……
「何か久美ちゃん遅いなあ……は! まさかナンパという魔の手にかかっているのでは! この俺が奪い返さなければ…」
 奪い返すという表現はこの場合適切ではないように思われたが、将行は一人立ち上がると、 沖の方の二人を大声で呼び、荷物を指差してからその場を離れた。
 
 海水浴場には多くの海の家が並んでいる。
 将行はとりあえず一番近い海の家へ向かった。飲み物を買いに行くくらいだったらここを使うだろう。
 将行は、海の家の雰囲気が好きである。
 雑然とした感じ。楽しそうな客たちとか、かき氷を削る音、ラーメンが運ばれる光景。
 海の家だけでなく、将行はお祭りも好きだ。ビアガーデンも好きである。 ようは皆が楽しそうにはしゃいでいる場所が、好きなのだ。
「っと、いないか……どこ行ったんだ?」  
 将行は海の家の中を一眺めした後、そこを出た。左右を見やって、ため息をつく。
 この中から久美子一人を見つけるのは至難の技だ。……というか、不可能である。
「あ、携帯にかけてみるか」
 将行は荷物のところへ戻ると、荷物から携帯を出す。美紀と三月の二人が、将行の方を伺っていた。
 しかし将行は何も言わずそこから離れると、初日に聞き出した久美子の携帯に、かけてみる。
 呼び出し音が数回、いや、十数回。……出ない。
 この騒音の中、気がつかないのであろうか。
 将行は一度切った後、しかしもう一度かけてみた。 次はしつこく呼び出し音を鳴らしつづける。
 そしてとうとう、電話が通じた。
「あ、久美ちゃん? 俺だけど、今どこにいるの?」
『あ、えっと……すみません、すぐ戻りますから』
「うん、もうそろそろ昼飯食いたいしな。でも、今どこいんの? 何してんの?」
 将行は携帯電話を耳に強く押し当てながら喋る。
 反対側の耳を指でふさいではいるが、相手の声が良く聞き取れない。
 何かぼそぼそ言っているみたいだ。 なぜか、こっちの方の声をでかくしてしまう。
「え? 何!」
『とにかく、もう戻るんで』
「ああ、ならいいけど……」  
 将行は釈然としない気持ちで電話を切りかけたが、ふと視界のすみに、久美子の姿を見つけた。 ここから50メートルほど離れた場所にある海の家の前で、携帯を耳に当てている。
「あ、俺今久美ちゃんを見つ……」
『え……?』
 言いかけて、やめる。
 久美子の前に、男が一人いたからだ。
 電話をしている久美子の手前、居心地が悪そうに立っている。
 背が高く、肌が黒い。体格もいい。黒く長めの髪は濡れそぼっていて、髭をはやしていた。
 何だか怖そうな、ちょっと近づきにくい人種だ。
 あいつが、ナンパ野郎か?
「ねえ、久美ちゃん、その人誰?」
『え!?』  
 久美子は慌てて辺りを見まわした。それでも将行を見つけられなかったらしい。こちらとは目が合わない。
『こっちが見えているんですか?……とにかく、もう帰りますから』
 久美子はそれだけ言うと、電話を切った。
 手前の男に何かを言ってから、踵を返す。しかし、その腕を男が掴んだ。
 久美子は振りかえって、腕を振り払う。そしてまた何かを言った後、こっちに歩いてきた。
 こちらに来る途中、将行を見つけたようだ。
 久美子は気まずそうに会釈した。
「大丈夫なの?」
 何が、とは言わなかった将行だが、久美子は頷く。
「いいんです。用事はもう済んだし」
「……知り合い?」
「ええ、まあ」  
 久美子はそれだけ言って、美紀たちの方へ歩いていった。
 将行は男のいる方を振りかえって見る。 男はこちらを見ていた。将行と目が合うと、 すっと向きを変えて人ごみの中へ消えていく。
 ……なんだか、気に入らなかった。

 

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