14.

 その日、家に帰った美紀は、昼間の久美子との会話が何となく気になって将行の部屋のドアを開けた。
 将行はゲームのカーレースに夢中になっている。
「楽しい? それ」
 美紀はベッドの端に腰掛けると、将行に尋ねる。
「ああ、まあ」
 適当な返事が返ってきた。
 兄の車は二位の車に大差をつけて、トップを走っている。もう確実に一位でゴールするだろう。美紀はこの手のゲームは苦手なので、何が楽しいのか分からなかった。
「で、何か用?」
「う〜〜ん、用って用はないけど〜」
 やはり聞き辛くて、言葉を濁してしまう。
 言いながら枕元の雑誌を開いてみた。新作ウォッチが並んでいる。
「ふ〜ん、ま、いいけど」
 そうしてしばらく沈黙が続き、車のエンジン音とブレーキの音だけが部屋に響く。 それがゴールによって途切れてから、美紀は意を決して将行に切り出した。
「ねえ、お兄ちゃん、三月先輩のことだけど」
「んあ?……ああ、ちと待て」
 美紀との会話に集中するためか、将行はセーブをした後電源を切った。美紀の座るベッドの上に来ると、 そこに横向きに横たわってリモコンでテレビに切りかえる。チャンネルを一回しし、 音楽番組で固定した。
「で? 三月が何だって?」
「三月先輩さあ、何で私と海行ったり映画行ったりしてくれんのかなあ?」
「……ん? そりゃお前」
 言いかけて、将行は言葉に詰まる。
 何かを考えるように黙ってしまった。
「私、何か期待していいのかな……」
「う〜ん、まあ、な」
 将行はまた曖昧な返事をして、雑誌を手に取った。パラパラとめくる。美紀はそんな兄をじと目で見た。
「お兄ちゃん、何か隠してる?」
「ああ?」
「だって、三月先輩と私を海に誘ったのはお兄ちゃんでしょー! 協力してくれるんじゃなかったの?」
「してんだろうが。この前も映画行くの、セッティングしてやったし」
「……先輩は何か言ってないの? 私のこと」
「ん〜、どうだろう?」
「はあ、もういいよ」  
 美紀はその時点で諦めた。  
 むくれた顔をつくった美紀を見て、将行は少し気まずそうに沈黙した。  
 そして次には……
「……や〜! ははは、あは、ちょっとやめてよ〜〜!!」  
 突然将行にくすぐられ、身悶える美紀。  
 脇腹を両手でごにょごにょとやられ、美紀は息をつく間もなく笑い転げる。何とか反撃しようと美紀も将行をくすぐりにかかるが、それはあまり有効ではなかった。
「や、もう、……降参! 降参だってば!」
 将行の手を何とか自分の脇腹から引き剥がすと、美紀はベッドにうつ伏せになって、はあ、と息をつく。今度はその上に将行がのしかかってきた。
「ぐえ〜〜重い〜〜」
「ここは俺のベッドだからな。美紀敷布団」
「潰れる〜〜お兄ちゃんのデブ〜〜」
「……何ぃ? お前、自分の立場を分かっていないようだな。せっかく俺が良いアドバイスをくれてやろうと思ったのに」
「え〜?」
 ようやく将行が上からどいたので、美紀はベッドから降りて兄の言葉を待った。
「とりあえず、もう少し様子を見ろ。三月が何か言ってくるかもしれないしな」
「何か……」
 そして美紀は、昼間の会話を思い出した。三月先輩からの告白。
 一瞬にして赤面する美紀を、将行は怪訝そうに見た。
 そして、一瞬にやりと笑んで、言う。
「それと……三月がお前の事、すごく可愛いってさ」
「……! ホント〜!? いや〜、そんな〜」  
 酷く照れたように両手で頬をこする美紀を見て、将行は満足した。  
 相変わらず、面白い反応をしてくれる妹である。
「それじゃ、もう部屋に戻るね〜あ、お風呂入ろっと」  
 そうして、美紀は上機嫌で将行の部屋を出た。
 それを見送った将行は思い立ったように、テーブルの上の携帯を取る。
「あ、三月? 俺。……美紀のことだけど」
 そうして、二人の会話は十分ほど続いた。
   そんなことは全く知る由もない美紀は、湯船につかり、鼻歌を歌っていた。 矢井田瞳の歌のようだ。
 片足をお湯の中から出して、軽く撫でる。水がはじいて、滴った。
(明日は学校だ〜。三月先輩に会えるかな〜)
 三月先輩が自分を可愛いと言っていたということに、美紀は内心はしゃいでいる。
 そして次の日、更なる幸せが美紀を待っていることを、その時は知らないでいた。  

 

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