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ライブハウスは熱気に包まれ、重低音はもはや地響きと感じるほどだ。 この狭い空間にこれだけの人が詰め込まれているのだから、酸素はかなり薄くなっているのではないだろうか。 そう思うと本当に息が苦しくなるようで、美紀は小さくため息をついた。 小さな箱のようなライブハウス。その一番後ろ。 三月先輩は気を利かせて後ろの方にしてくれたのだろう。それでも美紀は、 ライブの中盤当りですでに、ややうんざりとしていた。 演奏中の曲が終わったようだ。一際大きな歓声が上がる。 先輩の友人だというボーカルの彼は、先輩ほどではないがそれなりのルックスをしていて、女のファンが多いようだった。 彼女らのタフさをやや尊敬の眼差しで見ていると、隣に立っていた三月先輩が、美紀の耳元に口を近づけてきた。 「美紀ちゃん。もう、出よう」 「え? で、でも」 先輩の吐息まで一緒に感じて、美紀は紅潮し戸惑う。 「感想を言えるくらいには充分聴いたし、もういいよ。美紀ちゃん、辛そうだし」 「そ、そんなことはないです!」 「……けれど、時間が勿体無いでしょ? せっかく一緒にいるんだし。この前の映画みたいに、 何にも話さないままじゃつまらないからね」 美紀は赤面したまま返す言葉を失っていると、先輩は少し笑みを浮かべて、美紀の手を取った。 そしてそのまま、やや強引に外に連れ出された。 「せ、先輩、ちょ、ちょっと待ってください〜」 狭い階段を何とか上りきって、二人は外に出た。 美紀は足をもつれさせながらも、頭の中でははっきりと先輩の手の感触やその体温を感じていた。 この感じを絶対に忘れまいと心に決める。 「ああ、ごめんね」 美紀の困りきった声にようやく先輩は手を放した。美紀は残念に思う反面やや気を緩ませる。 ……それがいけなかったらしい。 床のコードに足をつまづかせて、美紀は大きく腕を振り上げながら前のめりに倒れ込んだ。 「うきゃ……」 思わず猿のような声を上げてしまった。 そして、必死に何か掴まるものを探す。 もちろん、美紀の目の前にあって掴まるのに調度良いものとなると、一つ、いや、 一人しかいなかった。 駄目だ、と思ったときにはもう遅い。 美紀は三月先輩にぶつかるように倒れ込み、そしてその腕にしがみついてしまった。 「おっと、……大丈夫?」 美紀の体重くらいで一緒に倒れ込んでしまうほどの、ひ弱な男ではなかったらしい。 三月先輩は美紀の身体を支えるように腕を回してくれる。 「あ、ありがとうござい……はっ、あああ、ああの…」 これではまるで抱き着いているみたいだ。 美紀は慌てて、三月先輩の身体から離れた。 三月先輩をやや突き放すようにして離れた美紀は哀れ、その反動で更にバランスを崩すことになる。 「危ないっ」 三月先輩が、その腕を掴んで支えてくれた。 色んな意味で鼓動が早くなったままで、美紀は今度こそ頭の中が真っ白になった。 恥ずかしがればいいのやら、嬉しがればいいのやら…… 表情を強張らせたまま固まっていると、しばしして三月先輩が吹き出すようにして笑った。 「……まったく、美紀ちゃんって本当に面白いなあ」 それで美紀も、ようやく情けない表情をして笑ったのであった。 時間は七時半過ぎを示していた。 ファーストフード店で軽い食事をとることにした二人は、それぞれハンバーガーのセットを買って向かい合っている。 美紀は壁の時計をちらちら見つつ、今日将行に言われたことを思い出していた。 『いいか、朝帰りするのはいいけど、お母さんが帰って来る前には戻ってこいよな。……ああ、 しっかしお前もついに! 朝帰りかあ……いいよなあ、恋多き乙女はよ』 もちろん美紀が赤面して怒ったことは言うまでもない。思い切り慌てた様子だったのは、三月先輩にはもちろん内緒である。 けれど、そんなこと本当にあるのかなあ、と美紀は思う。 期待がないわけではない。 久美子との会話では、わざとボケて分からないように演じているが、美紀にそういう知識がないわけではなかった。 けれど、圧倒的に恥ずかしさが勝っている。それにそういう経験をするのにはまだ早いような気がした。 「どうしたの? 美紀ちゃん。難しい顔をして……」 「え!? 何でもないですよ!?」 心の中を見透かされたようで、美紀は慌てて首を振る。 もちろん三月先輩にはそんな美紀の心情が分かるはずもない。 「そう?」 それでも三月先輩のこの特有の笑みは、何だか全てを知っているかのようで、美紀は意味もなくドキドキするのであった。 |