19.

「……何だ、もう決まったようなもんじゃん」
 久美子は美紀に、事の顛末を聞かされてそう言った。
 翌日の、日曜日。 美紀の部屋には、久美子が遊びに来ている。
 テーブルの上にはウーロン茶の入った湯のみと、菓子盆に載せられた煎餅。
 遊びに来るのに煎餅を差し入れに持ってくる久美子も、相当な変わり者なんじゃないかと、 美紀は思う。
「き、決まったって?」
 ベッドの上にのぼりつつ美紀は聞き返した。
「何を今更とぼけてんの。良かったねえ。もうお兄ちゃん様サマって感じだね」
「……やっぱり、そう思う?」
 美紀は赤面しっぱなしの顔を両手で挟んで、思わずにやけつつ久美子の方を見やった。
 そんな美紀の仕草を見て、久美子は意地悪そうに微笑む。指でつまんだ煎餅を齧って、 ボリボリと噛み砕いた。
「まあでも、決まったわけじゃないけどね〜。そもそも、待ってくれなんて意味深じゃん? ……今頃慌てて女関係整理してんのかも」
「せ、先輩に限ってそんなことあるわけないでしょ〜!!」
 一転、怒った美紀の声と共にクッションが飛んできた。久美子は難なくそれを受け止めると、 更にそれを枕にして絨毯の上に寝そべる。
「ま、それは冗談にしても、訳わかんないのは本当のことじゃん。私だったら先輩みたいな人はヤダな〜。 裏表ありそうで。そもそも美紀は、何で先輩のこと好きになったんだっけ? 優しくてカッコ良くて文武両道でって、それだけ?」
「それもあるけど〜、……それだけじゃないよ」
 美紀はベッドの上に寝転んで、思いを巡らせた。
 桜咲く入学式。
 
 その日の美紀は、極度の緊張のために腹痛を起こし、散々な朝を迎えていた。
 もう、確実に式に遅れる。そんな状態で家を飛び出した。
 兄はまだ眠っていたし、母親も仕事の関係で後から来ることになっていた。
 一人見知らぬ地へ向かい校門に辿りつくとそこには、「桜花高校入学式」 と墨汁で書かれた看板が立てられ、満開の桜が、美紀の頭上を覆っている。
 感動した。
 新しい制服と、見なれぬ校舎。そして、満開の桜は、 美紀の高校生活の始まりを祝福してくれているかのようだった。
 が、すでに入学式は始まっている。
 しかも、二十分も前に。
 学校には電話連絡をしておいたものの、美紀にとってまず最初の難関は、 入学式が行われる体育館にどうやって辿りつくか、ということであった。
 上級生らしき生徒の数が、遥か向こうの方に疎らに見られた。
 しかし、肝心の受け付けらしきベースには、タイミングが悪かったのか人っ子一人いない。
 美紀は不安そうな面持ちで受け付けの机を覗き込んだ。
 入学者の名簿らしい紙束が、文鎮で押さえられている。そのとなりには、菓子が入っていたらしき、 四角い缶箱。蓋は閉められていて、そこに貼りつけられた紙には「花飾り」と書かれていた。
 本来だったらここで名前をチェックして、花飾りを胸に飾り、 案内役の生徒に案内されて体育館に向かったことだろう。 どうしよう、と美紀は辺りを見まわした。
 近くには、誰もいない。
 少なくとも、美紀の存在を認知して、助けようとしてくれそうな人は、誰も。
 とにかく、体育館を目差すことにした。 校舎の向こうに体育館らしき建物の屋根が見えたから、そこに向かえばいいだろう。
 と、どうやらそれが甘かったらしい。
 見事に、迷った。
 屋根は見えているものの、そこに向かう道がない。 駐車場や花壇、焼却炉……。
あらゆるものに阻まれて、体育館には辿りつけないのだ。
「……もう、いいや」
 二十分ほど迷って、美紀は諦めた。
 中庭らしき場所のベンチに腰掛けて、ため息をつく。
 入学式が終われば中から人が出てきて、気がついてくれるだろう。 入学式に出られなくたって、別に困ることはないだろうし。
 そう思って、しばらくぼうっとしていた、その時である。
「君、もしかして、新入生の子?」
「……はい〜」
 それが、三月先輩だった。
 向こうから歩み寄る彼を見た瞬間、美紀の目からは星が出たという。
 桜が散る中、ブレザーをキチンと着こなした、長身の男子生徒。サラサラとした髪が風になびいて、 それをかきあげる仕草が妙にカッコ良い。そして近づくにつれてその美形の顔がはっきりとする。
 王子サマだ、と思った美紀を、誰がバカにするだろうか。
 ……まあ、久美子ならバカにするだろう。
「良かった。やっと、見つかった……えっと、星野、美紀さん、だよね」
 名前を呼ばれて、驚きながら立ち上がった。
「どうして、私の名前を知っているんですかあ?」
「先生から頼まれたんだよ。遅れてくる子がすぐに来るだろうからよろしくって。 それを頼まれた時に受付から離れてて。まさか頼まれたその時に来てたとは思わなかったからね」
「そ、そうだったんですか。ごめんなさい、迷惑をかけてしまって…」
「いや、俺の方はいいんだけど。それより、入学式の方……」
 いいながら、時計を見た。その仕草にさえ、見惚れてしまう。
「もう、一時間も経ってるね」
「……」
「……星野さん?」
「は、はい!」
 ぼうっとしていたせいで、思わず大きな声で返事をしてしまった。先輩が、少し笑う。
 笑顔もカッコイイなあ、と思った。
「あと三十分もすれば、一区切りつくと思うんだよね。式自体が終わったら、校歌を聴いたり、 説明を受けたりするから。その時にこっそり入れば丁度いいかと。……それでいい?」
「はい、お願いします!」
「じゃあ、それまでここで喋ってようか。暇だし。色々聞きたい事とかある?」

 

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