3.

 翌日美紀は学校で、いつものように久美子に報告した。
 朝のSHR後の休み時間、教室は心地よいざわめきに包まれている。
 久美子は美紀の話を聞くと、面白そうに笑いながら他人事のようにコメントした。
「へ〜、よかったじゃん」
「久美子〜他人事だと思って〜! 言っとくけど、久美子も行くんだからね」
「はあ? 冗談じゃないよ。何で私が」
 久美子は明らかに不満の色を濃くして、手のひらをひらひらと振った。
「それに私も予定があるの。他の人誘いなよ」
「そんなー、私の心の友は久美子だけなのに〜」
「……心の友って、ジャイ○ンじゃないんだから。第一あんたの兄ちゃんと二人で何しろっていうのよ」
「二人じゃないよ、四人で行くんだってば」
「ばっかだね〜。兄ちゃんは何のためにあんたを誘ったと思ってんの。先輩と二人きりにする機会を作るために決まってんじゃン! そしたら余りものの私とあんたの兄ちゃんが一緒にいるはめになるんだよ!」
「ええ〜〜? 私と先輩が二人きり〜? やだ〜そんな〜」
「……だめだこりゃ」
 両手で頬を包みイヤイヤと頭を振る美紀を見て、久美子はため息をついた。そしてう〜ん、と考え込む。
「でもまあ、T海岸か……。ちょっと行きたい気もするな」
「え? ホント!? 行こうよ、行こう! はいもう、決定〜」
「うわ、こいつムカツク」
 久美子ははしゃぐ美紀の態度に、思いきり顔を歪めて見せた。
 
「お兄ちゃん! 遅刻するよ!」
 美紀はその朝、用意された朝ご飯を一人で急いで平らげると、階下から兄の部屋へ向けて叫んだ。しかし返事はない。
 美紀の家は母子家庭で、母は夜型の仕事をしているから生活の時間が合わない。水商売というわけではなく、深夜タクシーの運転手をしているのだ。
 母はいつも朝食を作ってから寝る。だから朝も夜も、将行と二人きりの寂しい食卓だ。
 美紀は兄を起こすために、仕方なく階段を上り始めた。階段を上がって少し広いスペースがあり、また子供部屋へ続く扉が向き合ってある。
「お兄ちゃん! 遅刻!」
 問答無用で部屋の中に入ると、その部屋の散らかりように一瞬怯んだが、意を決して中に進む。
 ベッドの脇に立って、その間抜けな寝姿を眺めた。
 掛け布団は床までずり落ち、Tシャツはめくれて腹が丸見えだ。口を開けて寝ているから、口の横にはヨダレの跡がついている。
「……これは確かに、久美子が可哀想かも」
 美紀は呆れたように呟いてから、一応屈伸をして、飛びこみの準備をする。
「起きろ〜!」  
 その言葉と共に美紀は将行の上にダイブした。
「ぐ、ぐええええええ〜〜〜!!!……げは、……うぐぐううううう」
 妙なうめき声を上げて、将行は絶命した。
 
「あ、久美子〜!」
 校門に差し掛かった時、前方に久美子の背中を見つけて美紀は走り出した。
 ガバっと久美子の背中に抱きつく。
「うわ、ちょっとやめてよ、恥ずかしい。大体あんた、もし私じゃなかったらどうすんのさ」
「え〜? 大丈夫だよ、久美子だってちゃんと分かるもん。……愛、故に?」
「寝ぼけたこというな。あんたの能天気ぶりは、朝はつらいわ……」
 二人は並んで教室を目指した。
「あ、今日は部活の日だ〜」
「……あんた部活なんて入ってたっけ?」
「違うよ、美術部の活動日なんだよー。先輩を覗きに行くの!」
「兄ちゃんの情報のせいであんたのストーカーぶりも、拍車がかかってきたね」
「ストーカーじゃなくて、恋する乙女!」
「はいはい……」
 久美子は疲れたような表情で、相槌をうつ。
 このような態度はいつものことだったが、美紀はふと久美子の顔を覗きこんで、「あ〜」と声を上げる。
「眼の下黒いよ! 昨日何してたの?」
「別に、深夜映画に見入っちゃっただけだよ」
「うそだ〜久美子はいつも面白そうな深夜映画は事前にチェックして、録画するじゃん!」
「ビデオが切れてたの」
 教室について早々自分の机に向かってしまった久美子を、恨めしそうに見て美紀も席についた。
 その直後すぐに先生が入ってくる。
「ほら、お前ら席につけ〜」
 ざわめいていたクラスが静まったところで、先生は話し出す。
「さて、丁度一週間後に迫ったテストのことだが、お前達にとっては初めての期末テストだな。中間テストの結果は何とも散々な結果だった。今回は真面目に勉強していい結果を出せよ」
 どうやらこのクラス、中間テストは学年中、最下位だったらしい。
 けれど美紀にとってはそんな事どうでも良かった。今は、ただ夏休みのことだけが気がかりである。
(あーあ、夏までに3kgは痩せないとな〜。特にウエストと太ももがね。ウエストはワンピース型の水着でごまかすとして、足はな〜)
「こら、星野、聞いているのか?」
(それにしても先輩と海で、ででででえと、なんて……)
「星野!!」
「……はい!」  
 突然のだみ声がすぐ近くで聞こえて、美紀は慌てて返事をする。
 黒くて硬質の生徒名簿を手にした、担任の森忠(もり ただし)先生が怖い顔をしてにらんでいた。
 通称ゴリチュウ。
「特にお前はぼ〜としていることが多いからな。しっかり勉強しろよ」
「はあ……分かりました」
 美紀は気のない返事すると、こちらを振り返って呆れたような顔をしている久美子に笑いかける。
 久美子は離れた場所にいる美紀にも分かるよう大げさなため息をつくと、前方を向き直った。
「まあ、楽しい夏休みが目前なのだから気が緩むのも分かるがな。……じゃあ、そろそろ授業が始まるな。 皆真面目に授業を受けろよ」
 そういって森先生は教室から出ていった。森先生は外見は怖いが、生徒に理解ある先生だった。
「夏休み……夏休みかあ」
 美紀は呟いて、ため息をつく。授業でも上の空だったことは言うまでもない。

 

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