23.

 それから美紀は、一人家路についた。
 本当は久美子と一緒に帰りたかったのだが、久美子は部活があるのだから、仕方がない。
 とぼとぼと歩いていると、何だか寂しくなってしまった。
   先輩のことをもっと信じたら良かったのかもしれない。あんな言葉に流されずに。
 入学したときからずっと、憧れの先輩だったのに。
 視線が合うだけでも舞い上がって、大騒ぎしていたころの自分が懐かしい。
 いっそのこと、あの頃のままだったら良かったのだろうか。片思いをしている方が楽しい、とか、雑誌にも書いてあったっけ。
 そもそも、幻想を抱きすぎていたのかも……
 そこまで考えて、美紀は大きく頭を振った。どんどん悪い方に考えていく癖は、やめよう。先輩がどんな人であれ、先輩の言葉に助けられたのは、真実なのだから。

 家に着くと、とたん兄の馬鹿笑いが聞こえた。それがあまりにも(下品で)楽しそうな笑い声だったので、美紀は大きくため息をつく。そしてキッと顔を上げると、足音を大きくたてて階段を上がり、将行の部屋のドアを勢い良く開け放った。
「お兄ちゃん! ちょっとうるさいよ〜! 私が色々悩んでいるときに、下品な声で邪魔しないでよ〜!」
 そう言われた兄は、大口を上けた間抜けな顔でこちらを振り返ったが、すぐに表情を引き締めて、こちらをじっと見つめた。
「……お前」
「な、何よ〜?」
「三月に振られただろう」
 何となく痛い所をつかれたような気がして、美紀はうっ、と言葉をつまらせた。
「ひ、人聞きの悪いこと言わないで!」
「人聞きも何もな〜……そうかそうか、それはご愁傷様。やっぱりお前のタヌキ面じゃ、三月も満足できなかったか……」
「ま、またタヌキって言われた」
 美紀は少し論点のずれたところでショックを受けたが、すぐにはっと気が付いて、反論の口を開ける。
「ま、まだ振られてないんだからね〜!」
 けれどそれ以上のことは言えなかったので、それだけ言い残して扉を閉めた。
 そしてガックリと肩を落とし、自室に引きこもったのであった。

 翌日、落ち着かない様子で授業をやり過ごしていた美紀は、ついに放課後となって、更に動揺を隠せないでいた。
 そわそわと教室の周りを歩き回って、黒板消しやチョークを弄ったり、席に着いたり立ち上がったり……
「美〜紀〜ちゃ〜ん!」
「うわ、は〜い!」
 突然の背後からの呼びかけに、おかしな返事をしてしまった。振り返ると案の定、馬鹿にしたような笑みを浮かべた久美子が立っている。
「落ち着きが足りないよ〜、君は……」
 まるで先生のような口ぶりで、久美子が言う。
「ま、気持ちは分かるけどさ」
「う、うん」
 気が付けば、教室にはもう二人しか残っていない。
 久美子は近くにあった机の上に腰掛けた。
「久美子、今日部活は?」
「今日はないよ。あるのは月、金、土だからさ」
「あ、そっか」
 今日は火曜日である。
「昨日、眠れた?」
 久美子が足を組替えながら尋ねてきた。すらりと長い足が、スカートからはえている。
「……う〜ん、まあ」
 適当な返事をしてしまった。
 頭の中では、昨日の話を思い出している。変わったという、先輩の女の趣味について。
 もし自分と正反対なのだとしたら、先輩は自分よりもむしろ、久美子の方が好みなのではないだろうか……
 美人だし、性格もいいし、サバサバしてて。文武両道で、何でも器用にこなしてしまう。
「何、あんた、私に惚れた?」
「……う〜ん、まあ……ええ!? な、何いってんの!?」
 思わず大声で反論してしまった。
「あはは、だってさっきから、人のことじろじろ見てるからさ」
「お、女が女に惚れるわけないじゃん!」
 確かに久美子のことは好きだけれども。
「とか言いながら、顔赤くなってるよ」
 ずばりと言われ、美紀は思わず自分の顔に手をやった。
「そそそそ…」
 なんと言っていいのか分からず、美紀の頭の中はぐるぐる回る。
「あ、言っとくけど、私そんな趣味ないから」
「……あ、当たりまえでしょ〜!」
 久美子は絶えず笑いながら、大声を出す美紀から逃げるかのように机から降り、荷物を肩にかけた。
「じゃあ、健闘を祈る!」
「え、もう行っちゃうの?」
「当然でしょ〜? 三月先輩と一緒に帰るのは、あんた。私は用なしだからね。じゃあ、また明日」
「うん、バイバイ」
 久美子は笑って教室から出て行った。
 とたん、教室は静まり返る。
 美紀は自分の席に着くと、教室の前方にある掛け時計を仰ぎ見た。
「4時半……」
 そろそろ、先輩も来る頃だろうか。

 

home/index/back/next