25.

 あ、というガラス越しの、くぐもったその声を聞いたのは、久美子が丁度バナナマフィンを食べ終わった頃だった。
 久美子が少し視線を動かして外の方を見やれば、そこにはガラスにへばり付くようにして立つ一人の男子生徒がいる。 彼は、同じ高校の制服を着ていた。
「お〜、オダヤン」
 将行が声をあげた。どうやら知り合いのようだ。
 オダヤンと呼ばれたその彼は、小走りに店の入り口に回ると、間もなくして久美子たちのテーブルまでやってきた。
 男にしては背がやや低い。髪は赤茶色く、耳にはたくさんのピアスをしていた。
「やっと見つけたよ〜、星野」
「おお。何か用?」
 やっと見つけた、という割には特に息が切れているわけでもない。焦った感じもないようだ。
「ここ、座ってもいい?」
 “オダヤン”は久美子の隣の席を指して言い、そして許可を得る前に腰掛けた。
 久美子が少し驚いたような顔をしていると、少し笑って、「どうも」と頭を下げる。
「……どうも」
 久美子も釈然としないまま会釈を返した。
「あ〜、こいつは小田裕也ね。こっちは綾部久美子ちゃん」
 頼まれたわけでもなく、将行がそれぞれの名前を口にする。
 小田は、「どうも、どうも」と言いながら、半分ほど残っていた将行のウーロン茶を勝手に二、三口飲み下すと将行の方へ体を乗り出した。
「でさ〜、本題なんだけど」
 何だかマイペースな男だな、と思いつつ久美子はこの状況を静観することにした。自分の出る幕はなかろうと思ったので。
「おう、何した?」
「何かな〜、五時前くらいに三月から電話があったんだ〜」
 その言葉に、久美子は反射的に将行の顔を見た。
 しかし将行は特に大きな反応は見せない。それで久美子は、将行が昨日のことと、そして今日の約束のことを知らないのだと知る。
「ふ〜ん、お前に? 珍し〜」
「それがさ〜、俺にじゃなくてお前に……」
「は?」
「……お前今日、携帯は?」
「家に忘れた」
「だろ? で、三月はちょっと困り、俺に頼んだわけよ。お前に伝言を」
「へえ、何?」
 久美子は嫌な予感がして、少し戸惑った。しかしその戸惑いを態度には出さずに、小田の次の言葉を待つ。
「行けないって」
 やっぱり、と思った。久美子は思わず頭を抱える。
 遅い。非常に遅い。
「はあ? 意味わからん。ちゃんと話せよ」
「だからな、美紀ちゃんとの約束がどうとか〜……とにかく、行けなくなったってさ」
「あああ〜、もう!」
 思わず声を上げてしまった。その声に驚いた様子の二人を無視して、久美子は自分の携帯を取り出す。
「く、久美ちゃん?」
 将行が名を呼んだが、とりあえず無視をする。久美子は美紀の自宅の番号を押すと、通話ボタンを押した。
 ……出ない。
「将行さん、もう帰りましょう」
 久美子は言って、立ち上がった。
「何、どうした?」
 将行は話の事態が飲み込めていないらしく、唖然としている。
「美紀、昨日ちょっと色々あって……今日は三月先輩と一緒に帰る予定だったんですよ。大事な話をするはずだったんです。それなのに、あああ、もう!」
「まあ、落ち着いて」
「落ち着いてます。美紀がどれほどショックを受けてたか、三月先輩だって知ってるはずなのに。……とにかく私、美紀がちゃんと帰ってるか確かめたいんで、将行さんの家に行ってもいいですか?」
 言われて将行は、黙って立ち上がった。傍らに置いた荷物を持ち、久美子の方を見る。
「……分かった。とりあえず帰りながら事情を聞くよ。じゃあオダヤン、ここで」
「ああ、お疲れ〜……っておい!俺も行く!」

 

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