26.

「美紀、聞いちゃったんですよ。昨日の放課後、屋上へ続く階段のところで、先輩たちが話していたことを」
 久美子はそうして、将行に一通りの事情を話した。
 後方からついてくる小田の事が気にならないわけではなかったが、とりあえずは無視することにした。
「あ〜、だからあいつ、昨日落ち込んでたのか……」
 将行はすぐに話を飲み込んだ。
 やがて三人はバス停まで辿り着いて、立ち止まる。
「八分後だな」
 将行が時刻表を確認して言った。三人、黙ってバスが来るのを待つ。
 現在7時25分。
 沈黙が気まずいと思ったのか将行は何かを言おうとして、そしてふと思い出したかのように小田の脇を肘でつついた。
「……っていうか、おい、オダヤン」
「は? 何?」
「何でお前着いてきてんだよ。っていうか、俺んちに来るつもりかい?」
「今更、あんた」
 小田は泣きそうな表情を作って、将行の顔を見る。
 将行はあからさまに迷惑そうな顔を作っていた。その顔を見たとたん、小田は苦笑を浮かべて一歩後ろに下がる。
「ひどいな〜、星野君は。……じゃあ、俺は帰るよ。せっかく面白そうだったのに」
「諦めが早いのはいいことだな。ま、お前は部外者だから」
「そんな冷酷な。美紀ちゃん、可愛くて俺のお気に入りなのに。……と、そんなことはともかく、じゃあな」
「ああ、今度何かおごるわ」
 小田はそうして、にこやかに帰っていった。
 相変わらず良く分からない人だ、と久美子は思う。でも、悪い人じゃない。むしろ、好感の持てるタイプだ。
「いいんですか? けっこう、冷たくあしらっちゃってましたけど」
「あ〜、いいのいいの。あいつはな〜、ああいう奴なんだよね。何かあったらとりあえず顔突っ込むんだけど、嫌がられたらあっさり引くんだわ」
 将行はそう言って苦笑した。
「それより久美ちゃん、悪いな。妹のことで心配かけて」
「まあ、友達ですから。……でも、先輩は何でまた、ドタキャンしたんですかねえ」
「さあな。俺にも分からん。あいつの考えてることはイマイチ分からんねえ」
「そんな、のん気な」
 久美子は将行の、そののんびりした応答に、やや呆れながら笑う。
「……でも、私としては将行さんの考えていることも分かりませんけど」
「え?」
「美紀のこと大切に思ってるくせに」
 そこまで言ったけれど、久美子は続きを言わなかった。言わなくても、言いたいことのニュアンスは伝わるだろうから。
「……なあに、言ってんだか」
 思ったとおり将行は、困ったような顔をして言葉を詰まらせた。
「ま、俺も色々考えてるんだけどね〜?」
「色々、ですか」
「うん、色々」
 その会話はそこで終わった。

 やがてバスが来て、二人が星野宅についたのは結局、8時を過ぎていた。家を外側から眺めて二人はため息をつき、さらに玄関に入って、落胆する。
「帰ってませんね」
「まあったく、どこに行ってんだか。あ〜、とりあえず俺、自分の携帯取って来るわ。ここで待っていてくれる?」
「あ、はい」
 将行はそうして、二階の自分の部屋へ駆け上がっていった。
 久美子はため息をついて、玄関の一段上がった場所に腰を下ろす。制服のポケットから携帯を出して、二つ折りのそれを開き、また閉じた。
 美紀が携帯を持っていないのが悪いのだ、と内心思う。
 久美子は携帯をポケットに戻して、薄暗い玄関から、階段の上の方を仰ぎ見た。
 将行の部屋のドアが半開きになっていて、薄く光が漏れている。
 しばらくして、将行が携帯を持って降りてきた。
「だめだ、三月の携帯にもつながらない。4時50分と5時ちょっと前に着信が入ってた」
「そういえば、さっきの人、え〜と」
「ああ、小田?」
 将行は答えながら、もう大分古く痛んだデッキシューズを履く。
 久美子も立ち上がった。
「そう、その人。先輩から何の用事で行けなくなったかっていうの、聞いてなかったんですかね」
 あの時は確か、久美子自身が話をとぎらせてしまったのだ。
 久美子の指摘に将行は、「ああ」と頷いて、自分の携帯を見た。
「あ〜〜〜、ちょっと待てよ……」
 言いながら、将行は携帯のボタンを操作し、耳に当てる。
 プップップ……という発信音のあとに、呼び出し音が小さく聞こえた。
「お〜オダヤン。さっきは悪かったな。ところでお前さ〜、三月が行けなくなった理由知らん?」
 そうして、何回か応答を繰り返した後、将行は電話を切った。
「どうでした?」
「病院へ行かなくちゃならなくなったらしい」
「……ていうと、もしかして元カノの?」
「かもな〜……」
 美紀との大事な約束をキャンセルして、元カノの元に向かうことに、どんな意味があるのだろう。もちろん、相手は入院中であり、特殊な事情があったのかも知れないけれど……
「で……、問題は美紀なんだけど」
「そうですね」
「まあ、あいつも子供じゃないし、その内帰ってくるとは思うんだけどな。久美ちゃんも、帰った方がいいんでは?」
「う〜ん、そうですね。じゃあ、帰りがてら駅の周りとか探してみます。夜遅くになっても美紀が帰ってこなかったら、連絡して下さい」
「ああ、じゃあ俺、駅の方まで送るわ」
 その必要はなかったが、久美子は断らなかった。
 おそらく将行も、美紀を探すつもりなのだろうから。


 九月とはいえ、昼間はまだ残暑が厳しい。しかし日が沈んでしまえばやや肌寒く、秋も近いことが感じられた。
 小田は将行たちと別れたあと、駅前で出会った知り合いの女子高生たちと立ち話をしていたが、それも切り上げて帰ることにした。
 半そでのシャツから出た腕を両手でさすりつつ、家の方向へ向かう。
 小田の家は駅から歩いて15分ほどのところにある。若葉通りを公園の方へ歩き、そしてその公園を通り抜けると、ちらほら住宅が見え始める。その中に小田の自宅があるのだ。
 今日もいつも通り小田は、若葉通り沿いにある商店の中を覗き込んだり、パン屋のパンを買うべきか買わざるべきか悩んだりしつつ、公園へ足を踏み入れた。
 噴水が、ライトアップされている。
 昔から見慣れた噴水だ。
 小田は足を止めて、その噴水を見上げた。
 小さく、大きく、水は止まることなく空に向けて噴出されており、同じ形のようで、それは同じ形ではない。ずっと眺めていると、容赦なく時間が過ぎていくことを、小田は子供のころから知っていた。
 今日もその噴水を5分ほど眺めてから、再び足を踏み出した。
 と、一歩で止まる。
 視線を動かしたその先には一つのベンチ。そして、そこにぽつんと腰かけている、一人の女子高校生。
 「あらあらあら……」と、小田は心の中で苦笑を浮かべつつ、そのベンチに歩み寄った。
 そうして、ごく自然にそこに腰かける。
 その子はまだ、自分に気づいていないようだ。呆然と噴水を眺めている。小田はその視線をさえぎるように、体を屈めてその子の顔を覗き込んだ。
「美〜紀ちゃん」

 

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