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そういえば、松井先生から聞いたっけ。先輩が久島っていう人と付き合っていて、一時期有名だったって。 有名だったっていうと、やっぱり相当ラブラブだったのだろうか。 美紀は頭の中でぼんやりと、その久島像を作り出して、三月先輩と抱きしめあっている姿を想像した。 そうして勝手に赤面した。 きっと美人なんだろうなあ…… 「でね?……美紀ちゃん、聞いてる?」 「え? あ、はい!」 またボーっとしていたようだ。慌てて返事をした美紀に、先輩はちょっと笑った。 「……彼女と出会ってから俺は、かなり変わった。それまでは、特定の子と本気で付き合うこともなかったし、生活も不規則で、夜遅くまで遊んでいたり。かなり不真面目だった。でも彼女と付き合うようになって、何ていうのか……価値観が変わったというか。とにかく、目がさめたんだ。彼女と付き合うまでの生き方が、本当につまらないものだったことを、思い知らされた」 淡々と、それでも真剣な表情でそう話す先輩を、美紀は少し複雑な気持ちで見ていた。 先輩の中には、その久島という人が、とても大きなものとして存在していたのだ。人の生き方や価値観を変えてしまえる人というのは、どれほどの聖人なのだろうか。 自分にはとても無理な話だ。 「じゃ、じゃあ、何で別れてしまったんですか?」 そんな魅力的な人と別れてしまう理由なんてないように思えた。 「それは……」 先輩は言いかけて、言い難そうに口をつぐんだ。 「まあ、簡単に言うと、振られてしまったんだな。彼女の口から、別れようと言われた」 「そ、そうなんですか……」 先輩のように人気があって、誰からも好かれるような人が振られるなんて、何だか嘘のように思える。 久島さんが先輩を振った理由は何だったのだろうか。 美紀はそれを知りたくて口を開いたが、すぐに閉じた。 あまり執拗に聞くようなことでもないような気がした。それは、失礼なことのように思えた。 なので、美紀はそれ以上何も言うことが出来なくなってしまい、ただ俯いて黙り込んでしまう。 頭の中はというと、実はからっぽだった。 何を考えればいいのか、分からなかったのだ。 先輩も、しばらく何もしゃべらなかった。 やがてバスは、駅前に着いた。 ここでバスを乗り換えれば学校に着く。 しかし二人は朝食を食べていなかったし、時間はまだ沢山あったため、マクドナルドに入ることにした。 人はそんなに多くはない。 学生やスーツ姿の人がまばらに座っている。 美紀はホットケーキセット、三月はソーセージマフィンセットを頼んで、席に着いた。 オレンジジュースに口をつけながら、美紀は昨日色々と悩んだことを思い出した。 そして改めて、先輩はなぜ自分のことを気に入ってくれているのだろうか、と思う。…この場合、先輩が自分のことを好きなのかどうかは、定かではない。先輩は、「いつか自分から言う」と言っただけなのだし。 でも、嫌いではないことは確かだ。 むしろ、好かれているのだと思う。 そうでなくては、色々と誘ってはくれないだろうし。 先輩が自分のどこが気に入っているのか、それくらいは聞いてもいいだろう。 「……あ、あの」 「ん?」 「先輩はそのう〜。わ、私のどこが、気にいっているんですか?」 と、そこまで言ってから、何だか自分が自意識過剰な質問をしてしまったように思えて、内心慌てながら続けた。 「あ。あの、本当にき、気に入ってもらえているかどうかは分からないんですけど、でも色々と誘ってくれたり、そ、その、キ……」 言いかけて、美紀は一気に顔を赤くした。 そういえば、先輩から額にキスをされたのだった。 そのことをまったく失念していた。 考えてみれば、好きでもない相手にキスをするものだろうか? いや、でも、先輩はそれまで色んな人と付き合っていたわけで……、しかしながら、今は久島さんに出会って変わった後なのだから…… 頭の中が混乱し、美紀は口を開いたまま硬直し、赤面していた。 そんな美紀を見て、先輩は片手を自分の額にあて、俯いた。 呆れているのだろうか、と美紀は赤面しながら不安に思う。 しかし、先輩の肩は小刻みに震えていて、笑いをこらえていることが分かった。いつかの、公園のように。 「あのう……先輩?」 「……いや、ごめん、ちょっと」 先輩は謝りながら、額にあてていた自分の手を今度は口元に持ってきて、笑みを何とか打ち消そうとしているようだった。 「美紀ちゃんって、すぐ顔に出るよね」 そう、言われた。 それは図星だったので、美紀は更に赤面するしかない。それを誤魔化すためにジュ−スに手を伸ばし一口飲むと、それが気管に入ってしまい、慌てつつも無理やり飲み込んだ。 そうして数秒後に思い切り咳き込む。 「だ、大丈夫?」 「だ。……だい、ゲホゲホ!!」 見るも無残、というのはこのことを言うのだろう。 でもそのおかげで、先輩の笑いはすっかりと収まった。今は心配そうな表情で、美紀を見守っている。 数分して、ようやく美紀の咳は収まった。 「す、すみませんでした」 美紀はもう先輩の顔すら見られないほど真っ赤になって、俯きながらそう呟いた。 何だか本当に、先輩の前では間抜けなことばっかりやっている気がする。 「いや、本当に大丈夫?」 「は、はい」 最後に一回だけ咳払いをして、美紀は冷や汗のかいた額を拭った。 「そういう、一生懸命なところが」 「はい?」 「美紀ちゃんのそういう一生懸命なところと、素直なところが、好きだよ」 |