34.

 美紀はその日、これ以上悩むのはやめようと心に決め、ひたすら時間が経つのを待った。
 勝負は今日の放課後だ。
 今日を逃がしたら、土日を挟んでしまい、三月先輩に会うチャンスを作り難い。かといって来週に回すと、また悩んでしまい決心が揺らぎそうだった。
「あれ、美紀帰らないの?」
 決心は固めたものの、未だに机から動けないでいると、帰り支度を終えた久美子が話しかけてきた。
 久美子はこれから、部活があるはずだ。
「……か、帰るよ?」
 美紀は何故だか少し慌てながら椅子から立ち上がると、荷物をまとめ始めた。久美子は少し怪訝そうにしながら、「ふ〜ん」と適当な相槌をうつ。
「まあ、頑張りなよ」
「何を!?」
 久美子の言葉に、何もかも見透かされているのかと思い、美紀は思わず大きな声で訊いた。
「ん? まあ、色々と。何慌ててんの、あんた。……もしかして、もう諦めちゃった?」
「諦めたって……?」
「いや、三月先輩のこと」
「そ、そんなことはないよ」
「そう? ならいいけど。……あんまり深くは考えないようにネ?」
 久美子はそう言って微笑むと、教室から出ようと、視線で美紀を促す。
 美紀は黙ってそれに従った。
 階段を降り、昇降口に向かう。保健室の前を通りかかったところで、美紀は足を止めた。
「あ、久美子、私ちょっと用事あるの思い出したから、ここで!」
「……あ、そう?」
 久美子はそう言った後、しばし神妙な面持ちで沈黙していたが、すぐに嫌味な笑みを浮かべる。
「まあ、頑張りなよ」
 久美子は先程と同じように美紀を励ますと、上履きを履き替え、校舎から出て行った。


 久美子の後ろ姿が見えなくなるまで、その場で立ち止まっていた美紀も、ようやく覚悟を決めて踵を返した。
 目指すは三月先輩の教室。まだ、残っていればいいけれど。
 三年生の教室は三階にある。
 美紀はその階段を一気に駆け上ると、そこで立ち止まってしばらく息を整えた。見知らぬ上級生たちが幾人もすれ違っていく。
 息が整うと、美紀は最後に一回、大きく深呼吸をした。
 その時である。
「あれ? 美紀ちゃん?」
 吐き出す息が、途中でぴたりと止まる。
「せ、先輩……」
 美紀は赤面して三月先輩の方に視線を向けた。前方五mほどのところに、友達らしき男子生徒と並ぶ先輩の姿がある。
 美紀が黙ってしまうと、その生徒が先輩にため息交じりに話しかけた。
「いやあ、お前相変わらずだな」
「……何のことだよ」
「女の子にモテて、羨ましいってことだよ。……誰だっけ? しばらく誰とも付き合わないとか言ってた男は」
「うるさいよ、お前。先帰れよ」
 不機嫌な声で、ぶっきらぼうに話す先輩を初めて見たような気がする。そして、そういうふうに言われた方は、やや呆れながら笑って美紀の隣を通り過ぎた。
「頑張ってね」
 最後にそう言い残す。
 ……それは、どちらに言い残された言葉なのだろうか。
 美紀はぼうっとしながら、そんな疑問を心の中に浮かべていた。
「美紀ちゃん」
「あ、……あの、話があるんですけど」
「じゃあ、とにかく場所を変えようか」
 周りは丁度下校時間だということもあって、多くの生徒が行き来していた。そしてそのほとんどがこちらに視線を向けていくので、美紀も今更ながら、かなり恥ずかしい思いをして、先輩の提案に頷いた。
「えっと、じゃあ、とりあえず行こうか」
 そう促されて、美紀は黙って先輩の後についていく。二人は階段を下りると、昇降口から校舎を出た。
 美紀はその間中ずっと黙って、どう切り出そうと考えていた。そして、何と言えばいいだろう。人に告白することなんて、初めてだから何て言えばいいのか分からないし、状況も特異だ。
 一方先輩の方も、ずっと黙っていた。表情は背の低い美紀の位置からは伺えなかったが、何だか話し掛けづらい雰囲気である。
 校門を出てすぐのところにバスがあって、二人はそこに並んだ。すでに十人程の生徒が並んでいる。
 この高校は自転車通学の生徒とバス通学の生徒がいるが、ほとんどは自転車通学である。美紀の場合、自転車で通えない距離ではないし、事実兄の将行も、ほとんど毎日自転車で通っているが、美紀は主にバスを使用している。
 理由はただ一つ、美紀の自転車の操作が危なっかしいからだ。
 乗っている最中、何度か転びそうになるし、自動車と接触しそうになったことも何度もある。
 それで、始めの頃は自転車を使っていた美紀だが、すぐにバスに切り替えた。
「先輩、今日はバスなんですか?」
「ああ、最近はほぼ毎日駅前の予備校に行ってるからね。帰りも遅くなるし、親がバスにしろってさ。…女の子じゃないんだから、平気なんだけどね」
「あはは、そうなんですかぁ」
 しばらくしてバスが来ると、二人はそれに乗って駅前までたどり着いた。バスから降りるとすぐ前に、この間一緒に朝食を摂りながら話したマクドナルドがある。
「どうする?」
「あ、あの、公園に行きたいんですけど……」
 あの公園は、美紀にとって今や、特別な場所になってしまった。
 先輩と手をつないで、歩いた公園。その帰りには、先輩から額にキスをされた。
 そして、約束通り一緒に帰れなかったあの日も、美紀はフラフラと公園に来て、一人でずっと過ごしていたのだ。
「いいよ」
 先輩は頷いて、二人は若葉公園まで歩き出した。


 

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