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やがて若葉公園にたどり着き、二人は噴水を正面にして、歩を止めた。 公園には疎らに人影が見える。 ただ、学校が終わってすぐのためか、生徒も、当然会社員の姿もあまりない。 いるのは買い物ついでによった子連れの主婦や、散歩中の老人くらいである。 「あ、あの……」 美紀は妙に高鳴る鼓動に、声を震わせながら、意を決して先輩に話し掛けた。先輩は美紀の方ではなく、噴水の方に視線を向けている。 「あの、ごめんなさい、私」 まずは、謝らないといけないと思った。 長い間、結論を出せずにいたこと、そして、先輩を避けていたこと。 「何だか、私も混乱しちゃって、よく分からなくなっちゃって……。あの、もちろん先輩を嫌いになった訳じゃなくて」 「……うん」 先輩がこちらを向いた。 噴水の影が大きく、小さく動いている。 「あの、本当に、すみませんでした。一週間以上も……」 美紀は何て謝ればいいのか分からなくなって、言葉を途切れさせた。 先輩の顔を見ていられなくなって、俯いてしまう。 「いや、いいよ。……美紀ちゃんの気持ちは何となく分かったし、無理しなくていいから」 「……え?」 気持ちが分かったって、どうしてだろう。 そして、無理しなくていいって、どういうことなのだろうか。 美紀は少し戸惑って、何を言えばいいのか分からなくなってしまった。 「俺も、色々考えたんだけど。……美紀ちゃんの気持ちも考えずに、勝手だったかなと思ってさ。ホントごめん。俺、昔から相手の気持ち考えないところがあってさ、良くないとは思うんだけどね」 「え?……あ、そんなことはないです!」 何だかよく分からないけれど、美紀は自分を卑下する先輩を、弁解し始めた。 「先輩は凄く優しいし、魅力的です! 私を励ましてくれたし、色々考えてるっていうか……だから」 好きなんです。 そう言おうとしたところで、言葉が詰まってしまった。 そしてそんな美紀に、先輩は困ったような顔をして、口を開く。 「そう? ありがとう。……でも、付き合うとなると、抵抗があるんでしょ?」 「え?」 付き合うのに抵抗? 確かに、先輩と自分では不釣合いだとは思うが。 「こっちから告白して断られたことなかったから、少し傷ついたな……。そっか、振られるって言うのはこういうことか……」 先輩は美紀から視線を外して、独り言のように呟いた。 美紀は少し唖然として、今どういうことになっているのか分からずにいた。 先輩が振られた?……いつ、誰に? 「でも、気にしないでね。美紀ちゃんは素直だし、優しいからそんなこと言っても無理かもしれないけど。俺も、すぐには割り切れないとは思うけど、時間が経てば大丈夫だから」 「……え? あ、え?」 「辛い思いをさせてごめん。……じゃあ、美紀ちゃん、俺これから予備校あるから」 「え!?」 先輩はそうして、美紀に背中を向けて歩き出した。 美紀はもはや頭の中が真っ白になって、ただ立ち尽くす。 何故こういうことになっているのだろう。まだ、自分の気持ちをしっかり伝えていないのに。 何で伝わらないんだろう? あの日も、美紀はただ見送るだけしか出来なかった。 『じゃあ、残りの荷物は着払いで送ってくれ』 『……ええ、分かったわ』 自宅の玄関口。大きな荷物を持った父が、それを一度背負いなおして、そして視線を下に移す。 自分は、母の足にしがみつきながら、心細げに父の顔を見上げていた。 『将行はお兄ちゃんなんだから、しっかりな。お母さんを支えてやれよ』 『……』 今年小学校を卒業する兄は、自分の隣で黙ったままだった。 『美紀も、早く友達が出来るように、頑張れな』 自分も、言葉を発することが出来なかった。 あの時自分は、父を引き止めたかったのだろうか。それとも、お酒を飲んだときに乱暴になる父がいなくなることに、ほっとしていたのだろうか。 もう、今では覚えていない。 そしてあの日もただ、背を向けて家から離れていく父の、その背中を見送るだけしか出来なかった。 自分はただ、父に走りよって抱きつきたくなる衝動を、押さえていることで精一杯だった。 でも、そうすることは、許されないことだと知っていた。 毎晩酔って帰ってくる父と、そして自分たちに知られないよう、隠れて涙を流していた母。 そして、両親の離別。 お酒を飲んでいないときの父は優しくて、大好きだった。 居間でまどろむ自分を抱き上げて、部屋へ運んでくれた、父の腕の温かさや、規則正しく聞こえる鼓動が、大好きだった。 それなのに。 自分には父を引き止める術はなかったし、その思いも伝えることが出来なかった。 小さな自分は、友達のいない自分は、本当に無力だった。 そして今もなお、自分は無力なのだろうか。 |