36.

 そうして、呆然と公園のベンチに移動しそこで座っていたら、知らずにまた長い時間が経ってしまったようだった。
 気がついてみると、あたりは薄暗く、街中の建物にもたくさんの明かりが点いていた。
 公園の時計を見ると、もう7時近い。
「もう、帰らなきゃ……」
 美紀は自分に言い聞かすよう呟くと、ベンチから立ち上がった。のろのろと足を動かして、駅前に向かって歩き出す。
 頭の中には、先輩の後ろ姿が焼きついて離れなかった。
 そして、全ての思考回路が停止してしまったようで、悲しいような寂しいような、でもそんな気持ちが本当にあるのかどうかも分からなかった。
 ただ、空しい、喪失感だけがある。
「よく、分からないよ……」
 なんで、背中を向けてしまうのだろう。
 何故、行ってしまうのか。こんなにも、求めているのに。


 美紀はそうして、焦点の定まらない瞳をしたまま、それでも商店街の間を通り、駅前に向かっていた。
 人の往来は激しいのに、器用にそれを避けて歩いていく。
 けれど、何かを感知しているわけでもなかったし、何かを見ているわけでもなかった。
 だから、知り合いとすれ違っても気がつくわけでもなかっただろうし、声をかけられても、美紀には聞こえなかっただろう。
 美紀はそのまま歩いて、地下道へ続く階段の前で立ち止まる。
 何も考えずに歩くことは出来ても、階段を下りることは出来なかった。結局美紀は不器用なのだ。
「……あれ、美紀ちゃん?」
 だから、このタイミングで声をかけることが出来たのは、彼にとって幸運だった。……もちろん、美紀にとっても。

「どうしたの? ぼ〜っとしてさ〜?」
「あ〜、小田くん」
 丁度、オダヤンこと、小田裕也が地下道から上がって来たのだ。
 小田は軽い足取りで美紀の前まで来ると、その顔をのぞき込み、笑みを浮かべかけるが、美紀の様子を知ってそれを止める。
「……顔色悪いよ? どっか具合悪いの?」
「ううん?……別に?」
 美紀は少し笑みを浮かべるようにして、それを否定した。
 けれど、上手く笑えなかっただろう。
 小田は余計に心配して、困ったような表情を浮かべた。
「何だか最近、美紀ちゃんの様子おかしいなあ。……例の、三月のせい?」
「……」
 それは図星だったので、美紀は何とも答えることが出来なかった。
「美紀ちゃんを悲しませるとは、何てサイテーな奴なんだ……」
 小田はそう一人で呟くと、美紀に笑いかけた。
「ねえ、一緒に、ドーナッツ食べない? 俺今ちょうど食べたかったところでさあ、でも一人で入るのは恥ずかしいじゃん? 美紀ちゃんが付き合ってくれると嬉しいんだけど」
「あ、うん、いいよ」
 小田は、そう言われると断れない美紀の性格を知っているのだ。

 ということで、二人は近くのミスタードーナッツへと入ってドーナッツを買った。
 店のテーブルは満席だったので、テイクアウトにして、通りに設置してあるベンチに腰掛けてそれを食べる。
「あ〜、甘いものを食べると生き返るよね? 美紀ちゃんはそういうことない? 俺はさあ、昔から、親に叱られるたびに甘いものを食べるのよ。そうすると元気が出てさあ。叱られたことも忘れられて。……でもまあ、それでまた同じことで叱られるんだけどね? 美紀ちゃんはどう? 甘いもの好き? チョコレートなんて最高だよねえ。あの、びたぁ〜すうぃ〜とな感じがさあ。何だか身体にしみわたるよね? でもそのせいで最近ちょっと脂肪がついてきたみたいでさあ、ダイエットしなきゃな〜とか思ってたんだけど、美紀ちゃん良いダイエット法知らない??」
「……え? ええと」
「あ、でも美紀ちゃんはダイエットなんて必要ないだろうから、知らないか。超カワイイしね。……どう? 俺と付き合わない?」
 美紀はしばらく小田のマシンガントークの内容を、やや遅れながら処理していたが、やがて全てを処理し終わって、とたんに驚いて赤面した。
「……ええ!? い、今なんて」
「美紀ちゃん、俺のこと嫌い?」
 小田は寂しそうな顔をして、訊いた。
 美紀は驚きすぎて、何とも答えられなかった。
 告白されることもなかったし、何よりこんなふうに簡単に人に告白できるなんて思いもよらない。
「あ、あのう……」
「って、やっぱ駄目かあ……」
 小田は、笑った。
「俺、美紀ちゃんのことけっこう前から好きだったんだけどねえ。でもさあ、あのお兄さんの手前、言えなくてさ〜」
 お兄さんとはもちろん将行のことだろう。小田と将行は幼馴染なのだ。
「俺の甘酸っぱい初恋だったんだよねえ。今ようやく言えた。けど、美紀ちゃんには好きな人がいるみたいだし。俺ってタイミング悪すぎだな〜」
 そう言って、大きくため息をついた。
 大袈裟な身振りで。
 美紀はそれで、思わず笑ってしまった。
「あ、ひどい」
「……ごめ、ごめんね? でも、ありがとう」
「うん、元気出た?」
 その言葉に、笑っていた美紀の目から、思わず涙が零れ落ちた。
「あれ?」
 それには美紀自身驚いていたし、もちろん小田も驚きを隠せなかった。
「あ、えっとごめん、俺何か傷つくようなこと言った?」
「……う、ううん?」
 美紀は自分でも良く分からなくて、ただ、その涙を拭うことしか出来ない。
 小田も落ち着かない様子で、美紀の方を伺っていた。
 やがて涙が止まって、美紀は照れ笑いを浮かべる。
「ごめん、何だか、嬉しかったみたい」
 美紀はそして、小田に向けて改めて笑顔を浮かべた。


 

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