6.

「……わあ〜〜! 海だ! 海だよ久美子!」
「はいはい、分かってるって」
 久美子は電車の中ではしゃぐ美紀をたしなめながら、周りを見渡した。この時期、海水浴場へ行こうとする人が多く、電車の中はぎゅうぎゅう詰めだった。
 実際美紀も、人に押されながら、電車のドアにへばりついたような状態になっていた。
 将行も恐らくこれと同じ電車に乗っているのだろうが、待ち合わせて乗ったわけではないので、どこにいるのかは分からない。
「久美子ってお兄ちゃんを見たことなかったんだっけ?」
「学校で遠目からなら見たことあるよ。美紀が教えてくれたんじゃん。どんな顔してたかはあまり覚えてないけど」
「何かね〜、人を馬鹿にしたような嫌な顔だよ〜」
「それはあんたを馬鹿にしてるからでないの? まあ、どうでもいいけど」
 久美子は苦笑して窓の外を見る。
 電車はトンネルを出たり入ったりしながら、進んでいる。その合間に時折広がる海が、太陽の光を反射してきらきらと光っていた。
「あ、次の駅だ」  
 車掌のアナウンスが聞こえて、美紀が言った。  
 二人は電車を下りると、改札口を通って駅前に出る。多くの人がごった返す中、美紀はすぐに三月先輩を見つけた。
「あ、三月せんぱ〜い!」
「お、来た来た」  
 三月先輩の隣にはすでに将行が立っている。  
 その二人の元に駆け寄った美紀の後ろから、久美子がゆっくりとやってきて軽く会釈した。
「初めまして、綾部久美子です」
「やあ、俺は美紀の兄の星野将行。で、こっちは友達の三月隼人。よろしくな、久美ちゃん」
 将行は美紀を押しのけると、久美子の前に進み出てにっこりと笑う。
「はあ、こちらこそ」
 何だか軽そうな男だな、と久美子は思う。
 初っ端から自分のことを久美ちゃんなどと呼んでくること自体、何だか馴れ馴れしい。
 けれども美紀のお兄さんなわけだし、これから二日間一緒に過ごすことになるわけだし、そこはまあ適当にあしらっていくことにしよう。
 久美子はそんな事を心の中で決めながら、将行の話に愛想笑いを浮かべつつ応じる。
 将行はそんな久美子の心中などお構いなしで、久美子の荷物を持ってやると、並んで歩き出した。
 それをしばし見ていた三月先輩は、将行と同様に美紀の手から荷物を取ると、にっこりと笑って先を促した。
「じゃあ、俺達も行こうか」
「はい! あ、荷物、有難うございます」
「いや、俺はこの通り手ぶらだからね」
 三月先輩は合宿の延長線でここにいるから、きっと荷物は宿に置いてあるのだろう。美紀はニコニコしながら先輩の隣を歩く。
「……楽しそうだね。海が好きなんだ?」
「はい!」
(先輩がいるなら、どこでも好きになります〜)
 美紀は心の中で呟いた。
 
「へえ〜、どんなぼろっちい民宿かと思っていれば、結構いいとこじゃねえか」
 将行はその建物を見上げてそう評した。
 その宿泊施設は海から歩いて500メートルくらいのところにあって、またテニスコートや体育館、 弓道場が隣接している。
 宿泊所は最近リニューアルしたようで、外見も部屋も、割と綺麗に整えられていた。
 三月先輩がカウンターで鍵を受け取ってくれて、それを美紀に渡す。
「美紀ちゃんと綾部さんは、203号室だね。俺達は202だから」
「お隣ですね〜」
 美紀はニコニコして先輩と言葉を交わす。
 今までの緊張はどこへやら、どうやら先日送ってもらった時に、ある程度慣れ親しんだらしい。
 将行と久美子は同じ事を考えながら、その二人を見ていた。
 まるでお見合いの世話役みたいである。
「じゃあ、また三十分後にここで。更衣室は海の家で借りられるから、まだ水着にならなくてもいいけど、 簡単な格好に着替えた方が良いと思うよ」
「はあ〜い」  
 美紀と久美子はそして、部屋へ向かう。  
 将行と三月先輩はまだ、ロビーで何かを話しているようだった。  
 
 三十分後、Tシャツとスカートに着替えた二人は、将行達と合流して海へ向かった。
 海岸に近づくにつれて、人々のざわめきと波の音が大きくなってくる。
「わ〜! 海だ〜!!」
「……あんたさっき電車の中でも言ってなかった?」
 久美子がはしゃぐ美紀を呆れたように見る。
 それを無視して、美紀は下り坂を小走りに降りていった。
「あいつは馬鹿だから仕方あるまい。久美ちゃん、いつもあんな奴の面倒を見させて悪いな」
「ええ、全く。でも慣れました」
 久美子が苦笑して言うと、美紀は「面倒なんてかけてないも〜ん」と少し離れたところから振りかえって叫んできた。
   砂浜にたどり着くと、淡白な久美子もさすがに歓声を上げた。
「あ〜、やっぱり海はいいな〜」
「久美ちゃんは何か思い入れでも?……俺は実を言うと悪い思い出しかないんだが」
「へえ、何なんです?」
「あれは、そう。二年前の夏。友達とナンパ旅行に海に来ていた俺達は、なんとニューハーフ達に逆ナンされてしまい……」
「あっは、それ、嘘でしょ? なんかのネタですか?」
 久美子の言葉に、将行は勢いをそがれてしまって、ううんとうめいた。
「やっぱ、うそっぽいか」
「だって、そんなの出来過ぎですって。……じゃあ、また後で」
 少し先で美紀が呼んでいる。恐らく着替えを誘っているのだろう。
 久美子は将行に軽く会釈した後、美紀の方へ走っていった。  

 

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