3.

 桜花高校には2つのグラウンドがある。200メートルトラックと400メートルトラックの2つで、女子陸上部が主に使っているのは200メートルトラックの方である。
 放課後、部活が始まる前に、ラインを引く。
 美紀は巻き上がる粉塵に咽りながら、石灰をライン引きに詰めて、グラウンドに出た。
 いつものことだが、ジャージの袖や裾が石灰で白く汚れてしまっている。
 10月の半ば頃から、久美子の勧めで陸上部のマネージャーをしていた。友達層を広げたかった美紀にとっては有り難い提案だったし、トロい自分でも、マネージャーくらいなら出来るだろうと思ったのだ。
 もちろん、考えていたよりかは大変な仕事であることが分かったが。
 グラウンドに出ると、向こうの方から制服姿の女の子が部室に駆け寄って来た。
「美紀、おはよう〜」
 すれ違いざまに、美紀に声をかけてくる。
 放課後なのに、部活に来て初めて会った部員には、「おはよう」と挨拶をするのが慣わしだ。美紀にはそれが不思議でならなかったが、それが習慣なら従うべきである。
「おはよう、みさ」
 同じマネージャーの日下部美佐子だった。クラスが違うため、忘れ物をした時に良くお世話になっている。
 美紀はライン引きをグラウンドに置くと、出来るだけ真っ直ぐ引けるように足を踏み出した。
 前日のラインの名残が薄く残っている。
「美紀〜」
 今度は背後から声をかけられた。
 美紀よりも一足早くグラウンドに出ていた久美子である。ブラシを引きながら、グラウンドの2周目を回るようだ。
「うわ、相変わらずヘロヘロだねえ」
 そう言われて振り返ると、確かに美紀が引いたラインはヘロヘロと曲がりくねりながら足元まで続いていた。
「どうやったら上手く引けるんだろう〜……」
「……さあ? まあ、いいんじゃん? ラインなんて、引けてりゃいいんだしさ。私もあんまり上手く引けないよ?」
「……だよねえ。でも私一番下手な気がする〜。不器用なのかな〜」
「あ? 今ごろ気付いた? 大丈夫大丈夫、不器用でも生きてけるからさ〜」
 久美子はそんなふうに美紀をからかうと、足を速めてサッサと進んでいってしまった。
 ブラシによって、グラウンドが綺麗にならされている。
 そんなふうに綺麗になったグラウンドに、美紀の下手くそなラインが引かれているのを見ると、何だかガックリときてしまう。
 美紀は大きくため息をつくと、再びライン引きを進め始めた。



「美紀、ランニング始まるよ」
 久美子に言われて、慌ててライン引きをしまった。
 美紀は最近、部活前のランニングに参加するようにしている。ランニングは400メートルのトラックで、男子陸上部と合同で行われる。
 ちょっとした運動にと、マネージャーの子もランニングと準備体操やストレッチには参加するのだ。
 久美子は美紀が追いつくのを待ってくれた。
「どう? 決めた?」
 部員がグラウンドに集合している中に加わると、久美子はそんなふうに美紀に尋ねて来た。
 一瞬何のことか分からなくて、美紀は首をかしげる。
「三月先輩とのラブラブ旅行計画のこと」
 そう言われて、美紀は何となく恥ずかしくなりながら、「まだ」と答える。
「早く決めないと、宿とか取れなくなるよ? つーかすでに春休み目前だから、結構キツイかもね」
「え〜? そうかな、そうかも……。ねえ、やっぱり皆で行くことにしない〜? 夏みたいに、お兄ちゃんと久美子で」
「は? 止めてよ。あんただって兄ちゃんとなんて行きたくないでしょ? 台無しになるかもよ?」
 そう言われてみれば確かにそうなので、美紀は言葉に詰まる。
 けれどいきなり二人きりで旅行だなんて、思い切り不安なのは確かだ。
「ん〜、どうしよう……」
「普通に行きたいところとかないわけ? 前は遊園地とか行きたいとか言ってたじゃん」
「うん、それはそうなんだけどね? いざ自由に計画してもいいってなると、かなり迷っちゃって……。久美子だったらどうする〜?」
「え〜? 私だったら絶対スノボーだね! 超やりたい」
 久美子はそう言って顔を輝かせた。
「つーか、春休みクラスの子たちと行こうよ。友達付き合いも大事よ?」
 ちょっと話の筋がずれたが、久美子の提案に美紀はあんまりノリ気ではなかった。
「友達付き合いはいいけど、私スノボーなんて出来ないよ〜。絶対一人で取り残されるし」
「ん〜。でも皆初心者だし、変わらないんじゃない? 美紀、スキーはやったことあるの?」
「中学の時に一回だけ……。でも、全然滑れない」
 美紀はそう言って、ため息をついた。
 勉強も苦手だが、スポーツはもっと苦手である。
「ふうん? まあ、スノボーはスキーよりも簡単らしいし。先輩はやったことないの? 兄ちゃんとかは?」
「お兄ちゃんは一昨年からやってるみたい。……今年ももう二回くらい行ってるし、まだこれからも行くみたいよ?」
 そう言えば、普段はあまり兄の話題に食いつかない久美子が、意外にも興味を示した。
「マジで? じゃあ、教えて貰えるじゃん! つーか、じゃあ兄ちゃんに言っといてよ。こっちで女の子集めるし、そっちも男集めて貰ってさあ。皆で行こうよって」
「……ん〜、いいけど、何だか私は気がノラないなあ……」
 美紀は何となく不安を感じつつ、楽しそうな表情をしている久美子の横顔を眺め、ため息をついた。


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