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結局、ぼうっとしたり、久美子にメールを送ったり、そんなことをしていたらようやく一時間が過ぎた。 21時を過ぎて、更に20分くらい。 もう、タイムリミットだと思って席を立ったところに、オリーブ色のダウンジャケットを着た三月の姿を見つけて、美紀は破顔した。 三月も笑って、こちらに歩み寄る。 「21時までだったんですね〜」 と言えば、三月は頷いて美紀の頭にぽんと手を乗せた。 一時間以上待っていたことを労ってくれているかのようで、美紀は照れながらも嬉しそうに微笑んだ。 そのまま手をつないで、マクドナルドから出た。 けれど、もう、バスの時間である。 将行はふざけて朝帰り、などと口にしていたが、まさか本当にそんなことは出来ないだろう。高校生がこんな時間に街にいるのだって、真面目な美紀は、いけないことだと思っている。 それでも。 例え少しでも三月と会えて、手をつないでいることが、美紀にとっては充分幸せだった。三月の手は暖かかったし、その暖かさは美紀の心まで温めるのだ。 美紀は自然と浮かぶ笑みを絶やすことなく、三月と並んで歩いていた。 「今日は、どうでした?」 そんなことを尋ねれば、三月は少しだけ首をかしげながら応える。 「どうって言われても。……昼まで家にいて、それから友達と会って、16時からバイトかな」 「友達って、安部先輩?」 これまで付き合ってきて、会話に良く出てくる三月の友達が、安部というヒトである。三月と同じ大学の、工学部に進学が決まっているらしい。 「うん、まあね」 三月が返事をしたところで、美紀はハッと気がつく。マクドナルドやCDショップを越えて数メートルのところである。 「そういえば、先輩、自転車は?」 三月はいつも、自転車でアルバイト先まで来ているはずである。 今日のようにアルバイトが早く終わる日はともかく、23時まで入っていたら当然バスはなくなるだろう。それで、三月はいつも自転車を使っていた。 「……あ〜、面倒くさいから、バイト先に置いておく。明日またバイト入ってるし、バスで来て、乗って帰ればいいから」 「……そう、ですか」 美紀は頷きながら、「明日もバイト入ってるんだぁ」と思う。 何時に入っているのだろう、と思いながらも、その問いは口から出てこなかった。 そんな美紀の内心に気がついているのかいないのか、三月はため息をつきながら、口を開いた。 「……いや、腹が減ったな」 「え〜へへ? 大丈夫ですか?」 「夕方からぶっ通しで入ってたからね。さすがに腹減るね」 三月がそう言って笑うので、美紀も笑った。 美紀はもう、将行たちと食事を済ませている。 「これから帰って、沢山食べてください」 「……そうだね、それまで我慢するか」 そう言って、三月は再びため息をついた。 空腹を訴える三月が面白くて、いとしくて、美紀はつないだ手を一旦離すと、三月の腕に抱きついた。 誰もが目を引きつけられるような、そんなかっこいい三月と歩いているだけで、美紀は気分が高揚してくる。 誰にだって見せびらかしたいし、自慢したい。 三月と一緒にいると、少しくらいの不安感とか、自分の自信の無さとか、そういうものは一切頭の中から消えてしまうのが不思議である。 「時間、大丈夫?」 三月は腕時計を見ながら言った。ランカスターというブランドのクロノグラフだ。文字盤の数字が大きく、形も面白い。 三月は服も小物もすべてが、おしゃれだった。 「美紀ちゃんのバス、最終何時だっけ?」 「21時57分です。……先輩は?」 「俺の方は全然、23時くらいまであるから。……まあ、まだ20分あるし、大丈夫かな」 そう言われて、美紀も改めて自分の腕時計を見た。秋口に買った、ピンク色のBaby-Gである。 デジタルの表示は、21:28となっていた。 自分の家の方面へのバスの最終が、こんなにも早いことが恨めしい。 三月の方と同じく23時まであれば、もっと一緒にいられたと思うと、悔しくなってくる。 そんな悔しさや寂しさから、美紀の口から無意識に、言葉が出てきた。 「……明日は、会えますか?」 「う〜ん? そうだね、明日も今日と同じだから……。ごめん、難しいかもな」 そう言われてしまって、美紀は俯いた。 そんなふうに言われると、今日のように待ち伏せすることも、してはいけないことのように思われた。 「明後日、どこか行こうよ。土曜日だし、学校休みでしょ? 俺もバイト入れてないから。どこか行きたいところある?」 「……っ遊園地!」 思わず勢いづきながらも、美紀はそう言った。 しょげたところに、思わぬ歓喜が蘇ってくる。 「あ〜、いいよ。……そういえば、そういうとこ、美紀ちゃんと行ったこと無かったよね。じゃあ、決まり」 三月がそう言って微笑んだので、美紀は嬉しくなって、心の中でスキップした。 土曜日が楽しみでならない。 そうしてバス停までの間、待ち合わせ場所や時間を決めて、バスが来れば大人しくそれに乗り込んだ。 三月に手を振って、その姿が見えなくなるまで窓にしがみついた後、姿勢を戻して大きくため息をつく。 未だ興奮冷め遣らぬ調子で、美紀はずるずると、背もたれに体重を預けた。 一日の中で、一喜一憂が沢山あって、美紀はそれに振り回されるばかりである。 それでも、美紀は三月が大好きだった。 あとは願わくは、三月が自分のことを好きでいてくれればいい。 三月の気持ちがわからなくて自信がなくなることもあるが、三月の彼女は自分なのである。本当はその事実だけでも、美紀は幸せなはずだった。 そして今は、その事実だけでは満足できなくなることを、恋愛初心者の美紀が、気がつくはずもなかった。 |