21.

 実際、三月は見飽きているはずの映画であったから、なるべく美紀の邪魔にならないように飲み物を用意したりお菓子を用意したりしていた。
 そのたびにソファを立ったり、座ったり。
 気にしなければ良い話だが、美紀にとっては無理な注文だ。
 三月の動作が気になって仕方がない。
 もちろん、頭の半分では、ストーリーに集中しようと努力はしていた。
 けれども飲み物やお菓子の準備が終わると、三月はソファに深く腰掛けて、DVDに集中し始めた。実際に集中していたかどうかは分からないが、彼の動きがなくなったのは事実だ。
 一時間ほど経って、話も中盤。
 美紀はチラリと、静かになった隣を見た。
 そして、その瞬間、美紀の緊張感が一気に消えた。三月は瞼をしっかりと閉じて、寝ていたのである。
 今日は、3月の最終日。明日には4月に入る。
 引越しなどバタバタ続きで、三月も疲れているのだろう。
 美紀はそっと、彼の顔をのぞき見た。寝息も立てず、静かなものである。ホントに寝ているのだろうか。
 これが兄の将行であれば、大口を開けて涎を垂らしながら、だらしなく寝ていることだろう。全く、大違いだ。
 瞼を縁取る、少し長めの睫毛は、少し前に見た時に強く印象付けられた。
 そう、初めてのキスのこと。
 三月の唇は厚くも薄くもないが、とっても柔らかかった記憶がある。唇って、柔らかいんだなあ、とその時初めて知った。
 三月の唇は、全然荒れてはいなかった。リップも塗っていないのに、不思議である。
 なんでこんなに完璧なのだろう。それとも美紀が気がつかないところに、彼にも、何か欠点があるのだろうか。
 美紀は自分でも気がつかないうちに、三月の顔に見とれるまま、彼に大分接近してしまっていた。
 ソファから身を乗り出し、下から覗き込むように彼の顔を凝視する。
 ふと、三月の瞼が僅かに動き、そして開いた。美紀は突然のことにどうしたらいいのか分からず、ただ赤面する。
 三月の唇の端が、意地悪そうに吊り上げられた。
「美紀ちゃん、DVD、観ないの?」
「あっ、えっと……」
 焦りながら答えを探していると、三月は美紀の肩に腕を回して、引き寄せた。何の躊躇いもなく、唇を合わせてくる。
 美紀は身を強張らせながら、それに応じた。二度目の、キス。
 相変わらず息を止め、唇を引き結んだままの美紀は、しばし時間が経過するとこれ以上長くキスが続いたらどうしようと、頭の中でパニックになっていた。
 美紀にとってはあまりに長い時間、三月は唇を離してくれそうにない。美紀は苦しそうに眉をしかめて、震える手で三月の胸元を弱く押し返した。
 それでようやく、三月は唇を離してくれた。最後にぺろりと唇を舐められて、美紀は苦しさとハズカシさと、とにかく変な感覚に顔を真っ赤にして身を崩れさせた。
 それを三月の腕が支えてくれる。
「……だから、息を止めちゃダメだって」
 その口ぶりに、苦笑が混じっている。
 美紀は未だ混乱したまま、顔を伏せていた。心臓がドキドキと高鳴っている。けれど、頭の中と、何故か下腹部あたりに、何か得体の知れない不思議な感覚がまとわりついていた。
 けれどその感覚は不快なものではなくて、何だか暖かく幸せなような、気持ちの良い感覚だった。
 美紀は顔を赤くしたまま、三月を見上げる。
 その表情を見た三月が、一瞬だけ息を詰まらせて、そして微笑むように目を細めた。
「せ、先輩」
「何?」
「……私、先輩のこと、すっごく好き」
 なぜそんなことを言ったのか自分でもよく分からなかったが、何故か言葉となって口から出ていた。
 好き、と伝えることが、こんなに自然に出来るなんて自分でも信じられなかった。
「俺も、美紀のこと、好きだよ」
 そう言われて、美紀は驚いて先輩の顔を見つめた。
 美紀、と呼ばれたのは初めてだった。
「え? え? 今、美紀って呼びましたよね?」
「嫌だった?」
「ううん、全然。凄く嬉しいけど……、ビックリしました」
「美紀も、名前で呼べば? 敬語も何か、もうおかしくない?」
「え! そ、そんなこと言われても、いきなりは無理です」
「そう? 残念」
 そう言って、三月は笑った。
 DVDから流れる英語は、もはやただのBGMと化してしまっていた。




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