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ご飯は外食にした。 歩いてすぐのところに小さなレストランがあって、ハンバーグとかオムライスとかを出している。どのメニューも家庭で出るようなそんな料理であり、味の方も素朴で美味しい。 さらに、安い。 「ここなら毎日来ても満足出来そうですね。……先輩はそれとも、自炊するんですか?」 帰りがけそんなことを聞けば、三月は曖昧な表情で首を傾げた。 「さあ、どうだろう。パスタとか焼きそばとか、あとは炒め物? 簡単なものなら作るだろうけど、自炊するかどうかは、分からないね」 「学校が忙しいと大変ですもんね」 「だね。……まあ、出来るだけ食費は浮かせたいけどね」 部屋についてからはテレビを観たり、雑誌をめくったりしていたが、21時を過ぎたところで三月が立ち上がった。 「俺、そろそろシャワー浴びてくるけど、美紀先に入る?」 「あ、えっと……、後でいいです」 シャワーという言葉で、緊張を思い出してしまった。 三月が部屋を出て行ってから、美紀は大きくため息をつく。 部屋の隅に置かれた、小さめのボストンバッグ。なんと、二泊分の着替えが入っている。 アリバイは、兄と久美子に頼んだ。久美子と一緒に旅行に行ったことになっている。兄も上手く口裏を合わせてくれていることだろう。 と、ソファの脇に置いていた美紀のショルダーバッグから、ブブブと、振動音が聞こえた。 すぐに切れたから、メールだろう。 確認すると、久美子からだった。『初体験、頑張れ〜』なんて、冗談にしかならないような応援が書かれている。 美紀はなんて返せばいいのか分からなくて、携帯を握りしめたまま、固まってしまった。 そんなことしません、と返せばいいのだろうか。 メールを打ちかけて、美紀は指を止める。 でも、もし三月がその気だったらどうすればいいのだろう。断りたいのか受け入れたいのか、自分でも分からなかった。 クラスメイトのなかにも、そういう経験のある子はいくらでもいた。あんまり詳しく聞いたことはないけれど、久美子だって経験済みだと思うし……。 けれども、今自分に全く抵抗がないと言ったら嘘だし、だけど本当に嫌なのかと言ったらそうでもない。 嫌なのは、自分の裸を見られることと、あとはちょっとした恐れだけ。 相手としては申し分ないわけだし、他の子からしたら、こんなことで悩むなんて馬鹿らしいことなのかもしれない。 それでなくとも、いっつも周りの女の子から妬まれているわけだし。 しばしすると、浴室の方から水の音が聞こえてきた。 美紀は何となく不安になって、メールではなくて、電話をかける。相手はすぐに、電話に出た。 『美紀〜? 電話かけてくるなんて、どうした? 先輩は?』 「え……と、今、シャワー浴びてる……」 『うっそ、マジで!? え? じゃあ何? もうかなり準備体勢入ってるわけ?』 「そ、そんなわけないでしょ! ただシャワー浴びてるだけで、深い意味はないと思う。……多分」 美紀は自信なさげにそう言った。 何だか情けなくなってくる。 『ふうん? そういう話にはならんの。つうか、話じゃなくとも雰囲気には?』 「え〜? 別になってないよ。さっきまで普通にテレビ観てただけだし……」 美紀はソファの上で体育座りしながら、部屋の扉を眺める。扉を三枚隔てた向こうで、三月がシャワーを浴びている。 「で、でもそういう雰囲気になったらどうしよう……」 『どうしようって、……そのまま雰囲気に身を任せれば?』 そう言った久美子の口調から、電話の向こうで浮かべているであろう皮肉っぽい笑みが想像できた。 『つーか、そういう覚悟は全くせずに泊まりに行ったわけ?』 「そういうわけじゃないけど。でも、いざとなったら緊張しちゃって……。ねえ、久美子は最初、どうだった?」 『ん〜、私はそんなに緊張しなかったかなあ。別に怖くもなかったし、処女守るつもりも全くなかったからなぁ』 「す、凄いね、久美子は……」 半分呆れつつ、半分は感心して美紀は呟いた。 体育座りしていた足を床に下ろして、美紀はまたため息をつく。 『美紀だって、別に嫌なわけじゃないんでしょ? ちょっと不安なだけで』 「う〜ん、分からない。でも、普通はするのかな。こういう状況になったら」 『まあ、彼氏の部屋に泊まるってことはねえ、そういうことになるのが当たり前かもね』 あっさりと言い放つ、久美子。 『いざとなって嫌だったら拒否すりゃいいじゃん?』 「う……、そ、そうだね」 嫌、ということは断じてない、と自分でも思うが、どうしても無理、ということはあるだろう。 「あ、じゃあそろそろ切るね」 『うん、健闘を祈る』 そう言って、久美子はすぐに電話を切ってしまった。プー、プーという電子音が聞こえてきて、美紀も携帯の電源ボタンを押して通話を切る。 扉の向こうの水音は、いつの間にか止んでいた。 |