26.

 その日は朝から小雨が降っていた。
 美紀の髪は少しくせっ毛なので、湿度が高まると、まとまりが断然悪くなる。
 なので雨の日は、軽くスタイリング剤をつけた後、一つに括ってしまう事が多い。どうせ今日は土曜日、部活のために学校へ行くだけだ。
 その部活も今日は雨だし、単純な室内練習で終わるだろう。
 美紀は洗顔を終えると、ダイニングへ向かった。食卓には食事が並び、母と将行がすでに食べ始めている。
「あれ? 珍しい。お兄ちゃん、今日どこか行くの〜?」
 土曜日の午前中はほとんど寝ている兄が、今日はすでに起きているのだから、何か予定があるのだろう。
「お兄ちゃんは今日、予備校の模試なんだよね」
 将行の代わりに母が答える。
 将行はわざとらしく顔をしかめ、頷いた。将行は予備校に通っているわけではないが、お金を出せば模試を受けられるらしい。
「へ〜。頑張ってね〜」
 美紀は適当に励ますと、席について箸を取った。「いただきます」と言って、お茶碗を持つ。
「ホントに、あんたは大丈夫なの? 昨日だってバイトだったでしょ。バイトするのが悪いとは言わないけど、勉強に支障が出ないようにしてよ」
 母が、ため息をつきながら言う。
「ふぁふぁってまふ。……まあ、来年のために金はあったほうがいいっしょ」
 母子家庭ということもあり、母自身は何も言わないが、大学への進学費は生活を圧迫するだろう。なので、将行は少しでもそれを軽減するために、バイトしている。
「そりゃ、その方が助かるけど。……受験に失敗したら元も子もないんだからね」
「失敗する、とか言わないの」
 母と兄がそんな会話をしている中、美紀はもくもくと食べ終わると、家を出た。
 バスの時間には少しだけ余裕があったが、兄の受験話を聞くのはなんだか耳が痛い。
 自分の来年にはその、受験というツライものがやってくるのだから。
 美紀は今、進路を悩んでいる。もともとそんなに頭が良くないのもあるが、自分に何が向いているのかも分からない。
 何か人のために役立てること、というのは漠然としてあるが……。
 そして、出来れば三月の通う大学、あるいは同県の大学に入りたい、という不純な理由があるだけである。
 美紀は進路や遠距離恋愛のことを考えて、深くため息をついた。


「私は、薬学部かな。化学けっこう得意だし、薬剤師の資格あれば将来困ることないだろうしさ」
 久美子は自分の将来について、そう言った。
 部活が終わった後、駅前のパスタ屋で食事をしながら、二人は進路の話をしている。
「そうなんだ……。久美子、理系だもんね。頭もいいし」
「頭はそんなに良くないけどさ。偏差値もそんなに高くないし。でも、白衣着て調剤とかすんの、かっこよくない?」
「あ〜、白衣とか、似合うっぽい」
 確かに、そんな姿が想像できるから、凄い。久美子は自分の将来像がはっきりと見えているのだろうか。
「……といってもさ、ホントに薬剤師になりたいのかっていうと、疑問だけどね」
「え、そうなの? 薬剤師になりたいから、薬学部に入るんじゃないの?」
「う〜〜ん、さあ、どうだろ? 私、けっこうコロコロ興味の対象が変わるから。でも、薬学部に行ったから薬剤師になるって訳でもないっしょ。知り合いの大学生は心理学部に行ってるらしいけど、カウンセラーにはなりたくないって、普通の会社に入るらしいよ?」
「へえ……。っていうか、大学生の知り合いなんているの〜? 凄いね」
「あ〜、まあ、たまたまね」
 久美子はそんなふうに適当に答えつつ、「で?」と尋ねて来た。
「あんたは、どうすんの?」
「……う〜〜ん、それが決まってれば苦労はしないけど……」
 そう言って、美紀は今のとこ、決まっていることだけは話した。
 人のために役立つこと、三月の大学かそこに近い大学であること。
「人のために役立つねえ……。って、むしろ役立たないことの方が珍しいと思うけどさ。美紀の雰囲気から言って……保母さんとか? 看護師は、間抜けだから無理かもだけど。あとは、福祉関係とか?」
「福祉かあ……」
「めちゃ人のため! って感じだよね。ま、色々調べてみな〜? 進路希望提出は一週間後だよん」
 言われて、美紀は神妙に頷いた。そこで、ふっと思い出した話題を提供する。
「あ、そういえば話は変わるけど、久美子今日合コンに行くって〜? みさから聞いた〜」
「……ああ、聞いたんだ。あんたも誘われたんでしょ」
 図星だったので、頷く。久美子は苦笑した。
「あんたも行く? 18時からだってさ」
「え!? まさか! 行かないよ〜。彼いるもん」
 彼いるもん、という時には、少しにやけてしまった。
 久美子は皮肉めいた笑みを浮かべ、「だよねえ」と相槌を打つ。
「え、でも久美子だって、石岡君がいるじゃん。いいの?」
「だから、石岡君とは付き合ってないって。まあ、だからって彼がほしいわけでもないけどさ。人数足りないって言うから、仕方なくさ」
「ふうん……まあ、楽しんできて」
「あ、素っ気無い。美紀も、試しに来てみればいいのに。経験のうちだよ〜」
 久美子のからかうような発言に、美紀は頬を膨らませてそっぽを向いた。
「必要のない経験だから、いいんです! どうせ私が行っても雰囲気についていけないもん」
 半分、それが本音である。男友達なんてほとんど縁がない美紀が、合コンに行っても戸惑うだけである。
「まあ、そうかもね。んじゃ、月曜には報告するよ〜」
「うん、よろしく。みさにはごめんって言っといてね」
 この間も、何だか良くない態度をとってしまったし。
 美紀の言葉に久美子は軽く頷くと、時間まで買い物でも付き合ってよ、と提案した。




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