27.

「じゃあ、行ってくるよ。気をつけて帰りなよ」
 18時に近くなって、久美子は待ち合わせ場所へ向かうため、美紀と別れた。久美子は既に、近くのデパートのトイレで私服に着替え、コインロッカーに荷物を入れている。
 美紀は久美子に手を振った後、家路へ向かうバスに乗るため、駅前に向かった。
 土曜日だからか、人が多い。駅前に向かう地下道を歩いていると、いつもいるストリートシンガーの姿が見えてくる。
 美紀は無意識にそれに目をやって、ふと、足を止めた。
 ギターを弾きながら歌っている青年の目の前に、見慣れた人物がしゃがんでいる。
 あのオレンジ色の頭は、小田に違いない。
 美紀は何となく表情を和らげて、小田に近づいた。
「お〜だ君っ」
 身を屈めて声をかけたら、小田はくるりと振り返って美紀の姿を確認するなり、にこっと笑みを浮かべた。
 女の美紀から見ても、カワイイと思ってしまう。小田はすっくと立ち上がると、美紀に向かい合った。
「美紀ちゃん、偶然。制服着てるけど何してたの〜?」
「部活の後久美子と買い物してたの。で、帰るとこ〜。小田君は?」
「俺も、買い物。暇人だからさ」
 小田はおどけて言うと、歌っている青年に軽く手を上げて、美紀を促した。
 いいの? と視線で尋ねると、小田は笑って頷く。
 歌う声が小さくなってから、小田は口を開いた。
「さっきのは、前からの知り合いなんだ。今は同じ大学の先輩かな。それは大学入ってから知ったんだけどさ」
「へえ、そうなんだ。あの人、よくここで歌ってるよね」
 あんまり歌には詳しくない美紀だが、普通に、上手だと思う。
「そうそう。俺昔っからあの人のファンだから。ライブハウスでもやってるらしいし、今度自主制作でCD出すんだって」
 そんなふうに説明したあと、駅構内まで来て、小田は足を止めた。
「これから暇? 良かったらお茶でもしない? って、なんかナンパみたいだけど」
 早口で提案して、小田は照れたように、両手を上着のポケットに突っ込んだ。
 三月もそうだが、小田もかなりおしゃれで、服にもこだわりが伺える。今日は茶系のカラージーンズに、薄手のコットンジャケットを合わせていた。ベルトやショルダーバッグ等、小物使いも上手い。
 卒業するまでは制服姿ばっかり見てきたから、何だか新鮮だ。
 きっと、大学でもモテているだろうと思う。だから、そんな小田にお茶を誘われるのは、光栄なことなのかもしれない。
「うん、いいよ〜。どこ行く?」
「美紀ちゃんは、行きたいとこある?」
「……ん〜、じゃ、ファーストキッチン」
 駅ビルに最近入ったファーストフードで、美紀はそこのBBQポテトがお気に入りなのである。
 二人は早速ファーストキッチンに向かい、店内に入った。
 店内はけっこう人が多く、割と広めの店内のテーブルも、大部分が埋っているようだった。
「うわ、混んでるね、座れるかな」
「……ん〜〜、どうかな。……って、あれ」
 小田が止めた視線の先を追って、美紀も固まってしまう。
 ファーストキッチンに決めたことを、今更後悔してしまった。


「なんだよ、お前らデート?」
 一つ目のハンバーガーを食べ終えた将行が、相席してきた二人に向けて、そんなことを言った。
 美紀は恨めしそうに将行を睨む。
「たまたまさっき、地下で会ったの〜。お兄ちゃんこそ、模試はどうだったの〜?」
 模試の後、腹が空いてここに寄ったのだろう。
「ん〜、ぼちぼち、だな」
「ふう〜〜ん、結果が楽しみだね〜」
 斜向かいにかけた兄妹の視線の間に、火花が散る。
 美紀の隣、将行の正面に腰掛けた小田は、その会話を聞いて眼をぱちくりさせた。
「何、星野、今日模試受けてたの」
「ああ。ったく、だりいよな、時間長いし」
「ま、浪人だから、仕方ないって。浪人だからな」
「二度言うな。……お前はいいよな〜。さくっと地元の大学に受かってよ。せいぜい遊んでいるんだろうなあ、お前のことだから、女をとっかえひっかえ」
「あのねえ、誤解を与えるような発現やめてくれるう? 俺にはぜんっぜん、縁がありませんですよ。そっちだって遊んでるだろ」
「いやいや、俺は勉強にバイトに大忙しだね。ホント、苦学生の見本みたいな生活してるさ。見本どころかお手本だね」
「ホントかい、星野君。……バイトって、ガソリンスタンドだっけ。キツイ?」
「おう、けっこうな。でも車好きだし、色んな車見れてそれはそれで楽しい」
 将行は二つ目のハンバーガーに齧り付きながら、話す。美紀も、ちまちまとポテトを食べ始めた。二人の会話には、あまり入る余地がない。
「お前は、近くのファミレスだろ? 今日は入ってねえの」
「ああ、今日はね。明日は入ってるけど」
「え、小田君、ファミレスでバイトしてるの〜?」
 それは初耳である。小田は美紀の方を見て、頷いた。
「俺の場合は苦学生のお兄さんと違って、遊び金のためのバイトだけどね。水木日で入ってるから、今度食べに来てね」
「もちろん、行く行く!」
 笑顔で応じた後、バイトで思い出して、美紀はちょっとため息をついた。
「はああ、ねえ、バイトって大変?」
「……そりゃ、ラクではないけど。なんで? バイトしたいの?」
「あ〜、お前、この前もそんな話してたな」
 前に久美子とお金について話した後、結局兄に金の算段を持ちかけてみたのだ。速攻で一蹴されたけど。
「あれか、遠距離で金かかるからか。……携帯代も馬鹿にならねえしな」
 ジュース片手に、将行が美紀の代わりにそう言った。
 美紀が口を開かなかったのは、何となく、小田の手前言い難かったからだ。
「そっかあ。俺の店今すっごく人手足りてないから、来てくれると有り難いけど、でも学校がね。……一応許可とかいるしね」
「そうなんだよね……。お母さんにも反対されるだろうし」
 少し肩を落としつつ、美紀はストローを咥える。しばし、何故か三人とも沈黙してしまう。
 その沈黙を破ったのは、将行だった。
「すれば? バイト」
「だから、無理だって……」
「お母さんなら俺が説得してやるよ。うち金ねえし、来年の受験のこと考えて今のうちに金貯めた方がいいって言えば、OK出すんじゃね? ま、おだやんのいる店だって言えば、安心するだろうし」
「……ほ、ホント?」
 やけに協力的な兄にビックリしつつ、美紀はいきなりの展開に何故かドキドキし始めた。
「ま、俺がお前らの仲を取り持ったキューピッド様なわけだしな。アフターケアも仕事のうちっしょ。金は貸さんが、バイト出来るようにはしちゃる」
「だって。……良かったね、美紀ちゃん。俺楽しみだな〜」
「う、うん……、私も、楽しみ……」
 なんとか笑みを浮かべつつ、でも、なんだか複雑な心境で美紀は頷いた。
 話が急なのもあるし、トロい自分がウェイトレスなんて出来るのかも、実は不安だったのである。アルバイト自体、初体験な訳だし。しっかり仕事できるだろうか。
 けれど小田と同じところで働けるのは、安心だし、嬉しい。
 美紀はドキドキしつつも、兄の協力をお願いすることにした。




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