28.

「バイト、ねえ……」
 親からの申立書を手渡され、美紀の担任になった松井博美は、少しだけ顔をしかめて呟いた。
「まあ、親の同意があるなら、私は反対できないけどねえ。星野さんの家庭の事情もあるだろうし。……でも、バイトそんなに必要?」
「……えっと、来年は受験勉強で忙しいし、今のうちにお金を貯めておいた方がいいかな、て思いまして。今なら、そんなに勉強に支障出ないだろうし……」
 本当は三月に会いに行くお金が欲しい、だなんてすっごく私的な理由でバイトしたい、とは口が裂けても言えないのである。
「進学費用、ね……。本当かしら?」
 不敵な笑みを浮かべながら覗き込まれ、美紀の鼓動は不覚にも高まってしまった。ドキドキしながらも、不自然に何度も頷き返す。
「ま、いいわよ。ただし、今より成績落としたら、お母さんに辞めさせるよう私から勧告しますからね。勉強をおろそかにしないこと、いいわね? 学校としては、ホントはあんまり好ましくないんだけど。まあ、星野さんが悪い方へ行くことがないことを、信じてるわ」
「は、はい」
 美紀はしっかりと釘を刺されつつも、バイトが許可されたことに、ほっと胸を撫で下ろした。
「じゃ、正式にバイト採用されたら、このバイト証明書をお店に書いてきてもらってね。バイト時間に制限あるから、それを超えないように。それと、夜9時以降はダメ。基本的には土日に入ってね」
「わかりましたあ」
 美紀は松井先生から色々制限の書かれたプリントと、証明書を貰うと、職員室を後にした。
 これで、バイトが出来る。
 正直、大変なことは分かってるけど、ここは先輩との仲を維持するためにも、頑張ろう。
 月四万ほど稼いで二万は貯金して、残り二万を交通費に回す、というのが兄と話し合った結果である。
 方便上、貯金しないのはマズイのである。
 美紀はプリントを片手に、半分ウキウキしたような気持ちで教室に戻った。
 本来は禁止されていて、バイトを諦めていたり内緒でやったりしている皆のことを考えると、何だか自分が特別のように思えて、嬉しい。
 美紀は教室に入ると、自分の席について、机の中から既に買っておいた履歴書を取り出した。


「……え、美紀、バイトするの?」
 美紀が途中で何度も間違えては書き直すといった作業をしていると、菜緒子が前方の椅子に腰掛けて、机の上の履歴書を覗き込んできた。
 もう、三枚も資源を無駄にしている。
「あ、うん」
 夢中になって書いていたので、突然菜緒子に話し掛けられてビックリした。
 思わず机の上の履歴書を腕で隠してしまう。
「あ、見ちゃまずかった?」
「あ、ううんゴメン。平気」
 美紀は慌てて腕を退けて、ごまかし笑いをする。菜緒子も、少しだけ笑った。
「へえ、許可取れたんだ。どこでバイトするの?」
「駅の近くのファミレスだよ〜」
 そういうふうに言えば、菜緒子は少しハッとして沈黙したあと、口の端に笑みを見せて首を傾げた。
「それってもしかして、小田先輩と同じところ?」
「あ、……うん、そうだよ〜。よく知ってたね〜。私はついこの間知ったんだあ」
 言えば、菜緒子は、「そっかあ」と言って立ち上がった。
「いいなあ、美紀。バイト出来て。私もしようかなあ」
「菜緒子もお金必要なの?」
「ううん、そう言うわけじゃないけど。じゃ、また後でね」
 菜緒子がそう言って自分の席に向かった調度その時、予鈴が鳴った。


「じゃあ、早速今週の土曜日からお願いします。それまでには制服も来てると思うから。えっと、星野さんは、Sサイズでいいよね。靴は?」
「あ、23センチです」
「分かりました。じゃあ、今日はご苦労様でした。……まあ、小田君から色々聞いてみて」
 こうして、オリエンテーションが終わった。面接はもう、昨日のうちに済ませてあった。小田の紹介だったから、採用は確実だったのだけど。
 店長は三十代前半の男性で、親近感のわくような人だった。年齢的にも外見的にも若いから、先生に対する緊張感よりも少ない。
 店を出れば、ちょっと前にバイトを終えた小田が、待っていてくれたらしい。美紀は多少緊張で強張った表情を和らげて、小田に歩み寄った。
「どうだった? オリエンテーションは。店長、変なこと言わなかった?」
「え? 変なことって?」
「いや、あの人エロいからさ。仕事中下ネタばっかりなんだよね〜。まあ、嫌だったら殴っていいから」
 小田は苦笑しながら言うと、美紀を促して歩き出した。駅までは、歩いて5分とかからない。
「どっか、寄ってく? 時間平気?」
「あ、うん、いいよ〜」
「時間も時間だし、ご飯食べようよ。俺、奢るし」
「え? いいの〜?」
「平気、平気。大学生は意外にお金持ちなんです。何食べたい?」
 三月を除けば、男の人に奢られるのは初めてだったので、美紀は何だか嬉しいような恥ずかしいような気分になったが、パッと頭に思い浮かんだものを口にした。
「じゃあ、駅ビルの中に新しく出来たメキシコ料理の店がいい〜」
 確か街の情報誌に出ていて、部活中に久美子たちと、「行きたいね」と話していたところだったのだ。
「あ、いいね〜。俺も実はチェックしてたんだけど、まだ行ってなかったんだ。あそこ、お洒落でいいよね」
 というわけで、二人は早速駅ビルのレストラン街へ向かった。




index/back/next