29.

「美味しい〜〜」
 美紀は一口二口料理を頬張ると、満面の笑みでそう言った。
 頼んだのはファヒータという、焼いた牛肉や鶏肉などをトルティーヤというクレープみたいな皮に巻いて食べる料理だ。それと、アボカドとチキンのサラダ。
 値段がちょっと張るので、美紀は少し不安になったが、小田は全く気にしている様子はなかった。
「小田君は、こういうお洒落な店に来たりする?」
「いやあ、ほとんどないねえ。お昼は学食だし、夕飯も家に帰ればあるしね。……大学の連中と飲み会するときとか、たまに使うけどね」
「……へえ〜。大学、楽しい? 友達沢山出来た?」
「うんまあ、そこそこね。けっこう今までの知り合いも多いしね。サークルにも入ってるから、人間関係は増えたかなあ……」
「なんか小田君って誰とでもすぐに友達になれそうだもんねえ〜。羨ましいな」
 中学まで友達を作るのが苦手だった美紀にとって、新しい環境や人間のところへ入っていくことは、今でもまだ少し緊張する。今回のバイト先でだって、他のバイトの子と仲良くなれるか凄く心配だし、今年進級するときも実は不安だった。
 自分が文系に進み、久美子が理系に進むことでクラスが離れてしまうことは予め知っていた。菜緒子が文系に進むことは知っていたが、文系クラスは4つもあるから、確実に一緒のクラスになれるわけでもなかった。今回はたまたま運良く同じクラスになったけれど。
「美紀ちゃんだって、良い友達に恵まれてるじゃん。久美子ちゃんとかさあ。俺は友達多いって言っても、広く浅くって感じだからなあ」
「え〜? そうなの〜? あ、しかも小田くん、色んな女の子とも仲いいし。私なんて、学校に男友達っていないもん。……そういえば、こんなふうに喋れる男の子って、小田くんだけだなあ」
「……え、そうなの? それは光栄です」
 小田は照れ笑いをして、トルティーヤに齧り付いた。これが結構腹にたまる。
 美紀もなんだか照れくさくなって、しばし料理に専念した。小田は少し、何かを考えているようでもある。
「あ、そういえば美紀ちゃん、バイトすること三月に言った?」
「ん? んん」
 美紀は口の中のものを急いで飲み込もうとして苦戦し、慌てて水を飲んでから口を開いた。……少しだけ涙目になってしまったが。小田が心配そうな顔をしている。
「……メールで、報告したよ。『大変だと思うけど、大丈夫?』って返事が来て〜、『小田君がいるし、平気だよ、頑張る』って返しといた〜。先輩、不安なのかも」
 言えば、小田はしばし間を置いてから返答した。
「え? ……不安って?」
「ん〜? 私、間抜けだから。なんか色々ドジなことしそうだし」
「ああ、そういうことね」
 じゃあ、どういうことだと思ったのだろう、と疑問に思いつつ、美紀は続けた。
「先輩に、『何でバイト始めるの?』って聞かれたけど、先輩に会いに行くためって答えにくくて、『色々買いたいものあるから』って答えちゃった〜」
「え〜? なんで?」
「だって、なんか、押し付けがましいかなあって思って」
「え〜、そんなふうに思わないって。俺だったら嬉しくて、その瞬間に車飛ばしてすぐに会いに行っちゃうけどな。俺がバイトして交通費出すとかさ」
「あはは、じゃあ、小田くんの彼女って幸せだねえ」
 美紀は笑いながら答えたが、本当に、そう思う。
 三月のように何を考えているか良く分からなくて、いつも不安でいるより、思ったことを口に出して気持ちを表現してくれる小田の方が、付き合っていて楽しそうだ。
 ……美紀はふとそんなことを考えてしまって、内心本当に慌てた。
 一気に罪悪感が訪れる。
 小田は突然笑みを失った美紀の顔を見て、心配そうに首を傾げた。
「どうしたの?」
「あ、ううん。なんでもない。……あ、でも、小田くんって彼女いないんだっけ」
 そう問うたが、小田はしばし、何も答えなかった。
 美紀は不思議に思い、改めて、問い直してみる。
「え、もしかして、彼女出来たの〜?」
「……いや? いないよ。ねえ、美紀ちゃん。美紀ちゃんは今、三月と付き合ってて楽しい?」
 突然そんなことを真顔で聞かれて、美紀はドキッとした。
 何だか小田に、心を見透かされているような、そんな気がした。いや、もちろん見透かされて困るようなことはない。自分は三月のことが大好きなのだから。
「あ、えっと、もちろん楽しいよ。最近は会えないけど……」
 でも、どうしてそんなこと聞くの? とは、聞けなかった。
 以前に告白されたことが、胸をよぎる。
 けれどあれは、自分を励ますための小田の冗談だったのだと、思っているから。
「そう、だよね。ん〜、遠距離恋愛って大変だよね」
 小田はそれだけ言って、また笑顔を浮かべると、料理を口に運んだ。美紀も、ちびちびとサラダに口をつける。
 やがて全てを食べ終えて、お冷を口に含んでいると、ウェイトレスがお皿を下げていった。
「あ〜、本当に美味しかったあ。小田くん、ありがとう」
「どういたしまして」
「こんなお洒落なお店で食べるのって、初めてだったし。……しかも私、制服って浮いてない?」
 周りの客は美紀たちよりも少し年齢層が高い。制服姿も美紀が一人だけである。
「いや、かわいくていいんじゃない? っていうか、俺が怪しまれそうだよね。援助交際じゃねえの? なんてさ〜」
「え〜? 小田くん、援助交際が必要な歳じゃないじゃん!」
「いやいや、女子高生からしたらもう、おぢさんだから」
「って、小田くんだって高校卒業したばっかなのに〜」
 美紀は笑いながら、改めて小田の顔を眺めた。童顔の彼は、まだ高校生に見えなくもない。……けれどふと、今までと違うような感じもした。やっぱり、大学生になって印象が大人びたような気もする。華奢な体つきだと思っていたけれど、骨格はやはり、女とは違いがっしりしている。
 美紀はなぜか顔が火照るのを慌ててごまかした。
 お冷を一気に飲み干し、通りかかったウェイトレスにお代わりを頼む。
 そうしてから、矢継ぎ早にアルバイトについて質問した。仕事内容とか、研修の順序、メニューなどなど。
 美紀が小田を質問攻めにしているうちに一時間くらい経って、二人はようやく店を出た。


「じゃあ、本当にご馳走様でした」
「いや、こっちこそ、楽しかったよ。また、ご飯一緒に食べようね」
 駅ビルを出るとあたりはすっかり暗くなっており、美紀はバス停まで小田に送ってもらった。とはいっても、ほんの数十メートルの距離なのだけど。
 バスが来るまで、あと5分ほどである。小田も、バスが来るまで付き合ってくれた。
「……あ、そういえば」
 美紀はふと、月曜日に気になったことを小田に聞いてみる。
「小田君、菜緒子とけっこう会ったりしてる?」
「え、いきなりだねえ。いや、会うことはほとんどないよ。たまにメールとかしてるけど。でも、なんで?」
 小田は少し、驚いているようだった。
「ん〜、別になんとなく。菜緒子、小田くんがあのお店でバイトしてること知ってたから」
「ああ、たまたま話に出たかもね」
「菜緒子もバイトしたいんだって」
「へえ〜、そうなんだ。まあ、友達で誰かがしだすと、自分もしたくなるよね」
「あ〜、そっかあ」
 美紀は納得して、やがて来たバスに乗り込んだ。窓から手を振って、小田と別れる。
 美紀は何だか複雑な気分で、でもその原因が何なのかは、自分でも良く分からなかった。




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