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「美紀。……美紀?」 三月に二度も呼ばれて、美紀はハッと我に返った。 いけない。また、考え事をしてしまった。 「疲れた?」 三月が飲み物を差し出しながら、やや心配そうにこちらを覗き込む。 「あ、ううん。全然平気」 美紀は笑ってそれを否定した。礼を言って、飲み物を受け取る。 アウトレットモールに到着して、一通り見て回った。雑貨を見たり、服を試着したりと、買い物はとても楽しかった。 今は、モール内のベンチに腰掛けて、一休みしていたところである。三月が飲み物を買ってくると言い、それを待っていたところだった。 「何か、今日の美紀ちょっとおかしいよね。車に乗ってるときも、ずっと黙り込んでたし。まあ、ボーっとするのはいつものことかもしれないけど」 「あ、ひど〜い」 三月のふざけ半分の指摘に、美紀はおどけながらもちょっと、ドキッとした。図星だったからである。どうも、昨日のことがちらついて、心から楽しめなかった。 小田には、三月本人に聞けと言われてるけれど、なかなか切り出せない。そもそも、なんて切り出せばいいんだろう。 三月は美紀の隣に腰掛けると、飲み物を口に運んだ。美紀もそれに習う。トロピカルフルーツの生ジュースで、とても美味しかった。 「なんか、悩み事?」 三月は、前を向いたまま、そんなふうに聞いてきた。 美紀は、なんて答えればいいのか分からなかった。正直に、昨日目撃したことが気になっている、なんて言えるわけがない。けれど、何でもないと言うのも不自然な気がして、思いついたことを口にした。 「あ、えっと進路のことで」 進路の悩みがあるのは事実である。 「ああ、そっか。もう希望調査する時期だよね。美紀は、将来何したいの?」 「えっと、児童福祉とか興味があって」 「……へえ、なんか、美紀らしい」 三月は穏やかに笑って、頷いた。 三月には以前、美紀の生い立ちを、多少話したことがあった。 「うん。本当は先輩と同じ大学に行きたいんだけど……」 「ああ、うちには福祉系はないね」 「で、なるべく近いところを探してるんだけど、なかなか無いんだあ。……松井先生には、不純な動機で決めるなって言われた〜。かなり見抜かれてるって感じ」 言えば、三月は声を上げて笑った。 「そりゃ、そうだろうな。あの人、生徒の恋愛事情に興味津々だから。楽しんでるんだよ」 「え〜? そうだったの〜?」 「でもまあ、確かに進路の幅をそんな理由で狭めない方がいいとは思うけどね」 そんな理由で。 三月の言葉に、美紀は少しショックを受けた。 「先輩は、私とこのまま遠距離恋愛を続けても、平気なんだ……」 少し、嫌味っぽい言い方になってしまった。 三月は、黙っている。本当は、すぐにでも否定して欲しかった。自分も、美紀の近くにいたいのだと、言って欲しかったのだけど。 「美紀、本当にそういう考え方はしない方がいいよ。やっぱ恋愛よりも、本当に自分が勉強したいことを優先した方がいい」 望んだ言葉が返ってくるどころか、更に念押しされてしまった。 美紀は、三月の言葉に段々イライラしてくる。 自分ばかりが、三月を望んでいるように思えた。 三月は、自分と会えなくても、平気なのだろうか。三月の中で、自分との恋愛は、どのくらいの優先順位になっているのだろう。 きっと、勉強や友達付き合いよりも、下なんだ。だから、自分と会えなくても平気だし、一緒の部屋に泊まっても何もする気が起きないし、元カノに会うことも内緒にするし、三月の傍に行きたいという気持ちに、「そういう考え方はするな」なんて言えるのだ。 そういえば三月だって、遠距離恋愛になると分かっていて、今の大学を選んだのだ。自分は、三月の傍に行けるような進路を考えているのに。 付き合いだしてからだって、最初の頃は三月の受験を考えてデートはほとんどしなかった。受験が決まってからも、バイトを始めたせいで、やはりあんまり遊べなかったと思う。 ……そうして、美紀の心の中は、今まで積み重なっていた不満の気持ちで一杯になってしまった。 不満が一杯になると同時に、自分がすごく、惨めに感じた。 きっと、三月にとっては、自分との恋愛なんて大したことではないのだ。今までだって色んな恋愛をしてきただろうし、すごく余裕があるように感じる。 その一方で、自分には、全く余裕がない。 自分の頭の中のほとんどは、三月との恋愛が占めているし、それでいいと思っていた。そして、三月も、自分と同じ気持ちでいて欲しかった。 そんなわけは、無いのに。 「どうせ、どうせ先輩は……。私のこと、そんなに好きじゃないんでしょ……?」 口に出して言ったら、本当に悲しくなって、涙が出てきた。 本当は、ずっと、そんな不安が満ちていた。けれど、無意識に、そんなことを思わないようにしてきたのだ。 でも、そういうふうに思わざるを得ない。 三月の態度や言葉から、そういう結論が出てしまうのだ。 「美紀……」 戸惑い含みに名を呼ぶ三月の表情がどんなものだったのか、美紀には確認出来なかった。一度あふれた涙は、なかなか止まってくれそうにない。 こんな人ごみの中で突然泣かれて、三月は困っていることだろう。 美紀は顔を両手で覆って、なんとか声だけは抑えながら、泣いた。やがて、三月が自分の肩を抱き寄せて、「ごめん」と呟いてからも、しばらく涙は止まらなかった。 そうやってしばし泣いていた美紀の涙が収まってきた頃、三月は美紀を促して、歩き出した。涙にぬれた美紀を抱きこむようにして、歩く。美紀はそんな様子が恥ずかしくて、ずっと俯いたまま歩いた。 三月はそうして、駐車場の車まで美紀を連れてきた。 車の鍵を開けると、後部座席に美紀を乗せ、自分もその隣に座った。 「美紀、平気?」 「……あ、うん。ごめん、なさい」 三月は美紀の顔を覗き込むと、両手で美紀の頬を包み込みこんだ。美紀は、涙でぐじょぐじょになった顔を見られるのが嫌で、身をよじってその手から逃れる。 三月は手から逃げた美紀を、今度は全身で抱きしめた。 「美紀は、ずっとそんなふうに思ってた? 俺が、美紀のことそんなに好きじゃないって」 三月の口調は、少し、怒っているような感じだった。 実際、怒っているのかもしれない。突然泣き出して、恥をかかせた自分に。 美紀は、答えられなかった。でもそれが、肯定となっていた。 |