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将行は、ガレージの隅にマウンテンバイクを駐輪すると、鍵をチャラチャラ鳴らしながら玄関へ回った。 図書館で勉強した後、バイトに五時間程入った。将行が働いているガソリンスタンドは、普段そんなには混まない立地にあるが、今日はゴールデンウィーク初日ということでそこそこには混んだ。ゴールデンウィークだというのに、勉強して働いてと、全然祝日っぽい一日ではない。 まあ、明日はまるまる一日、休みにしよう。 「あれ?」 鍵を鍵穴に差し込んで回してみても、何の手ごたえもなかった。鍵がかかっていない。無用心な。 「美紀、帰ってんのか」 の、割には、部屋にもリビングにも明かりがついていない。まさか、三月を連れ込んじゃいないよなあ、と思いつつ将行は家へ入った。 玄関を見回したところ、美紀の靴はあったが三月の靴らしきものはない。 将行は階段を上がって、自分の部屋に一旦入った。電気をつけて、上着を脱ぐ。適当に、椅子の背もたれにそれをかけて、再び部屋を出た。 正面の部屋の中の気配を、それとなく探ってみる。物音はしない。扉は二、三センチほど開いているが、中は真っ暗だった。 「……美紀、いるのか?」 将行はおそるおそる扉を開けて、中を覗きこむ。 暗がりの中で、美紀がベッドの脇に腰掛けて、沈黙していた。目は開けているが、表情はうつろで、……雰囲気はまるで幽霊である。 「お〜い、美紀ちゃ〜ん」 将行は声をかけて反応を見るが、わずかに視線が動いただけだった。将行は電気をつけて、部屋の中に入る。やれやれ、と肩をすくめた。 「どうした〜? 三月となんかあった?」 良くも悪くも、妹がこんなふうになるのは三月が原因だ。分かりやすくていいが、三月にも困ったものだ。今度は一体何があったのだろうか。 美紀は三月の名を聞くと、のろのろと顔を上げた。 そして一瞬の後、ぐしゃっと顔を歪めると、次にダーッと涙を流し始める。将行はびくっとなりながらも、どうやら今回は深刻そうだと見当をつけて、近くにあった椅子に腰掛けた。 「あ〜、じゃあ美紀ちゃん。お兄さまに話してみなさいな」 将行は苦笑しながらそう言うと、美紀の要領を得ない説明を、兄ならではの理解力で飲み込んでいった。 「ふう〜ん……」 一通り聞き終わってからの将行のコメントは、そんなふうであった。極端に口をへの字に曲げて、両腕を組む。 美紀の方は説明している間に泣き止んで、気持ちも落ち着いてきていた。兄の口元を見て、よくそんな形に出来るなあ、と思うくらいの余裕はある。 「なんだかなあ。三月も大人気ないが、お前もお前でなあ」 「うん。どうしよう、謝ってももう遅いのかなあ〜」 どうしようもないほど情けない表情になりながら、美紀は嘆く。将行からすれば、美紀の表情こそ模倣不能かつ不可思議なものだ。 「いや、つーかさ、謝る前にお前の〜」 そこまで言って、押し黙る。 「……私の?」 変なところで言葉を切られて、美紀はいぶかしげのその先を促した。将行は言いあぐねて、そのまま沈黙してしまっていた。 「いや、まだいいや。ん〜、まあ、自分なりにもうちょっと考えろ」 「え〜、お兄ちゃん、全然相談にのってくれてないじゃん!」 「俺は話せとは言ったが、相談にのるとは言っとらん! 問答無用。じゃ、俺またちょっと出かけてくるから〜」 「あ! ちょっと〜」 ひょいっと部屋を出て行く将行に、美紀はちょっと唖然としつつも、やがて諦めのため息をついた。将行に相談しようとしたのが間違いだったのかもしれない。そもそも、兄は自分をからかうのが面白いだけで、本当に親身になってくれるわけではないのだから。 美紀は何十回目かになるため息をついて、ベッドに横たわった。脇に置いてあった携帯を取り、画面を見つめる。 発信履歴を見ると、三月の名前。履歴件数のほとんどは三月の名前で埋まっていた。その合間に、久美子への発信。 次に、着信履歴を見る。発信ほど、三月の名前は入っていない。およそ半分くらいだろうか。とはいえ、電話代を考えてかけ直してくれたときの着信がほとんどだから、三月からかけてくる回数は、本当に少なかった。 それを考えても、お互いの気持ちの大きさの違いは明らかだと思った。 気持ちの大きさなんて、量れるものじゃない、というのは分かっている。けれど、量れなくても、感じることは出来るのだ。いっそのこと、量る機械があればいいのに、と思う。そうすれば、弁解の余地もない。好きだと言われても、こちらが実感出来なければ意味がない。態度で表してくれなければ、伝わらない。 そんなふうに考えて、美紀はやはり、大きくため息をついた。 三月と付き合い始めて、時間が経てば経つほど、自分が我侭になっているように思えた。我侭で、欲張り。自分が三月を好きで、そしてそんな好きな人と付き合っている。その事実だけでは、満足出来ないというわけか。 なぜ、満足出来ないんだろう。それ以上に、何を望んでいるんだろう。 美紀の頭の中には、疑問符ばかりが思い浮かんだ。 美紀は携帯を持った手をぱたりと布団の上に落とし、ごろりと寝返りを打った。将行が先ほど電気をつけたせいで、視界が眩しいほどに明るい。そのせいで、鬱々とした自己嫌悪の気持ちは少しは晴れたようだ。 将行に話したおかげで、大分気がラクになった。 これで後は、自分の気持ちを少しでも整理できたらいいのだけど。 美紀はふと思い至って、携帯を再び持ち上げた。履歴の中から、一つ選んで通話ボタンを押す。 電話は、数回の呼び出し音を鳴らしてから、相手へつながった。 「あ、今、平気……?」 美紀は、相手の声を聞いて少しほっとしつつ、話を切り出した。 |