38.

 一台のセダンタイプの乗用車が、大通りの脇にハザードを点滅しながら停まった。将行が素早くその助手席に乗り込むと、車も滑らかに走り出す。
 将行はシートベルトを締めると一息ついて、やれやれとシートに身を沈めた。
「あ〜、やっぱ車はいいねえ。俺も早く免許取りてえんだけど、金ないしな〜」
「まあ、大学入ってから取る奴の方が多いし、まだいいんじゃない?」
 運転席の男が、少しだけ笑みを浮かべながら、答える。将行はその横顔をちらりと盗み見た。男から見ても、かなりの美形だと思う。女がキャーキャー騒ぐのも、無理もない。
 三月隼人。
 この男が校内で有名になったのは、いつからだっただろうか。
 入学式で入学生代表になってからか。それとも、弓道で県大会準優勝してからか。あるいは、たちの悪い連中と付き合い始めた頃から?
 もしくは、女をとっかえひっかえしているという噂が立ってからなのかもしれない。というか、それは噂止まりではなく、事実だったわけだし。
 優等生であり、問題児でもあった男。先生たちもさぞ頭を抱えたに違いない。
「なんか、悪かったな。お疲れのところ」
 美紀の部屋を出てから、将行はすぐに三月に電話をかけた。話を聞きたいと言ったら、車で迎えに行くと言ったのは三月である。案外、身が軽いようだ。
「いや? 疲れてないし。疲れてんのはそっちじゃない? バイトだったんだろ?」
「あ〜、まあね」
 確かに、こっちはやや疲れ気味である。我ながら妹思いの良い兄だ、と心中で一人ごちて、苦笑した。
「さて、適当にファミレスでも入るか」
 さすがに男二人で夜のドライブを楽しむ気にはならないし、話すのなら落ち着ける所の方が良いだろう。三月の判断に、将行は何の不服もない。
 やがて車は、大通り沿いのファミリーレストランに入った。二十四時間営業だから、時間も気にせずゆっくり話すことが出来るだろう。とはいえ、駐車場にはけっこう車が止まっている。祝日だけあって、やはり混んでいるのだ。
 二人は入店後、ポテトフライとドリンク・バーを頼み、しばし落ち着くまで本題には入らなかった。三月はシャツの胸ポケットからタバコとライターを出すと、手馴れた様子でタバコに火をつける。
 銘柄は、セブン・スター。
「美紀ちゃんは、どんな感じだった?」
 切り出したのは、三月だった。
「いやあ、ねえ。美紀ちゃんはかなり凹んでたみたいだな。まあ一応、大体のことは聞いた。……つうか、ちゃん付けしなくていいだろ」
 将行は苦笑しつつ、そう答えた。
 実際本人の前では呼び捨てだろうに、自分の前では、「ちゃん」付けして美紀の名を呼ぶ三月を意外に思う。
 彼女の兄ということで、少しは遠慮しているのだろうか。それも変な話だ。三月は妹の彼氏であるが、同時に自分の友達でもあるわけだし。
「星野は、怒ってないの? 自分の妹をないがしろにされて」
「いやいやどうなの、その質問。変な気ぃ使わなくていいからさ〜、前から言ってるけど、俺そんなに兄馬鹿ではないよ? それに何お前、ないがしろにしてんの」
「……少なくとも美紀は、そう感じてるみたいだからね」
 三月はそうなふうに言って、答えを半ばごまかした。
 将行はテーブルにグラスを置いたまま、その中のオレンジジュースを一気に半分ほど飲み干して、口を開く。
「まあ、遠距離だから仕方ない面はあるだろうけどな。あ〜、何から聞くかな。……とりあえずお前はどう思ってんの? このまま遠距離続けたいほど、美紀のこと好きなわけ? あと、久島さんのことはどうなってんの」
 思いつくまま、一気に質問をぶつけてしまった。三月はしばし逡巡していたが、それでも将行の問いにしっかりとした口調で答えていった。
「俺は、もちろんこのまま続けたいと思ってるよ。遠距離なのは覚悟の上だし、美紀みたいに恋愛初心者じゃないからね。ただ、美紀が無理だっていうなら、仕方ないな。けど小田と付き合いたいって言われたら正直、むかつく」
「ふうん。三月も案外、普通の感覚してんだな」
「……いや、俺普通だから」
 将行に突っ込みを入れて、笑う。飲み物を一口飲んで、そのままグラスを見つめた。また、何かを考えているふうだった。
 なので、将行が口を出す。
「俺はあ、美紀とお前はお似合いだと思うけどな。小田は……あいつは、駄目だ」
「へえ? 幼馴染なんだろお前ら。なんでだよ」
「いやあ、あいつは八方美人だから。誰にでもああだろ? 何だかんだ言って女から告られることは結構あるらしい。けど、期待させる割にはあっさり断る」
「……それは、美紀という本命がいるからじゃないの?」
「それだったらもっと本気で押してくるだろ。それしないってことは、そこまで本気じゃねえんじゃねえの。ま、俺はあいつじゃねえから、そこまで言い切っちゃ駄目なんかも知んないけどさ」
 言えば三月は、「へえ」といって首を傾げるだけに留めた。幼馴染である小田のことを、将行がそんなふうにけなすのが心外ではあっただろう。
 三月と小田も、そんなに仲がいいほうではない。良く分からないというのが、本音であろうが。
「でも美紀は、小田のことまんざらでもないみたいだけどな」
 三月が自嘲気味にそんなことを言うので、将行は意外だというように顔をしかめた。
 こんな美形・文武両道・モテる男の代名詞みたいな三月が、何だか自信がないようなことを言う。
 美紀も大したもんだ、と将行は変なところで感心した。
「いや、美紀もお前と別れるつもりなんてねえよ。さっきだって、捨てられた子狸みたいな顔して、どうしようどうしよう言ってたし」
「まあ、ね」
 三月はいまいち納得していないようだった。そして、灰が根元まで迫ったタバコを、灰皿でもみ消す。
 将行はこれ以上言っても意味のないことのように思えたので、先ほどの質問に戻った。
「んで、久島さんは?」
「ああ、亜矢子のことは本当にもう関係ない。ヨリ戻ったりとか、絶対ないし」
「へえ? なんでそんなこと言い切れんの? お前ら、嫌いになって別れたわけじゃねえだろうし、久島さんも病気治ったんだろ?」
 完全に健康を取り戻した、とは言えないかも知れないが、もう命の危険がないことは確かだ。今は少しずつ、遅れを取り戻そうとしている。
「いやホントに、今更亜矢子と付き合う気にはなれない。星野には分からないだろうけど……」
 三月はそう前置きをした後、やはり少し躊躇って、視線を落とした。将行は、三月が自分のペースで話せるように、黙ったまま次の言葉を待つ。
 三月はやがて自嘲の笑みを浮かべると、自分の本音を語る決心がついたというように視線を上げた。
「正直……俺は今でも、亜矢子を恨んでるから」




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