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「それで、あんたの気持ちはどうなの?」 久美子は、携帯を頬と肩の間に挟んだ状態で、美紀の話を聞いている。 とある居酒屋の、化粧室。 バッグの中から化粧ポーチを取り出すと、メンソレータム・リップを取り出して、唇に塗った。 元々色付きのリップを塗っていたが、飲食したせいですっかり取れてしまっている。 『え〜、だからあ……小田君はすっごく優しくて、色々心配してくれるのが嬉しいんだけど……やっぱり三月先輩のこと、好きだし』 「じゃあ、悩む必要ないじゃん。さっさと誤解を解いて仲直りしなよ〜」 久美子は、美紀の話を一通り聞いて、単なるのろけの延長だと判断した。 三月はただ単にやきもちを焼いただけだろうし、ならばそれは、美紀のことを本当に好きなのだという証拠だと思った。 それよりも今回の問題は、美紀の方にあると言っても良い。 美紀の心が揺らいだのだ。 三月との間には、距離がある。そのせいで、デート出来る回数は本当に少なく、寂しいときに会えないこともあるだろう。表情を見て離せないし、スキンシップもないから、お互いの感情を理解しにくいこともある。 一方小田は近いところにいる。美紀と気軽に食事にもいけるし、何かあったときにはすぐに助けてもやれる。もし二人が意識しあえば、恋愛関係を作ることは簡単だ。 『三月先輩、許してくれるかなあ』 「そのくらいのことを許せないような男なら、こっちから振ってあげなさい」 『うわ、久美子、厳しいね』 「当然だよ。つうか、三月先輩はそんな器の小さい男じゃないと思うけどね。……でも、先輩もやきもち焼くんだねえ。ちょっと意外」 久美子はそう言って、ちょっとだけ笑う。 と、そこへ他の人が化粧室に入ってきて、久美子は軽く会釈しながらすれ違った。迷惑かと思い、化粧室から出る。 とたん、店内の喧騒に包まれた。 「とにかく、明日には仲直りしな? じゃあ、もう切るからね」 『あ、うん。うわ、十五分も話しちゃった。本当にごめんね。でかけてたんでしょ?』 「ああ、別にいいよ。なんかまったりしてたとこだし。んじゃ、またね」 そう言って、久美子は電話を切った。バッグの中に携帯を放り込むと、自分の席の方へ足を向ける。 戻れば、一緒に来ていた男が退屈そうにタバコを吸っていた。久美子が戻ったのを見て、意味もなく乾杯のようにジョッキを持ち上げる。久美子は苦笑して、靴を脱ぐと座敷へ上がった。 「なんだって? 星野さん」 「ん〜、なんか、三月先輩とケンカしたみたいよ? 考えてみれば初ケンカだねえ」 久美子は砕けた物言いで、正面の男にそう説明する。 彼は、短めに切りそろえた髪の毛をアッシュブラウンに染め、緑色のフレームの眼鏡をかけていた。服装もカジュアルに着重ねし、おしゃれの上級者と伺える。 容貌は完全な二枚目とは言いがたい。言うなれば、惜しい顔立ちをしていた。けれど、眼鏡をかけているせいで、そこそこの好男子に見える。 「へえ。案外三月も子供だからなあ」 「……そういう安部さんは大人なの?」 そう尋ねれば、彼は肩をすくめるだけで、肯定も否定もしなかった。 久美子の目の前に座っている男は、安部拓也。先月のスノーボード旅行で初めて知り合い、携帯番号とメールアドレスを交換した。 それでも、今日までにやり取りした回数は、多いほうではない。電話は一回だけで、メールが五回ほど。 最初にメールを送ってきたのは、安部だった。スノーボードから帰ってきて、その数日後くらいのことだった。そのときは、特別印象に残るような内容ではなかったと思う。その後はしばらくメールはなかった。 ところが数日前に、突然ゴールデンウィークに会おうというメールが入った。なんとなく興味を抱いて、承諾のメールを送ったら、電話がかかってきた。 そのときの電話で意外に会話が弾んで、三時間も喋ってしまった。 けれどそれで、二人はかなり親しくなった。お互いにフィーリングが合ったのかもしれない。 「三月先輩とは、どのくらいの付き合いになんの?」 「高二のとき、一緒のクラスになってから。三年もそのまま持ち上がって、同じクラスだったしな」 「へえ。けっこう仲良いもんねえ」 「だな。まあ、一緒にいてラクっていうか、気兼ねしないっていうか」 「しかも大学同じだしね。……それはなに、二人で一緒の大学に行こうぜ〜、みたいな?」 久美子がからかって言えば、安部は苦笑して否定した。 「まさか。そもそも俺は、三月より先にS大に決めてたし。あいつ、途中から進路変えたんだよ。学部をさ、元々理工学志望だったのを医学に変えやがって。まあ、理工学のままだったらW大のつもりだったんだろうけど、医学部ってことで大学自体のランクは落としたんだろ? そんでも大したもんだよな。で、その結果たまたま一緒になった、と」 「安部さんは、なんでS大にしたの? こっちの小田先輩と同じとこだって、工学部あるじゃん?」 「ん〜、でもまあ、あそこよかS大の方がランク上よ? 俺はまあ家から出たかったし、国立大で俺の頭に見合うところが、たまたまS大だったわけ。……綾部さんは、志望どこで出したの?」 「う〜ん、第一志望は県大の薬学なんだけど、ちょっと無理そうなんで都内の私立にするかも」 「へえ、薬学か。なんか綾部さんぽいわ」 安部はそう言ってタバコをもみ消すと、ジョッキの中に余っていたビールを飲み干した。久美子の注文したモスコミュールの入ったグラスは、電話に立つ前にすでに、なくなっていた。 「……さて、どうする? もう一杯くらい呑む?」 安部は腕時計で時間を確認しながら、尋ねた。時計の針は九時半を示している。 「綾部さん、何時まで平気?」 「ん〜、まあ、何時でも……」 久美子は笑みを浮かべつつ、曖昧に答えた。互いに互いの反応を伺っているような、そんなやり取りである。 「ああ、じゃあ、もっと呑むか。綾部さん全然酔っていないでしょ?」 安部も笑いながらそういうと、メニューを広げつつ店員に声をかけた。 |