41.

 それからしばし、沈黙が続いた。十分ほど走っただろうか。美紀は眠気もあって、ぼうっと窓の外を眺めていたが、ふと明るい照明が目について身を乗り出した。
 電飾で明るく自己主張する、色んな形の建物群。三月はやがてその一つの近くで減速すると、ハンドルを切ってその駐車場へと入っていった。
 美紀は目を見張って、それが自分の推測通りの場所であることを確認する。
 入り口には、料金システムの看板が立てられていた。恐らく、間違いない。
「……せ、せ、せ、先輩っ!」
 一回で駐車を決めて、三月は落ち着いた様子でエンジンを切った。ふう、と一度運転席に体重を預けてから、美紀の方に顔を向ける。
 美紀は、三月の方を向いたまま、口をぱくぱくさせていた。
 三月はそんな顔を見て、こらえきれずに笑ってしまったというような表情を浮かべた。
「未知の領域?」
 三月が笑いながら、尋ねてくる。美紀には頷くことすら、出来なかった。頭の中が混乱している。相変わらず言葉を発せずにいる美紀に、三月はやはり笑って言った。
「あはは、まあ、そんな緊張しなくていいから。そういうことをするってわけじゃなくて、ちょっと落ち着いて話がしたいと思って。……もちろん美紀が望むなら、最後まで行ってもいいけど?……確か美紀、言ってたよね? 一緒に泊まっても何もしてくれないって。あの時は意識的にスルーしてたんだけどさあ、やっぱ聞き捨てならないよね、男として。女の子から言わせるなんて彼氏失格だよね。ホントにごめんね」
 三月は冗談にしか聞こえないようなことをさらりと言うと、車から降りた。美紀は、目が点になっている。
 そんな美紀を、三月が助手席側のドアを開けて、引っ張り出した。その手を引いてホテルの入り口に向かいつつ、鍵を車に向ける。車のハザードが二回ほど、光った。
 美紀は三月に引っ張られるまま、ホテルの中へ足を踏み入れた。「いらっしゃいませ」という女性の機械的な声に、びくりと肩を上下させる。
「おっと、ぎりぎりセーフ」
 三月はパネルの前で、そんなふうに呟いた。沢山の部屋が表示されたパネルがあったが、殆どは点灯していない。たった、二つだけだ。
「お約束で聞くけど、どっちがいい?」
「……な、は、わわ、分か……」
「あはは、美紀、喋れてないから。まあ、どっちでも同じだよね」
 三月は本当に面白くて堪らないというような感じで、パネルの下のボタンを押した。すると下から紙切れが出てきて、三月はそれを持って再び歩き出す。紙切れにはただ、部屋の番号が記載されているだけだった。
 三月の行動にはなんの戸惑いも、ない。
 美紀はなんだか複雑な心情で、けれども顔を真っ赤にさせたまま三月に引かれ、ついに部屋にたどり着いてしまった。
 部屋の上部のライトが点灯し、早く入れと急かしているように感じる。鍵はかかっていなかった。三月は美紀を先に部屋へ入れると扉を閉め、鍵をかける。
 そんな様子にも美紀はいちいち反応してしまって、鼓動を高鳴らせた。
 当然だけれども、初めて入る。もちろん、テレビや雑誌、友達との会話から知識だけはあった。でも、いざ入ることになると、かなり緊張してしまってどうしていいやら分からない。
 三月は、そういうことをするわけじゃない、と言ったけれども。
 落ち着いて話がしたい、と言っていたけれども。
 むしろ美紀は、全く落ち着けないような気がした。
「美紀、早く上がって」
 美紀が尻込みしていたら三月に促されてしまって、慌ててミュールを脱いで部屋にあがった。ホテルの名前が入ったスリッパを履き、奥へ進む。
 中は割りと小奇麗で、すごく広いというわけではなかったが、ゆったりとした空間になっていた。ただ、テレビで特集しているような、変わった演出は一切ない。
 部屋にはソファとテーブル、テレビ、大きなベッドが配置されている。
「割と、普通なんですね」
 無意識にそうコメントしたら、またしても三月に笑われてしまった。
「もっと、マニアックなとこの方が良かった? 美紀が引くと思って、大人しめのところを選んだんだけど」
 三月はそう言うと、美紀の肩に手を回し、耳元で囁く。
「じゃあ次は、もっと凄いところへ行こうか」
 耳元で囁かれて、美紀はか〜っと赤面して固まった。なんだか、すごく遊ばれているような気もする。美紀は拗ねたように口を尖らせると、三月の腕を離れて、ソファに腰掛けた。
「もう、先輩なんか嫌い」
 ラブホテルに慣れた様子なのも、気に入らなかった。いや、それはいい。けれど、戸惑っている自分の様子を見て楽しんでいるみたいなのが、何だか悔しかった。
 けれど、本気で機嫌を悪くしたわけではない。三月が苦笑して隣に腰掛けてきたので、美紀は少し微笑んだ。
「ごめん、ふざけすぎた。……いや、なんか俺もちょっと、緊張してさ」
「……え? なんで?」
「俺、小心だし。美紀に思い切り拒否されたらどうしようかと思って。ちょっと強引に連れてきちゃったから」
「拒否なんて、しません」
 美紀は少し照れながら、そう答えた。その言葉を受けて、三月が安堵したように、息をつく。ソファに体重を預けて、ふと、真剣な表情になった。
「今日は、本当にごめん。なんか俺、逆切れだよな。器ちっちぇえ」
「……そんな、こっちこそ我侭言っちゃって……それに、せっかくのデート台無しにしたの、私だし」
 美紀はしょぼんと項垂れて、謝った。
「でも、私本当に先輩のことが好きだから。……だから、小田君と付き合えばって言われて、ちょっとショックだったかも」
 小田には感謝していたけれども、それはあくまで友達としてだ。例えばご飯を一緒に食べたりとか、バイトで一緒に働いたりとか、そういうのはとても楽しい。けれども、ふと、考えるのだ。
 これが、三月とだったらどんなに良かっただろう、と。
「多分ね……」
 美紀は、一人でいる間に整理した自分の気持ちを、素直に三月に話した。顔を上げて、三月の顔を正面から見る。
「私は先輩自身のことが好きだから。一緒にいられるからとか、優しくしてくれるから好きとかっていうんじゃなくて、先輩だから一緒にいたいんだ。好きな先輩だからこそ、優しくしてもらいたいし、私のこと気にかけてもらいたいって思ってる。……凄い我侭かもしれないけど」
 美紀は言いながら、三月の目をしっかりと見ていた。
「だから、小田君と付き合いたいなんて、思ってないよ」
 それが、自分なりに出した答えだった。
 遠距離恋愛というものに阻まれて、自分の気持ちを見失うところだったけれど、今回のことではっきりした。三月を怒らせてしまって、彼を失ってしまうことを考えたら、とても怖くなったから。
 美紀は三月に自分の気持ちを伝えられて、すっきりした。ほっとして、にっこりと笑みを浮かべる。
 ……けれども三月は、美紀の言葉を聞いて、複雑そうに表情を歪めた。




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