43.

 ふわり、と浮遊感を感じて美紀はハッと目を覚ました。
 お風呂上りの、熱っぽい体温と石鹸の良い香りを同時に感じて、美紀は慌てて視線を上げる。
「あ、ごめん。起こしちゃったか」
 謝る三月の髪は、まだ少し湿っていた。ホテル名の入ったバスローブの合わせからは、三月の素肌が見える。美紀は赤面して、内心悲鳴を上げながら身じろぎした。美紀は、三月に抱きかかえられていた。
 話を終えたときには、すでに十二時近くになっていた。
 美紀の目が大分怪しくなったのを見て、三月がそろそろ寝ようか、と言った。美紀は風呂に入った後だったが、三月はまだ入っていなかった。それで、三月が浴室に行っている間、美紀はソファで少し眠ってしまったのだ。浴室から戻った三月がそれに気づき、ベッドへ運ぼうとしてくれたのだろう。
 正直、困る。最近二キロほど太ったのだ。
 とはいえ、ベッドまではほんの数歩。抵抗する間もなく、美紀はベッドの上にたどり着いた。掛け布団はすでに、半分ほど捲られていた。
「お、重くなかった?」
 ベッドに上半身を起こしたまま、一応聞いてみる。三月は美紀の反対側へ回り込み、ベッドに入った。美紀の右隣。美紀は照れを隠しながら、ベッドに横になり掛け布団を引き上げた。三月はベッドの上方にあるパネルを操作して、電気を徐々に暗くしていく。
 部屋は、お互いの顔がかろうじて判る程度の暗さになった。
「……ん〜? 別に。美紀、小さいし」
 軽い、ではなく、小さいと言われたことがショックだった。それで、すねたように口を尖らせたら、肘枕をしてこちらに体を向けている三月は少し笑った。
「最近、太ったんですっ」
 美紀も三月の方に体を向けて、言い訳のように体重の増加を白状した。バイトを始めてストレスが多くなったせいか、夕飯にご飯を食べる量が増えた。そして順調に体重が増えている。気が付けばあっという間に二キロ増。お腹周りは人に見せられるようなものじゃない。
「あっ、そうなの? そういえば去年の夏に比べると、少し重かったような……」
「え、え〜〜? ていうか、そんなの覚えてるの〜?」
 美紀は赤面しつつ、そのときのことを思い出した。
 海に泊まりで遊びに行ったときの夜、罰ゲームで酔いつぶれた美紀を、三月が部屋まで運んでくれたのだ。あの時のドキドキ感が蘇る。
「……私あの夜、先輩にキスされる夢見たんだあ」
 美紀がそう言えば、三月はしばし沈黙してから口を開いた。
「いや、実はあの時、キスしようとしたんだよね。……する前に美紀がまた寝ちゃったから、結局しなかったけど」
「……ええっ?」
 ではあれは、全部が夢ではなかったということか……。
 それにしても、酔ったときにそんなことをしようとするなんて。
「先輩の、えっち」
 言ったら、三月は軽く笑った。
「そのくらいでそんなふうに言われるのは心外だなあ」
「え〜? そうなの? あはは、でも懐かしいなあ〜」
 海に行く前に、久美子に勝負下着を買えと言われたことがあった。しかもその理由が、覗き見されたときに恥ずかしくないように、だったと思う。久美子も面白いこと言うなあ、と思いつつ半分はそれを本気にしていた。
 あの下着は、今でも使っている。ただし今日は、あまりに不意打ちだったので身に付けていない。
「先輩、あの頃からもう、私のこと好きだったんだ」
 少し強気にそんなことを言えば三月は、「えっ」という顔をした。
「あれ、星野から聞いてない?」
「え? 何を?」
「俺、美紀が目当てで初めて星野に声かけてさ、協力して貰ってたんだけど。だから最初から美紀のこと好きだったし……ていうか、前にも言ったよね? 入学式のときに好きになったって」
 言われて、美紀はポカンとした。
 確かに入学式のときに、三月が自分のことを魅力的に思ってくれたというのは、聞いたことがある。
 けれどその時から好きだったというのは聞いていないし、兄が協力してくれたのは、美紀が片思いしているからだと思っていた。
「初めて声かけたって……先輩、前からお兄ちゃんと友達だったわけじゃないの?」
「全然。同じクラスになったことないから、接点は殆どなし。まあ、二年のとき隣のクラスだったから体育とか合同でやってたけど。美紀のことがあってからだね、仲良くなったのは」
「そう、だったんだあ。初めて知った。しかも私ばっかり片思いで、頑張ってたような気するし。……だからかあ。久美子があんなに、先輩は裏がありそうって言ってたの」
「いやあ、綾部さんって鋭いよね。しかも美紀、綾部さんと相当仲良かったから内心ヒヤヒヤしてた」
 言いながら、三月は美紀の額に手を伸ばす。横になったせいで乱れた前髪を、整えるようにして指が動いていた。
「な、何で、ヒヤヒヤする必要があるんですかあ?」
「そりゃあ……今の美紀なら分かるだろうけど、そんとき俺、かなり猫かぶってたから。星野と相談してさ、なるべく美紀に気に入って貰えそうな?」
 指が、頬をなでる。美紀は思い切り鼓動を速くさせながらも、何事もないように装って会話を続けた。
「そ、それってどんな? お兄ちゃん、なんか変なこと言ってたでしょ……」
「あ〜、なんか美紀は夢見がちだから優等生を気取ってた方がいいとか、言われた。本気で白馬の王子様に憧れてる、とか。……ホント?」
 美紀は口をあんぐり開けたまま、絶句した。半分当たっているだけに、反論出来ない。
 それにしても、優等生を気取っていたとは。
「先輩って大人だなあ、とは思ってたけど。作ってたんだあ。なんかがっかり」
 美紀は冗談交じりにそう言った。三月は苦笑している。なので、一応聞いてみた。
「今も、猫かぶってる?」
「さあ。どう思う?」
 挑発的に笑いながら、三月は美紀の方に体を乗り出した。覆いかぶさるように上から見下ろされて、美紀のドキドキ感は絶頂に達する。
「え、えっと……」
「美紀も猫かぶってるでしょ? ていうか、美紀は半分計算でボケてるときあるよね」
「え〜、そんなことないですよお」
 完全に、目が泳いでしまった。というか、視線のやり場に困る。そして、今の状況にも困っている。
 自分から何もしてくれないと不満を漏らしてしまった手前、覚悟はしていたけれども。
「美紀、服着たままじゃ寝にくくない?」
 言われて、頭が真っ白になった。
 確かに美紀は、カットソーにスカート、靴下まで身に着けたままだった。けれど、当然パジャマなんて持ってきていない。
 美紀が応えられないでいると、カットソーの裾から、ウエストに辺りに三月の手が触れた。




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