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「あわわ、せ、先輩、やっぱり……」 美紀は慌てて抵抗した。三月の手を上から掴み、ウエストから引き離す。緊張して、声も手も震えてしまった。 「やっぱり?」 三月はあっさり手を引っ込めて、笑いながら美紀の言葉を促した。 美紀はけれど、その先を言うことが出来なかった。緊張して、指の先が氷のように冷えていた。 「ええと……、別に服着たままで……」 「……ふうん、まあ、それでもいいけど。じゃあ、着たままでいいよ」 今度はその手が、スカートをめくりあげようとした。美紀は慌ててそれを阻止すると、身を起こして三月に抗議する。 「な、なんでスカート捲るんですか!」 三月はくっとこみ上げた笑いを漏らしつつ、美紀の耳元に口を寄せて囁くように言った。 「だって、服着たままでしたいんでしょ?」 「したいって……ええ? ち、ちが、そういう意味じゃなくて、だって寝にくいでしょって……」 そうだ、寝にくいには寝にくい。けれど、三月に服を脱がされるというのは、別の意味。いや、その別の意味の方も、覚悟はしているのだけど……。 「俺ももう、待ちきれないなあ」 三月のため息交じりの声。 今まで一緒に泊まることがあっても、何も起こらなかった。美紀が拍子抜けするほどに呆気なく夜が過ぎた。性欲がわかないほど自分に魅力が無いのだと、悩んだこともあるというのに。 「ま、待ってたんですか?」 視線を泳がせつつ、尋ねてみる。何だか気まずい。 「……そりゃねえ、俺もまだ性欲を持て余してる十代の男だし? でも、美紀はまだ十六だし、せかすのも悪いなと思って……いたんだけど、美紀は何もしてくれないって怒ってるから」 「お、怒ってはいません! ただちょっと、がっかりし……」 自分で何を言っているのだろう、と慌てて言葉を切った。 「がっかり、した?」 何も言えない。三月はまた、笑っている。もう、どうとでもしてくれ、という気分になりかけた。 けれど三月は、スッと美紀から体を離した。 「まあ、もう少し待てというなら、待つけどね」 三月は先ほどのように、隣で肘枕をついた体勢で美紀の顔を眺めた。タコのように真っ赤になった美紀が、枕に半分顔を埋めている。 美紀は、葛藤していた。 葛藤しすぎて、頭が破裂しそうなほどだ。 「もう、寝ようか。おやすみ、美紀」 だが葛藤している間に、三月はそう言って肘枕を外すと、仰向けになって瞳を閉じてしまった。今回はどうやら、諦めたらしい。ホテルに入るとき、別にそういうことをするわけじゃないと、言っていたから。無理強いはしない、ということだろう。 美紀は三月にばれないよう、ほっと息を吐き出すと同じように仰向けになった。せめて、靴下だけは脱ごうと思った。ベッドから抜け出して、靴下を脱ぐ。それでふと、思いついた。 「あの、私もバスローブに着替えてきます」 着ている服がしわくちゃになるよりかは、いいと思った。 「ああ、そうだね」 三月は目を閉じたまま、そう応えた。 浴室の方で着替えてから戻れば、彼は先ほどと同じ体勢のままで、身動き一つしなかった。 寝入ったのだろうか。 美紀は改めてベッドの中に潜り込み、そっと三月に身を寄せる。すると三月は瞳を開いて、腕を動かした。 「美紀、頭上げて」 「え?」 素直に頭を上げたら、三月の腕が頭の下に差し込まれた。 これが世に言う腕枕かと思って、美紀は少し赤面する。三月はさらに体を動かし、右腕で美紀の体を引き寄せると、しっかりと抱きしめた。 美紀は体を強張らせたまま、顔を上げる。すぐ近くに、三月の喉元が見えた。 「こ、これじゃ眠れそうにないんですけど……」 正直、息苦しい。おまけに頭を完全に預けることが出来なくて、首が強張ったままだ。 これでは疲れてしまう。 そんな抗議に、三月はやや大げさにため息をつくと、美紀を解放した。美紀はふと思いついて、三月の腕を自分の首の下へずらした。頭は枕に預ける。そうすれば、三月の腕も痺れないだろうと思ったのだ。 記憶も薄れかけた幼少の頃、父親に腕枕をしてもらって寝ていたときに、学んだ方法。 「先輩」 呼びかければ、三月は黙ったまま視線を寄越した。美紀はドキドキしつつも、何とか微笑んで口を開いた。 「心の準備が出来るまで、もうちょっと待っててね」 「……もうちょっと、ね。りょーかい」 三月は穏やかに笑むと、美紀にキスをした。 「……で、結局なんもなかったわけね」 久美子は呆れたようにそう言ったが、同時に笑みを浮かべた。 「まあでも、先輩とちゃんと仲直り出来たみたいだし、ホント良かったよ」 七日。連休の最終日。 五日は三月と思う存分デートをした。六日もバイトが終わってから夕飯を一緒に食べて、その後N県に帰る三月を見送った。 そして今日、美紀は久美子と街に買い物に来ている。一通り回った後、若葉通りのサブウェイで一休みした。美紀はサンドイッチを食べながら、事の顛末を説明した。久美子には、アリバイ作りに協力してもらっていた。あの夜は久美子の家に泊まっていたと、親に説明したのだ。 「しかもねえ」 美紀はバッグから、四つ折にした紙を取り出して久美子に手渡した。久美子はそれを開き見ると、「うわ」と驚きの声を上げる。 そこには十ほどの大学名が、偏差値と取得可能資格、所在地、所要時間付きで列挙されていた。全部福祉系の大学である。 「アウトレットから帰ったあと、ネットで全部調べたんだって」 「……なんか軽く寒気がするけど。いや、マジすごいよ」 もちろん所要時間とは、その大学の最寄り駅から三月の大学の最寄駅までの所要時間なのである。 「いやあ、あんた愛されてるよ。ここまでしてくれないもん、普通の男は」 「だ、だよねえ……?」 美紀もぎこちない笑みを浮かべながら、そう言った。 美紀自身もこれを渡されたときは、正直なところ、感謝よりも呆気に取られるほうが先だった。しかもあれだけ不純な理由で進路を決めるな、と言った三月が、お互いの大学間の所要時間まで調べているところが可笑しい。 しかも、その時間が短いほうから三つ、大学名に二重丸が付いている。 「こう見ると隣のA県って、福祉系の大学多いんだねえ」 A県であれば、今よりも三十分から一時間ほど所要時間が短縮されるし、運賃も大幅にダウンする。 「あ、東京でも大して変わらないんじゃん」 交通機関の関係上、場所によっては東京からでも所要時間や運賃が変わらなかったりする。リストの中には都内の有名私立大学の名もある。 「え〜、でも偏差値高いよ……」 リスト内の大学は、ある一定以上の偏差値を示していた。進学校である桜花高校に相応しい偏差値と言えるだろう。ただし、下限はあるが上限はない。三月の意地悪だろうか。 「いや、頑張ろうよ。でもマジすごいわ。あんたちゃんとお礼言った?」 「うん、言ったよ。だってここまでしてくれるなんて、思ってなかったもん……」 久美子からリストを返されて、それを一旦眺めた後、バッグに戻した。これでもう、進路には悩まない気がする。 それに。 今回、お互いに自分の気持ちを打ち明けたおかげで、二人の距離が一気に縮まったような気がする。感じていた以上に、自分は三月に大事にされているし想われている。 それを実感した。 「あんたたちは遠恋でも、上手く行きそうだね」 久美子が笑顔でそう言ってくれた。美紀も、そう思う。 今二人のいる場所は遠いけれども、気持ちの距離は大分縮まった。もちろん、三月の全てを知ったわけじゃない。 けれど、これからも一歩一歩、二人の距離を縮めていけばいい。 美紀は暖かい気持ちで、最高の笑顔を浮かべた。 |