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  このごろ「神社に参拝する」といわずに「神社を参拝する」と言う。神仏一体という言い方には耳なれてはいても、神と神社が一体とは私には全く考えられない。何故ならば神と神社は自然当然の結びつきではなく、人のするたまたまの結びつけにすぎないからである。カソリックでは神の居坐すところが教会であるということのようであるが、逆に教会ならばそこに神がいますとばかりは言えないのである。イスラムのモスクにみるように、「教会」は信徒の集り励ましあい磨き合うところであり、仲保者のいるところであるところとは思えるが、神そのもののいますのは偶像の内でもなければ偶像の安置されている家の中でもなく、神の寓する一々の心のうちであるとしか考えられない。神の家は神を求めて神の働きをわが心のうちにとりとめておく、またもののまとまりとしての「いえ」即ち「いへ」の「うち」ないし「こころぬち」にある以外にどこにありえようか。しかも、屋代としての社に鎮座して日本の神社に祀られている日本の神に御神体らしき体はない。そしてあってあるらしくない神の権威とその世俗的支配は権力によらなければならないが、権力による支配は大小軽重の違いはあっても本質的に闘争的であり、また暴力によって覆されることになる。少なくとも世俗的利益にもとづく偽瞞的な似而非(えせ)宗教、似而非もしくは偽製信仰と言ってよい。これに対して真に宗教的な支配は国家に限らず、すべて理知的であれ驚嘆恐怖によるものであれ、本来もしくはそれとも別であっても恐らく必ず自他ともに認めうる心服によるものといってよい。ただし真に心からのものでないものには、本心からでないと言うべきことになるが、少なくとも受身に理解するだけで、生活に根ざした判断力とか不退転の決意を欠く場合はそもそも真の心を欠き本心を失っているのであって、結果的信仰はあっても真の信心はないと言うべきであろう。正しくは、神の家は真には心裏にあるともいえるが、見易い統合の象徴としては神社にあるともいえるのである。

  もとは土着神に発しながら後に一般化した神の坐すところとしての社とは、領地領域領国の治の中心かつ象徴であったところに象徴としての神宮居が定められて神宮ともなり神社ともなったものと思われるのであるが、わざわざ宮処、宮所に外ならないものの象徴である神社神宮に出かけて参拝するのは離れてあるものが臣属のしるしとして伺候することに外ならないと思われる。上なる神の宮居して坐しますところはすでに中国で皇天后土とか天神地祇とか対語化されて言われているうちに、やがて天にのぼせられ、地の限りをこえ地を超えた天の神として、国つ神という地の神即ち土地の神としての神を超え従えるものとなってしまう。そして直接的な世俗的支配力を失っては、或いは失っても祭り上げられてあるいは利用されて天地玄黄の黄土の中天に極まって地下に降りたものが黄泉黄土となり、昇華昇天したものが黄袍を纏って玄妙不可解な皇帝となり、そして中央で地黄の極まって天に化するのと同時に地は地久の地平となって果てにおいて天と一体化するのかも知れない。日本にあっては天降った天孫が天皇となったのかも知れず、また大君的でもある天下人を地皇として諸支配者を超越するものとしてその上に超越する至聖として天皇にまで上昇させてそう称するのかもしれない。例えば封建の昔、近くに居住を移した伯などは、多くの国に於いて当然に本来の領地の直轄性を失って国を乗っとられなどして象徴的社も徒(あだ)し国の社に併祀され併社化されてしまわぬ限りやはり、もとの領地をterritoryとしてでもなお従えるものでなくてはただの従属者になり切ってしまわねばならない。

  本質的に「status」に外ならないstateは言うに価し、言挙げするに足りる家柄であり国柄のもののことである。少なくとも国民国家以前においてはそうであったこれを何の疑問もなくただただ国家とばかり訳して解したとして済ませてしまうのはとんでもない謬りと言わねばならない。statusが階級的差別の上にこそありうる概念であるのに対し、国家は大規模化した家とも大家(オオヤ)もしくは大宅などの公(オオヤケ)のこととも考えてよさそうであるが、とにかく祭政一致的であってこそもともと族的な家の延長としての共同体的性格を備えたもしくは残したないしはそれに発してこそ国家でありうる。勿論原理的にみれば、家は家政と祖廟の二面を備えるものであり国は四囲を有形無形の武力によって画された地域もしくは屋宇屋宅でもある。stateはestateの意味を全く外しては考えられないのである。しかし、総奴隷的総農奴的支配体制のものを直ちに「国家」としてしまうのは問題である。stateは職業についてにせよ領域領土についてにせよまた地位にせよ財産にせよ確定し確立した意味を含むもので、家としてみても、国でも同じで、有数のものはsymbolやemblemで表現され定式化されて名指された家として、またその領土領域が格上げされて国土国域となって始めて、英語ではただのterritoryから格上げされて国家と訳されうるstateとして位置づけられていくことは容易に明らかであろう。「朕は国家なり」という言葉はあまりにも有名であるが、そもそも封建国家なるものはもっぱら君主にとっての国家に過ぎないのである。

  単一的な同族的家社会から、複合的社会へと発展するとき、君主‐族民的統治構造がたとえ支配民族と被支配民族の組み合わせ構造となっても、国家として表現され意識されるものはあくまでも全体としての「家」的であるといってよい。かつての日本的とされ一時は広く褒め称えられるに至った会社経営は幕藩体制下の藩的性質を引き受け、血縁中心の家所属の私的人間とは別に、stock-holderないしstock-stacherでなくとも、会社人間という藩に替る仲間的な公的人間世界を作ったのはその一例と言ってよい。今では田の面に頼もしく丈(たけ)きないし健(たけ)き男(をとこ)ばかりでなく家居(いえゐ)につきづきしく家内屋内に安寝安居させたき若嫁(わかめ)女(をみなめ)などの処女(をとめ)も外面(おもて)に立ち働くべきだとするのが常識のようである。が、しかし実は、生活が資本主義的な経済の圧迫下におかれてしまったという情けない現実の姿に外ならないのであって、幕藩体制化の一族対等的藩意識に根ざして庶民にまで及んだ「おらが国」的藩屏ならぬ共有共同意識に及んだ悪しき同類意識の現代的名残とみれば、決して現にいまや安心して子どもを産み育て、老後も健康ならば自ら安全を図りながら生活できる社会もしくはそのようなことを可能にする社会保障が何よりも強く求められる社会状況になってきてしまったようで、まことにはあらまほしきことといえることではあるまい。

  だからといって急にはどうということもないかも知れず、またどうしようもないであろうが、しかし、主婦などを含めた処女や処世に向かって言えることは帷幄のうちにあっても勝ちを千里の外に決しうるのだということである。

  政はまつりごとというように、治安統治行政であることの外にも教育啓発的行政として、強制的であるばかりでなく信を教え正すものでもなければならないが、まつりごととしての政治と宗教は必ずしも二つの別のものではなく一つのものといってよい面もある。西欧社会からの日本の現代においても、ブラジルの建国精神とこれを表す国旗の中にそれをみることができるが、東アジア的精神風土において、宗教文教の教えの代表はその名に相応しく儒家の教えであり、律令的国政は法家にこそ相応しい刑罰命令権を行使するものである。問題は教えには邪教もありうるということであるが、政治の中で邪宗邪教に当るのは悪法であり、法匪や酷吏による威令づくの頤令のようなものであろう。そして、西欧的世界ではcatholouであるか否かが正邪を分つものといってよいだろうが、それはここでは言わないことにしても、一般に理念においての誤りは法的なレベルのものではなく、根本精神からの改変が必要とならざるをえないが、その改変改心は、法の改正などのような簡単なものではない、ということだけは言っておかなければならない。

  家庭的なものが「家」か、建物としてあるのが家かと聞かれれば、両者が直ちに同じと言うふうには到底答えられないだろうが、たとえ即座には対応対答できないにしてもつくづく思えば、相互に影響しあい干渉しながら支え合い援助し合いながら暮すこと、従ってまた所謂家(いえ)即ち家屋をアット・ホームに設計し、管理維持することが大切であるだろうとは思われる。最近の日本ではホームを売るかのように名乗って家屋を売る不動産会社名もあらわれたりしている始末である。本当のところは家屋としての家は容易に建て、またその寿命からいっても比較的容易に建て直しがきくが、真の家はすでに物理的に壊されてしまっているのでそのことに気づかず思いも及ばないのであろう。当節のようにそれが忘れられたり無視されたりしてしまっては誰しも困惑せざるをえない筈であるが、英語などでもhomeとhouseの別はかなりはっきりしている。もっとも英語でも両者の別は必ずしも画然と常に弁別できまた弁別されているとも限らないが、しかし少し気をつけていれば、homeは古くは土地や財産を伴うものであって、worldやvillage、farmなどまたgroup of dwellingと関連する語であるとも、native placeからplace of residenceのこととも理解される。アングロサクソン語ではh?mからくるとされる英語homeに対して、h?sからくるとされるhouseはもともと動詞to hideの意味からcovering、shelterを意味し、husbondaすなわちhouseholderとしてのhusband、またこれに対してはhusewifからくるhousewifeなどがでてくる語であり、防御的防衛的でひいては家屋になると考えてもあながちに過りではないだろう。勿論homeは安居生活そのものを意味するものととるべきであろう。

  神社と神を別とせず漠然と同じに思っているうちに、神社に詣でることと神を礼拝するということが同じことだと人々は思い込み神社を参拝するなどという言葉が尤もらしい感じのものになってしまうが、しかし神社に詣でることは神に祈ることとは同じでないどころか、厳しく言えば全くと言いたくなるほど別である筈で、私には正(マサ)しくそう思われてならないにもかかわらず、特に祭政一致的体質の国においては容易に「神‐社一体」となってしまうのではあるまいか。

  「祈る」ことと「祀る」こととは、ましてや信ずることとは全く別事と言いうる程隔たりのあることがある。まして信ずることと参拝することとは全くといってよい位の別事である。

  当節の若者には平然として「ゆるしてくれるなら、あやまります」などと言ってのける手合いが多い。あやまりと詫びること即ちゆるしをうるために誤りや謬りを認めて謝することと侘びて詫び言をいうのとは同じでないどころか、悪く取れば後のはただの泣き落としに近いというべきである。そのような「あやまり」とは何なのか、真のあやまりとは程遠い。もと謝とは言に射からなる字で、罪に中るような応分の罪を申し出ることを言ったものとも解され、その場合、それが目には目的時代の終りとともに言葉だけでゆるされるようになったに外ならないものとも思われる。


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靖国神社問題
P 3/8
辛島 司朗