(3)

  拝することは同じくご機嫌奉伺をはじめとするが、謝ることとは逆に、むしろ積極的に加護を求めて何事かをしようとすることである。神を拝するのも含めて、願い求めてもしくは求めるために、日常的に従順を示して加護加持のための祈祷の前段のものとしてなすところと言うべきであろう。謝するのと参拝するのとの違いは否定的場面での消極的意味のものと、願望成就のための積極的な意味のものとの違いといってよい。そしてそこにあるのは同じく図々しいと言えばいえるが、図々しさは図に乗って図々しくなるのであるが、図には予めの測り謀りが前提されているのは言うまでもないが、それが誠意従順に連なるのか、不遜傲慢に連なるのかでは大違いと言わざるをえない。正心誠意が通じぬまま、何時まで何回謝れば済むのかというのなど凡そ謝に反すると言わざるをえない。大事なのに誠意正心をもってすることであり、それが通じることである謝は先にもいったように、言と射からなる字だが、白川によれば射は会盟などの厳粛な儀式の際に行われるもので和好のためのものであり、謝はその義をうけたものであるというのが正しいと言う。

  真に祈ることは「隠れて祈れ」と言われもするように個人個人の心うちのことであるが、公人が祀り公式に祭ることは本来断固たる決意決心の表明表現であり、表立って祀ることは決定の公示による統治効果のためでもあるといってよく、参拝は対社会的効果の面からいえば、むしろ断固たる顕示的行為また示威行為でもある。勿論、熱心でない祀りによっても烏合的集合をも目的的社会またはゆるい自然的集合に変え、はっきりした団体形成を行いうるものであるというべきである。祀って祈ること、もしくは拝み祭ることは心を引き締め戒めることであり、また単に飾られた表象的偶像であるものさえそれにむかって祈り願をこめることによって与えられ、そこにその力が活きて働く力が備わるものとなるのである。そして組織体の代表的地位にあるものの参拝はそれ自体一つの結合の象徴的意味をもつといってよい。

  「神を祀る」という場合にはどのような神を祀るか、どのような目的で祀るかが問われなければならないが、実際神を祀ることには、具体的にどのように拝まれ、祭られるかも抜きには考えられない。何事についてももろもろの疑問に応答し反対を防遏しようとすれば、対内的には勿論対外的にはより一層の配慮が必要となるのは言うまでもないが、今の靖国神社問題では特にその神社の特殊性格について考えれば、全くの一箇独立の神社として位置づけ、独特に近いものとして捉えることになるのはその歴史上の意味からしてまことにやむをえないことと言わなければならないだろう。その祭祀や参拝に当って国粋思想ないし独善的ひとりよがりにもとづく独自存在性を強調し、それに過度にとらわれて、いやしくも関係諸国との和平の基礎を揺るがし、平和を乱すような敵対的意味を秘め潜めたもの、或いはそれどころか強弁を重ねた強行に類するものに取られるおそれを軽視ないし無視するようなことがあってはならない。そうであってはじめて、善隣友好の可能性を開くものである。附和雷同し常心のないものは習狎し事情の変化に応じて離合集散し定まりのないものとなり利によって集まるものは不利によって反転し、情によって集まるのみのものは、浮動変動し止むことない。愛憎に任せるのも利害に委ねるのと同じく表象的行為といってよいが、国の神を祀るということは一つの国家としてのまとまりの表象でありまた選択的なまとめの行為によるものである。従って、その国家の行為として、外交は戦争の前段の手続であると考えるか、外交は戦争と背反的手段と考えるかは甚だしい大事なのである。ましてや当然に過去において自国の神を他国に祀らせたことは他国を従属せしめるか、同化させるかのいずれかを意味することであり、またもっとも安直なgenocide即ち民族族滅法であることは否定しえないであろう。凡そ神社への参拝を考えるにはましてや靖国神社に詣でるにはそのことをも忘れずに併せ考えるのでなければならない。

  問題はそのような過去を持った神社問題ないし靖国神社参拝問題はいまそれがどういう表徴的行為を意味することになるのかということであるが、対外的意味を考えずに国内的意味のみを絶対的なものとして主張しつづけるとすれば、正にいちおうは純粋に対外問題としてみられるべき外交問題の見地からみて、そのことによって遂にはどのような神のこと、参拝のことになってしまうかの検討の上での綜合判断が必用とならざるをえない。そのような問題を抜きにして何かを言おうとしてもその行為自体に籠もる絶対志向とそこに込められる独善的傾向は結局専横性に連り、専横性をごり押ししてまた武断的となっては外交を戦争闘争にかえてしまわざるをえないのは疑いのないところである。「ただその時になって適切に判断します」それだけが繰り返される質問紙繰り返される首相の答弁ともいえぬ答弁ではあるが、すべては首相の胸三寸ということで、なってみなくては誰にも胸の中を知ることも出来ぬということは一体どういうことなのか。国民にも知らせぬことができぬほどそれほど重大で、国家の命運にもかかる、例えば参拝の日時は知れることで参拝者の命にかかわるとかで高度の秘密のもしくは国民も知りえぬ最高度の国家機密に関することであるともいえるのだろうか。しかしたとえそうであっても、それならそれなりにそのことであることを告げなくては独裁者の謗りは免れないだろう。子ども相手ではない、何時までも「変人」で済ませておける問題ではない。

  専制や専権はdemocracyに反するだけといっても強ちに排除されるべきものとして極めつけることは出来ないが、横暴に及んで改まることがないとなれば、天による「革命」が待ち望まれることになってしまう。ここでは十分に論ずることができないので、別にまとめて論ぜざるをえないが、一言しておかなければならないのは民主主義のdemocracyの訳は誤りであり、民主政か、もし主義とどうしても訳したければ、「民本主義」としてpopulisticな衆愚制への堕落を排除しながら皇帝政治へとつなげて考えてみなければならないのである。絶対的唯一神に限らず、およそ神仏が普遍的で広大無辺な、何処ででも礼拝祈願可能なものであれば、神に祈りまた神を祈ることは物的な神体や神社を離れて、霊力、神聖な遍通な変通自在力即ち随処に際立った働きを示す神通力こそ崇拝もしくはその臨在をこそ祈願の対象もしくは内容とするものというべきである。

  そして他方で民はplebes Patrizienばかりでない、plebejerもあり、「飽食煖衣し、逸(やす)らかに居りて教うるなければ則り禽獣に近し」というのは孟子(滕文公上)である。コロセウムには慎重にならなければならない。そして、忘れてならないのは響きを失い発すべき場を失った民の声は路傍の石の声なき声として天にも届くかもしれないという歴史的な戒めであるが、特に他山の石からも目をそむけてはならないということだろう。ケインズを捨てて小さな政府にして社会政策を放擲しようとするに当って、またボルシェビキ的共産主義の最大の敵は貧困なのだったということをよくよくDみしめた上で、噬み下さなければならないことも忽せにできないものと知らなくてはならない。国民の富は大切にすべきであることは今なお意味を失わないだろう。国民の政府が不要にならない限りは。祀るべき場所、聖所としての場所、祀るべき方法、祀るべき人、参じ拝する人についての考察はたとえ本質問題としてはこの際どうでもよいようなことであっても、カリスマを得、カリスマ性を備えた皇帝は現人神として神格性を与え、その神格性に於いて捉えられるべき存在と考えてもよいかも知れない。語ることを忘れ話しえなくなって真っ当なactivityを失ってもっぱらpassionだけになったものは何時passionateになってしまうかもしれない。プラトンは詩人を追放すべきものとしたが、自らの思考力を失ったactorはなおのことであろう。しかし、それはともかくとして、今問題を神社参拝に限るものとして、祈り方として、参詣参前の際の方式さえどうでもよく、更には遥拝どころか、どこにあっても即席即座に心から即ち心の中で深い思いをこめて祈ること願うこともありえなくはないと私は思いかつ考えている。

  神の恩寵によるものは仮名文字のままカリスマとよぶが、ゼウスとヘラの子ヘファイトスの妻のことともされる大文字でKharismaと記され、本来ギリシャ語で優雅とか喜悦とかを意味するものである。ギリシャを離れローマ帝国を経ては西方においても東方に劣らず、このカリスマを得、カリスマ性を備えた皇帝の出現となるが、皇帝にこそ天もしくは神の代理として現人神的神格性を認め、その神格性に於いて捉えられるべく、天子とみなされるべき存在に近づくと考えてよいかもしれない。しかしそれはとにかくとして、今問題をまづ神社参拝に限るものとして言えば、この国際平和の求められているこの世の中、特にアジアにおいて何もわざわざ無理を押してまで神社に、しかも靖国の神社に敢えて詣でることはないとしか思えない。一体何故わざわざ詣ずるのか。アメリカも帝国に近く、日本がその帝王に代わる付属国としてアメリカに、いやアメリカ大統領に服属しているかに思われてならない日本人は決してそれほど少なくないであろう。しかし、本来天子としての帝王の理念は統治行為そのもののうちに示されるべきものの筈であるが、恐らくかつて帝王が泰山に上るのは統治の天命によるものであることをあくまでも天下万民に示すために外ならなかったであろう。

  もともと君の大なるものは皇帝となり天に通ずるのに対して、その小なるものは家長となる筈であるが、君の君たるのは民に対してであり、民は家から分かれ離れては個々人の人となるが、民こそ私の中の私でありながら私の集りとしての家の集りが公の始めとなる。家々が合さり集まって郷党となろ、郷党を集めて国とし、国々の集まりを八紘一宇の天下として圀中央の中国に宮居するのが天子であり、その天子の下で官舎官衙にあって官職をこなすのが臣としての官である。そして、人々を公的に扱い、国家そのものについてみるとき国と家は一応はっきり分別されなければならないように、君の下にあって公人の集まりとしての民に対する民治を行うものを官と言いまた吏というが、史でもある吏は使に通じその為すことは理事であるのに対して、むしろ帝王に直接的直属的な政治に従事するのを特に官といい、特には軍官となる。そして、これのなす征に対して、文官を主とする吏務者の理を中心になす祭祀祭事に従っていえば、そこに祭祀官が太政官と対比されることになるが、一般的に今日の日本で一口に言う官吏は神官を除いた上での官と吏をまとめて総称して言うものとなっているのは国家の祭司は行われてはならないことになっているからである。しかし、その中、強圧強制的な暴力を主とする軍に対して、吏は単に法によるだけでなくカリスマ的権威も加わって、平穏平和裡に心服的に働きをなすところがその相違とみることができよう。なおついでに言えば、臣と民については、?盲(ワンモウ)暗闇のもの千人ともみた民に対して、君長の明のもとで審詳(ツマビラ)かに民情をみて治を実施するものを臣下臣僚として中間に立つものとみることができるが、或いはこれを君臣としてのまとまりにおいてみ、また別に臣民としての一まとめにしてみることにもなる。

前頁へ                                               トップへ
                                                    次頁へ
靖国神社問題
辛島 司朗
P 4/8